いつかのつづき

2007-04-25 22:38:54 | 塾あれこれ

体罰はいけないと言う立場をとるにしても
機械的にただ暴力を振るわなければよいというもので
はありません。
人の心に関わる事ですから。
心を傷つけようとすれば眼差しだけでも可能です。

お役所としては決まりがいるのでしょうけれども
作ったとたん、それに縛られてしまいます。
もっと大切なことが隠れてしまうのですね。


その反対の立場もあります。
TVなどで「体罰せよ」と叫んでいる一部のコメンテ
ーターがおられます。

しかし、それだけでうまくゆくとは到底思えず「お気
楽な発言で商売になるなあ」と思います。
ご自分は身内や弟子をぶん殴ってよろしいのでしょう
けれどもヒトサマがどんな気持かは想像されないのか
無視されているのか。

そんなテレビを見るほうがいけませんか?
単に上沼やたかじんが面白いので見ているのでは
ありますが、若干の心積もりもなくはないのです。
それは別の機会にゆずりましょう。

「ぼくらが子供のころは先生なんか軍隊上がりで
ビシイっとしとた。それでええんや。」
こんな発言をザコビッチがしていました。言いたい
事は伝わりますが、果たして全面的に正しいか?
疑問が大いに残りますね。

軍隊がよかったのか、そこでの教育が良かったのか?
その中で体罰がよかったという根拠はあるのか?
ただ戦前の教育に良い部分があったというだけかも
しれないし、戦後の日本が壊れすぎているのかもしれ
ません。
マスメディアでの発言は、たとえバラエティーでも
繰り返し流れると時代の気分を左右します。
できればもう少し考えて欲しいですね。


教える事には強制力を伴う関係があると書きました。
けれども全て一方通行であるわけではありません。

ここで改めて触れるのも恥ずかしいほどの常識ですが
「教える」ということは「教えられる」ことです。

生徒をきちんと一人の人間として認め、リスペクトを
して初めてものごとが正しく伝わると思います。

経験が少なく、知識も少ない人には大人から教える
ことが多いでしょう。
だからといって一人前でないとは言えないのです。
自分たちの中学時代を思い返せばよろしい。
一人の人間ではありませんでしたか?

一定の強制力を伴った仕事をしていると錯覚しやすい
のです。生徒へのリスペクトが欠けがちになります。

だから「こども」よわばりは良くないのです。
半人前と思ってしまい生徒から教わるという意識が
薄れるのです。
自分も未熟な人間であると思えなくなるのです。

そのような「権力者」にただ腕力を認めて教育が
成り立つでしょうか?

戦前だって、やみくもにぶん殴っていたわけでは
ありません。立派な教育者は違いました。

力がないものほど暴力に頼ります。


繰り返しますが完璧に禁止などとは思いません。

人間として自己の全存在をかけてぶん殴らねば
ならぬこともあるでしょう。

浅い考えで機械的に禁止するから妙な社会ができる
と思います。