昨晩、中国河北省秦皇島市でU-21日中サッカー国際親善試合が行われました。
6月に秦皇島市に徐福つながりで出かけたとき、2008年の北京オリンピックのサッカー会場の一つが秦皇島にあるということをお聞きしていましたので、昨夜は日本に向けて、秦皇島のサッカースタジアムのお披露目といった意味合いもあるのかなと思い、楽しみにしていました。
本当は私はサッカーは全くわからないのですが、秦皇島からの衛星中継ということですから、放映中に徐福のことが話題にならないとも限りません。そのことが気になって、熱心に見てしまいました。
…実際、途中で秦皇島の地名由来や「始皇帝が不老不死の薬を求めて…」と徐福の話題が登場したようなのですが…「ようなのですが」というのは、残念ながら、ワタルの明日の練習試合のために、泥だらけの野球の練習着を洗って干しているわずかな間にその話があったようです。サトルが「おい、いま徐福のこと言ってたぞ」とベランダまで報告に来て、あららと思いました。また、昨日の朝日カルチャーセンター受講生の皆さんには秦皇島の話をし、きっと街の概観が紹介されるでしょうなんて期待をさせてしまいましたが、そんなことはありませんでしたね。残念!
さてそれでも、日中の若い選手たちは動きが早く、後半日本が一気に点をとりましたが、とても気持ちのいい試合を見ることができました。そして何事もなく試合が終わり、正直、ホッとしました。
というのは、数日前、新聞で日本大使館が邦人の観戦に注意を促がしているという記事を見ましたし、このところ靖国の問題も次の代に受け継がれようとしています。私は徐福を通してしかわかりませんが、間違いなく、日中間・日韓間は政治的には最悪の状態だということはひしひしと伝わってきています。試合の流れの中で雰囲気が悪くなれば、過去のことも思い出されます。
しかし、こんな不安は思い過ごしでした。試合は実に気持ちよく(私のようなサッカー素人には、とても楽しいゲームでした)、日本では22:00からの放送でしたが、中国では生放送だったとお聞きしました。
とにかくこれまで、日中関係は政治的にも経済的にも良好で、徐福研究に身をおく私には、この良好な関係が徐福をその友好交流の象徴として語らせていると考えてきました。ところがこの2年ほど、誰が見ても関係は悪化しています。私たちの間では、もうこれ以上悪くはならないだろうと言っているくらいです。
しかしここに幾分か、私には嬉しい誤算がありました。徐福は日中関係の良好な状態を示すために使われてきていたことから、関係悪化とともに、徐福は取り上げられることがなくなるだろうと考えていたのですが、徐福は決して消えていこうとはしていません。かえって、徐福に託される思いが強くなっているように思います。
いつの間にか、私たちは政治的な関係に左右されることなく、地道に民間の交流を重ねる力をつけて来ているのではないかと思います。中国と日本ではなく、一人の中国人と一人の日本人が国境をものともせず超えていくことができているのではないかと思います。
上海音楽学院で教鞭をとっている谷村新司さんが『人民中国』2006年8月号でこんなことを言っています。
現場を知らないで、発言だけする人がいる。
そういう人のコメントは、やはりずれているケースが多い。
それが活字になって、正しいと思ってしまう。
だから「自分の目で確かめるのがいいのでは」と、僕はいつも言っているのです。
この言葉には実感があります。現場を知る私たちが、「邦人の観戦に注意を促がしている」なんて言葉にハラハラしていては情けない。私たちの地道な積み重ねを自信にして、これからを考えたい!そんな風に思いました。
6月に秦皇島市に徐福つながりで出かけたとき、2008年の北京オリンピックのサッカー会場の一つが秦皇島にあるということをお聞きしていましたので、昨夜は日本に向けて、秦皇島のサッカースタジアムのお披露目といった意味合いもあるのかなと思い、楽しみにしていました。
本当は私はサッカーは全くわからないのですが、秦皇島からの衛星中継ということですから、放映中に徐福のことが話題にならないとも限りません。そのことが気になって、熱心に見てしまいました。
…実際、途中で秦皇島の地名由来や「始皇帝が不老不死の薬を求めて…」と徐福の話題が登場したようなのですが…「ようなのですが」というのは、残念ながら、ワタルの明日の練習試合のために、泥だらけの野球の練習着を洗って干しているわずかな間にその話があったようです。サトルが「おい、いま徐福のこと言ってたぞ」とベランダまで報告に来て、あららと思いました。また、昨日の朝日カルチャーセンター受講生の皆さんには秦皇島の話をし、きっと街の概観が紹介されるでしょうなんて期待をさせてしまいましたが、そんなことはありませんでしたね。残念!
さてそれでも、日中の若い選手たちは動きが早く、後半日本が一気に点をとりましたが、とても気持ちのいい試合を見ることができました。そして何事もなく試合が終わり、正直、ホッとしました。
というのは、数日前、新聞で日本大使館が邦人の観戦に注意を促がしているという記事を見ましたし、このところ靖国の問題も次の代に受け継がれようとしています。私は徐福を通してしかわかりませんが、間違いなく、日中間・日韓間は政治的には最悪の状態だということはひしひしと伝わってきています。試合の流れの中で雰囲気が悪くなれば、過去のことも思い出されます。
しかし、こんな不安は思い過ごしでした。試合は実に気持ちよく(私のようなサッカー素人には、とても楽しいゲームでした)、日本では22:00からの放送でしたが、中国では生放送だったとお聞きしました。
とにかくこれまで、日中関係は政治的にも経済的にも良好で、徐福研究に身をおく私には、この良好な関係が徐福をその友好交流の象徴として語らせていると考えてきました。ところがこの2年ほど、誰が見ても関係は悪化しています。私たちの間では、もうこれ以上悪くはならないだろうと言っているくらいです。
しかしここに幾分か、私には嬉しい誤算がありました。徐福は日中関係の良好な状態を示すために使われてきていたことから、関係悪化とともに、徐福は取り上げられることがなくなるだろうと考えていたのですが、徐福は決して消えていこうとはしていません。かえって、徐福に託される思いが強くなっているように思います。
いつの間にか、私たちは政治的な関係に左右されることなく、地道に民間の交流を重ねる力をつけて来ているのではないかと思います。中国と日本ではなく、一人の中国人と一人の日本人が国境をものともせず超えていくことができているのではないかと思います。
上海音楽学院で教鞭をとっている谷村新司さんが『人民中国』2006年8月号でこんなことを言っています。
現場を知らないで、発言だけする人がいる。
そういう人のコメントは、やはりずれているケースが多い。
それが活字になって、正しいと思ってしまう。
だから「自分の目で確かめるのがいいのでは」と、僕はいつも言っているのです。
この言葉には実感があります。現場を知る私たちが、「邦人の観戦に注意を促がしている」なんて言葉にハラハラしていては情けない。私たちの地道な積み重ねを自信にして、これからを考えたい!そんな風に思いました。