どんな自分か

2015-07-01 16:06:49 | 塾あれこれ
何回か「コ」の字の意思伝達について書きました。
当初は、最後に「自分が書くと言う事」は何だ、
としてシメようというものでした。

ところが、そこが自分でもよく分からないのです。
どうも、書きにくい。


もともと自分の胸の中にあるものを表現すると
表現された物は、本来言いたい事とズレを生じています。

しかも自分ではズレに気付きにくく修正が効きません。

佳い表現者はそこを縮めることの上手い人。
凡人には、できません。
できそうで、できない。


一時期、読みとり手の自由を強く認め
「誤読の権利」というものが、もてはやされました。

別に、表現者の意図する方向通りに読む必要はありません。
誤読は作品の広がりを示す、ンだとも。

読むほうがそれなら、書く方も自由。何でもアリ。
・・・でも躊躇しますよね。

無責任じゃないか。


しかし(A→A’)の難しさを思うと、誤読説にも惹かれます。


が、やはり発信者はそれなりに真摯に構えるべきだ、と。
(A→A’)での切磋琢磨は大切なことではないか。

・・・この辺りまでは良いのです。

では、何がお前にとってのAなのか。
なぜそれを発信する必要があるのか。

多くの人が月並俳句を詠みます、あれは何?

私も川柳や俳句らしきものに挑戦しますが
以前の考えはどうであったか?

なぜ、俳句をするのか・・自分のため、である
よって他者は気にしない
季語などの勉強も不要、
人と違うことなど不要、平凡でよい
日記をつけるようなもので気楽に
強制的に、毎日ン句なんてことはしない

こんなものでした。

でも、もっとも肝心な、なぜ書くかに答えていません。

誰にでも多少はある、自己顕示欲?
そうじゃないと、言えるかなあ

句集を出したり、投句したりしないのは、?

・・ただ、コケたくないだけで、自己防衛ではないか。


そんなイジイジした状態は(A→A’)を半分放棄していて
何しろ、話になりません。

かと言ってド下手なものを発表するシンケイはない


未来の自分へのメッセージ・・?
それも言い訳なので、いま他者へ発表しても良いのです。

たまたまブログをしていて、その中に川柳を入れていますが
そのブログも、いったなぜ書くか。。。。

塾の宣伝で始めた、とか、民主主義の手段、とか。

いま書き続ける理由としては弱いですね。


例によってシマラナイ話で、すみません。

画家が、絵の好きな人が、美しい花を見て、さっとスケッチする
なぜ、なんて不要。
あんな心境が羨ましい日々です。

トコさん

2015-07-01 14:11:27 | 塾あれこれ
所ジョージ、大ファンです。
TVのバラエティは、ほぼ見ないけれど。

所さんは私とは趣味、生き方が「マギャク」

音楽は分からない、自動車も分からない、
自由な発想の面白さも羨ましいばかり・・

関東人のあっさりした良さがテンコ盛りの方です。

たぶん、それゆえ、つよく「憧れる」のでしょう。


70年代、所さんが出たCMが記憶に残ります。
たしか会社の女性事務員に、このCMの所ジョージって
面白い、と言ってたいへんに軽蔑されたことを覚えています。

JRか地下鉄の車両に座っている所さん、
そのまま後ろ向きにひっくり返り、窓の外へ放りだされ・・

バスター・キートンを意識した演技だったでしょう。
バカバカしいけれど、粋。
その先の、所ジョージという生き方を象徴していたようです。


ジョージは柳ジョージにあやかったとか。
佳いミュージシャンでしたねえ。

所さんの曲にも胸に沁みるものがいくつもあります。


NHKFMのジ・アルフィーの番組にゲスト出演して
いました。
1時間の間、オシャベリと自分たちの曲ばかり。

1曲だけ他人の曲を流しました。

吉田拓郎の『夏休み』

佳い趣味ですねえ。泣けます