「潔い」は死語?

2007-04-09 22:34:39 | 塾あれこれ

いつからこうなったんでしょう?
昔から色々な方はいらっしゃったと思いますよ。
けれども最近はひどすぎないか、と感じるのです。

潔い、という言葉、今の若い子に教えようと思っても
難しくなってしまったようですね。

「職責を全うするのが責任をとる」ですって。。。

場合によってはありうることでしょう。
ただ、みんな責任逃れでこれを言うのですね。
私が勝手にそう断ずるだけですけれども。

還元水で説明責任を果たし?ズルズルと外圧に押され
るしかノウがなくて、どんな職責ですかねえ?

「苦渋の決断」なんてのもよく言われましたね。
立場上、やむを得ず、ということラシイ。

分りますよ。・・・ただねえ、
「だったら四の五の言うな。弁解するな、引きうけろ」

責任感が充満しており、皆がギリギリの我慢をしてる
日本はそんな国であってほしいものです。


井上成美という軍人がいました。

阿川弘之に本があるそうです。米内光政、山本五十六と
トリオを組んでいたのでそんな本でしょうね。多分。
私は宮野澄の本『最後の海軍大将』を読みました。

昔の人に後から、良い悪いを言っても仕方がないと思い
ますが、下記のことから信頼できる人間と感じます。

海軍で英語を教えることを止めさせなかった。
無理な和訳はよくない、と教えていた。
開戦に反対であった。

戦後は公の場に一切出なかった。
近所の子供むけに英語塾をして清貧のまま死んだ。

海軍大将といえばタイヘンな存在です。
それが自らの責任のとり方として上記を選んだ
ということ。信頼するに足る、と思うのです。

戦後、自殺をするという責任のとり方もありました。
違う形で厳しく生きることも潔いと思います。
井上成美の生き方もひとつでしょう。

残念ながら多くの人は違う生き方をされた。
そのことが現在の日本にDNAのごとく残ったの
ではないか、潔くなさが。

獲得形質が遺伝子に入りこむとは申しません。
潔さの遺伝子が欠けていしまったのは間違いなさそうですね。

(まったく途中です。続きます)