短歌ひとつ詠めず国語の先生?

2015-03-04 14:38:58 | 塾あれこれ
句ひとつ捻れないで国語が教えられるか、でも同じです。

上から目線でお説教というのではありません。
現に私だって句はおろか詩すら書けませんでした。

そのくせ「文系だから国語は教えられるだろ」と言われ
何も不思議に思いませんでしたね。

その頃にもしも「和歌一つ詠めないで国語を教えるな」
などと言われたら、盛大に反論してたでしょう。

国語は論理だ、とか、実作と評論は別の世界だ、とか。

英語を喋れない英語教師がゴマンといた時代です。
「教える」ということが(専門部門)としてあった?

しかし、野球が嫌いな人が野球を本当に教えられるか?
ピアノが嫌いなピアノの先生ってアリか?
絵が大好きな美術の先生に出会いたいですよね。

つまり、教科書の短歌を教えると言いながら、
自分ではスカとも感じていない国語の先生でよいのか?

もちろん本当はサッカーが好きなのに野球を教えてる
なんてことも決して悪いわけではありませんから
短歌が分からない国語の先生だっておられるでしょう。

ただそのこととと、努力をしないで良いと言うことは
まったく別問題なのです。

私は10年以上も国語を教えながら上記の努力には
気がつくことすらありませんでした。
恥ずかしい限りです。

なまじ塾の先生は学校と違い自分のための時間が多いので
どう教えるかに集中できるのが却って良くないのでしょう。

目先のことばかりにとらわれてしまっていました。

短歌なら、およその意味を教え、覚えなさい、で
お茶をにごしていたようです。

日本語の宝石、を教えることができません。
伝統文化も。

好き嫌いすらはっきりしないのです。
まったく分からないのですから。


ジマンになりますが、近頃、有名な歌の好き嫌いが
出初めてきました。

少しは分かるようになったのか?

それも怪しいけれど、今更手遅れだよね。