お前に言われたかない

2007-04-03 22:29:11 | 塾あれこれ
対人関係での距離感。

物理的な距離もあります。
人と人との間は一定の距離がないと落ち着きません。
文化により遠い近いがあるとも聞きます。
欧米より日本は距離が必要でしょう。
同じ日本でも戦前と今とでは違うでしょうね。

心理的な距離もあります。
これが遠いと、話す内容が紋切り型になります。

ある程度混んだ電車内で子供を座らせるか。
私は個人的には座らせるのは好みません。

日本は古来、子供に甘いようです。
幕末に日本を訪れた外国人が等しく述べていますね。
日本は子供天国であると。
(モース『日本その日その日』ほか)

それでも今ほどではなかったはずで最近は躾のなって
いないご家族をしばしば見うけます。

大騒ぎをしていれば注意をしても変ではありません。
ただ、座らせているくらいで見知らぬ人に言えるか?
「子供は立たせましょう」と。

ちょっと言えませんよね。

ところが心理的に近ければ言えます。
いとこになら「子供を立たさんニャ」と。

もちろん、同じイトコでも心理的な距離によるでしょう。

お店で惣菜を買いました。
外食はしないけれどタマに買うことはあります。

硝子ケースの中に大皿があり、そこにあるものを
パックしてもらうのです。
その時、店の人が皿の外へ商品を落としました。

落ちた所は別に汚くはないのですが、それとは別の
ものをパックして下さる。
件の品は大皿の手前、店側にちょっと仮置してレジへ。

そこへ別のお客が来て同じ商品を頼まれました。
(お買い得品だった・・)

すると、別の店員さんが先の仮置したのをパックへ。

ここで「言うか、言わないか」

これも心理的な距離感です。

お客が私の知った人ならば、当然言います。
あるいは馴染みの店なら言えます。

そうでなければ言いづらいかナ?

子供のころ我侭だったのは繰り返し書いてきました。
つまりモノゴトが見えていなかった。

距離感が悪いといいましょうか、
たいした友達でもないのに人の真似をして気安く
あだ名で呼んで「お前にゃ言われたかあなー」
と尾道弁で言われておりました。

人と人の間にはグラデーションが掛かっており
更には時間とともに移ろいます。
この把握ができてなかったのですね。


同じことを異なる人間から言われこちらの反応が違う
ということはよくあります。

苦手の体育で、先生から「何をしてる」とか言われた
事は半世紀経った今でも不愉快な記憶です。

正しい事を言っても名誉毀損ということがあります。

私が体育のM氏に「お前に言われたかねえ」でした。


本来「~について述べる」という場合、主題の定義
から書くのが普通でしょう。

ただし、連続して変化が続き、無限の微妙な差があり
条件によって動くような事象を、ひとつの定義で括る
ことは余り意味がないと思います。

学校で仕事をする場合は必要でしょう。
「~を体罰とする」とかね。

でも、必要だからと線引きすることが却って複雑な
現実を混乱させているのではないでしょうか。

罰、強制や排除、イジメ、えこひいき、冷たい対応
相手の心を傷つけるという意味では「地続き」で
あるようなことを定義してどうしますか?

もっと有効な手を打つためには、アプローチを変え
る必要があるのです。

私は「心理的な距離」がキーだと思います。

「お前に言われたくない」の反対。

心理的に近ければ誤解は減り、意思が通じ合い
殺伐たる人間関係は生まれません。

どのようにして近い心理関係を作るか
信頼される大人がいいのか、
仲間のような教師がいいのか、
「教育とは」という考え方をしっかりさせて
仕事のありかたを決めるべきでしょう。