「理解する」と「覚えこむ」をつなぐもの

2006-09-09 22:54:50 | 剥落
文章の都合で「理解する」と「覚えこむ」とを
分けましたが渾然と重なった部分もあります。

昨日、練習について触れて終わりましたが
「覚えこむ」に練習が大きく関係します。

覚えこむということは「理解できた」ならば自動的に
できてしまうものでしょうか。
パソコンを習ったとき、車の運転を習ったとき、どう
だったですか?分かったつもりでも、出来ませんでし
たね。

英単語を覚えるのも同様です。
意味が理解できてもすぐには覚えられません。
反復して練習が必要です。
おしなべて勉強で覚えこむには練習量が必要です。

したがって塾もここに力を注ぎます。最近は学校も
練習量が大切なことを考えてこられました。

もちろん個人差が大きいのですが、とある一定量の
練習が必要であることは間違いありません。
機械的な練習はあまり面白いものではありませんが
必要です。スポーツにも似たところがありますね。

ただし練習量ばかりを求められると勉強がイヤに
なってきます。
また、すでにマスターできて必要の無い人に他の人
と同様の練習をやらせるのもよくありません。
そこで、個人の進度にあわせて、進む人はどんどん
進み、それによって到達感を与えようという公文式
などの方法が登場しました。
(この辺り、私の独断と偏見かもしれません)

一斉授業の欠点も補えるし、なかなか優れたやり方
でしたので全国を席巻しました。イヤ、しています。

ところが逆に、考えることを抜きにして、反復練習
ばかりを好む生徒が生まれてきたのです。
本来、面白くなかったものを面白くしたために
皮肉にもこういうことが増えてきたのです。

こんな生徒でもテストをすれば一定の点数はでます
から本人は安心しています。
場合によっては「考える子」より点がよいのです。

私は不安ですね。
もしかして、本当は分かっていないのに、マルなのだ
から分かってると錯覚しているかもしれないのです。

学年が上がるにつれ成績が下降したり、計算はできる
が応用ができないという、考えてみれば奇妙な生徒が
増えている原因の一つではないでしょうか。
(明日へつづきます) 9.7


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