近過ぎても良くない

2007-04-17 18:20:26 | 塾あれこれ
心理的な近さが大切と書きました。
けれども近すぎてもよくない、という話です。

教育をするということは、とある方向から伝達する流
れがあり、一定の枠の中での文化の伝達であるゆえに
ある種の保守的な面を持ちます。

もちろん一方通行「だけ」などという考えではありま
せんので少しだけ続けてお読み下さい。

強制力というとキツイ話ですが、守ってもらうべき
ことがあるのです。

小さな例で、近年言われている「ナニゲニ」。
日本語を使う以上そのお世話になっているのですから
恩を仇で返しすような使い方はいけません。

今日は上沼のおしゃべりクッキングで、辻の教師が
「塩をマンベンに振る」と仰っていた。天下のテレビ局
もチェックが入らないのでしょうね。

(万遍に、でよいという話もあります。
 私には異論がありますがいつかの機会に)

生徒がよく言う「書けれる」
可能動詞「書ける」が使えません。
可能表現では「見れる」なんて多いですね。

最近気に入らないのは「なので」を接続詞で使う事。

いちいち直すのは大変ですが小言幸兵衛にならねば
なりません。
文句は団塊の世代の得意技のように言われていますが
実はまだまだ不充分。もっと言うべきです。

更に40代以下の「何も言わない」は責任放棄。
嫌われるのがイヤだからというのはトンデエモナイこと
なのです。大人には責任と義務があるのですから。
尤も何を言うべきか、分らない人も多いようでは
ありますけれども。

言葉に関して私達の団塊世代自体、語感に狂いがあり
ます。
若い頃にはダメ出シを受けました。
私なぞ言われると不満でしたね。

いまの生徒もダメを出されると不満でしょう。
それでも、きちんと矯正すべきことなのです。

八代目正蔵がある時人前で弟子を叱っていました。

(脱税して余り反省してないのは別人。彼は三平の
息子、九代目正蔵ですが、まだコブ蔵だな。
地下室に証拠を隠してどんな顔で人情噺ができる?
脱税は人間的に最悪の行為の一つです。)

ま、八代目に戻りましょう。

弟子「え~皆様、お箸はございますか?」

八代目のジジイが奥から飛んで出てきましたね。
木久ちゃんの真似するあの震え声で
「バカヤロウ。お箸というやつがあるか。」

仮にも江戸落語をする者がそのような言葉遣い
はいけないという趣旨です。

おナントカは基本的に関西弁が多い。
江戸でも「お」は使いますから、何に付けるか
付けてはいけないか、その感覚を身につけねば
ならないのです。

オ握り、はいけない。モノを施すわけじゃない。
ニギリメシと言え、とかね。
(ちなみに、おむすびはいいですよ。)

語感とは難しいものです。


心理的近さ、の話なのにまた横道になりました。

一定の強制力を持たせるには、妙に心理的に近く
なりすぎても難しい、、では・・
などという話を続けなればいけませんのに

・・・ここで時間となりました。

続きは明日ということで、失礼いたします。