体罰はいけないと言う立場をとるにしても
機械的にただ暴力を振るわなければよいというもので
はありません。
人の心に関わる事ですから。
心を傷つけようとすれば眼差しだけでも可能です。
お役所としては決まりがいるのでしょうけれども
作ったとたん、それに縛られてしまいます。
もっと大切なことが隠れてしまうのですね。
◎
その反対の立場もあります。
TVなどで「体罰せよ」と叫んでいる一部のコメンテ
ーターがおられます。
しかし、それだけでうまくゆくとは到底思えず「お気
楽な発言で商売になるなあ」と思います。
ご自分は身内や弟子をぶん殴ってよろしいのでしょう
けれどもヒトサマがどんな気持かは想像されないのか
無視されているのか。
○
そんなテレビを見るほうがいけませんか?
単に上沼やたかじんが面白いので見ているのでは
ありますが、若干の心積もりもなくはないのです。
それは別の機会にゆずりましょう。
「ぼくらが子供のころは先生なんか軍隊上がりで
ビシイっとしとた。それでええんや。」
こんな発言をザコビッチがしていました。言いたい
事は伝わりますが、果たして全面的に正しいか?
疑問が大いに残りますね。
軍隊がよかったのか、そこでの教育が良かったのか?
その中で体罰がよかったという根拠はあるのか?
ただ戦前の教育に良い部分があったというだけかも
しれないし、戦後の日本が壊れすぎているのかもしれ
ません。
マスメディアでの発言は、たとえバラエティーでも
繰り返し流れると時代の気分を左右します。
できればもう少し考えて欲しいですね。
◎
教える事には強制力を伴う関係があると書きました。
けれども全て一方通行であるわけではありません。
ここで改めて触れるのも恥ずかしいほどの常識ですが
「教える」ということは「教えられる」ことです。
生徒をきちんと一人の人間として認め、リスペクトを
して初めてものごとが正しく伝わると思います。
経験が少なく、知識も少ない人には大人から教える
ことが多いでしょう。
だからといって一人前でないとは言えないのです。
自分たちの中学時代を思い返せばよろしい。
一人の人間ではありませんでしたか?
◎
一定の強制力を伴った仕事をしていると錯覚しやすい
のです。生徒へのリスペクトが欠けがちになります。
だから「こども」よわばりは良くないのです。
半人前と思ってしまい生徒から教わるという意識が
薄れるのです。
自分も未熟な人間であると思えなくなるのです。
そのような「権力者」にただ腕力を認めて教育が
成り立つでしょうか?
戦前だって、やみくもにぶん殴っていたわけでは
ありません。立派な教育者は違いました。
力がないものほど暴力に頼ります。
◎
繰り返しますが完璧に禁止などとは思いません。
人間として自己の全存在をかけてぶん殴らねば
ならぬこともあるでしょう。
浅い考えで機械的に禁止するから妙な社会ができる
と思います。