風上にも置けない

2007-04-05 22:32:25 | 塾あれこれ
子供は殴ることができたとしても大人はできません。
おおかた犯罪になります。
プロの厨房などではまだあるようですが社会ではなか
なかそんなことはないでしょう。

昔より剣呑な世の中になっていますが、後輩を殴る
大学生が同じ調子で恋人に手をあげられるか?

気持のありようが左右するわけですね。
相手を対等以下にみなせば手を出し易い。
人間として見ているかどうか。

学校で生徒を「こども」といいますが私には違和感が
ある言葉遣いです。

経験はすくないけれども立派な人間です。
発達途上の「こども」視は感心しません。
学校で禁止されている体罰がなくならない一因かな?

家庭では親が手をだすことがあるかもしれません。
これは教師がそうするのと少し違いがあります。
人間関係の心理的な距離が違うのです。
親と教師とどちらが「出し易い」か、自明ですね。


殴ると自分の手も痛い。
物理的に痛いというより、いやな感じが残ります。
ずっと長い間。

手を出した者に神様が与える罰です。

だからこそモノを使って殴るのはよくありません。
無神経になって歯止めがきかないのです。


心理的に近い人には手が出ません。
出るときはよほどの場合です。

ショックも大きいですが、後で回復する可能性も
大きいのです。
(理不尽なことは別です)


逆に、手が出るということは心理的に距離がある
ということです。

進学塾に勤めていたころは手が出ました。
特に最初の5~6年まで。

自分に教える力がなかったのです。
その上周囲もみな暴力的でした。
言うことをきいてくれない、おそれを抱いていた
と思います。

殴られた方は「迷惑」ですよね。
ほんとうに申し訳なく思っています。

もちろん意味もなく手を出したことはありません。

塾によっては、わざと殴るところがある筈です。
「気合を入れる」ためにわざとビンタする。
まるでヤクザじゃありませんか。
それも女の子なら「効く」そうです。

これを、人の風上にもおけないといいます。


同じ手が出るにしても、人間として許せない場合
になら仕方ないことがあると思います。

そんな時に「規則がどうこう」とか権利条約とか
頭に浮かべて躊躇する方が良くありません。

ただし、結果責任はとりましょう。

今の日本に最も欠けている態度ですが、この話
明日に続きます。