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肖向前さんが10月15日お亡くなりになったという報に接しました。1972年の日中国交正常化時に日本に駐在し連絡役を務めた方で、91歳とのことです。
私には1972年のそうした印象はなく、覚えているのは1994年だったと思います。北京で行われた徐福の国際会議で肖向前さんとお会いしました。参加されている日本人の方が何人も「国交正常化の調印の頃、何度もテレビや新聞で拝見しました」と肖さんに挨拶されていたのを覚えています。
この1994年の国際会議中、肖さんは繰り返し「どうですか?」「困ったことがあったら言ってください」と、参加者の中で一番若かった私のことを気遣ってくださいました。声をかけてくださるときのあのニコニコ顔、今も心の中にあります。
思い出すのは2002年、同じく徐福の国際会議の開会式のことでした。来賓として登場した肖向前さんは舞台に上がるのに杖をついていました。開会式が終わり、ゆっくりと階段を下りた時に私を見つけてくださって近づいてきてくださって、「足が悪くなってしまってね。」「逵さんはお元気でしたか?お子さんは大きくなった?」「住所が変わったんですよ」と足を止めて新しい名刺をくださいました。
思い出すのはニコニコといつも笑っていらしたこと、とてもきれいな日本語で話をされていたこと、こうして徐福に集う方が一人減ってまた一人減ってというここ数年の状況に、ただただ寂しい思いがします。あのころのことをきちんと記録しておかなくてはと思うのと、こうして周りの方が気遣ってくださって私は楽しませていただいていたこと、今度はもう私自身がその役目をしなくてはと思います。
肖向前さん、どうぞ安らかに。
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009101600387
追記:他の作業をしていて、なつかしい写真を発見。2002年の開会式後、肖向前ご夫妻と一緒に撮った写真です。ほんと、いっつもこんな笑顔でいらっしゃいました。
私には1972年のそうした印象はなく、覚えているのは1994年だったと思います。北京で行われた徐福の国際会議で肖向前さんとお会いしました。参加されている日本人の方が何人も「国交正常化の調印の頃、何度もテレビや新聞で拝見しました」と肖さんに挨拶されていたのを覚えています。
この1994年の国際会議中、肖さんは繰り返し「どうですか?」「困ったことがあったら言ってください」と、参加者の中で一番若かった私のことを気遣ってくださいました。声をかけてくださるときのあのニコニコ顔、今も心の中にあります。
思い出すのは2002年、同じく徐福の国際会議の開会式のことでした。来賓として登場した肖向前さんは舞台に上がるのに杖をついていました。開会式が終わり、ゆっくりと階段を下りた時に私を見つけてくださって近づいてきてくださって、「足が悪くなってしまってね。」「逵さんはお元気でしたか?お子さんは大きくなった?」「住所が変わったんですよ」と足を止めて新しい名刺をくださいました。
思い出すのはニコニコといつも笑っていらしたこと、とてもきれいな日本語で話をされていたこと、こうして徐福に集う方が一人減ってまた一人減ってというここ数年の状況に、ただただ寂しい思いがします。あのころのことをきちんと記録しておかなくてはと思うのと、こうして周りの方が気遣ってくださって私は楽しませていただいていたこと、今度はもう私自身がその役目をしなくてはと思います。
肖向前さん、どうぞ安らかに。
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009101600387
追記:他の作業をしていて、なつかしい写真を発見。2002年の開会式後、肖向前ご夫妻と一緒に撮った写真です。ほんと、いっつもこんな笑顔でいらっしゃいました。
いつも微笑みを絶やさず、やさしく貴女に接しておられた肖先生でした。ご冥福をお祈りいたします。
あのときにあの場にいた方、本当に少なくなってしまいました。あの時の司会の通訳さんは南京から呼び出されていたのですが、私を徐福に合わせてくださった通訳さんだったのも驚くべき偶然でした。その方とは去年蘇州で再会しました。たくさんの方との出会いがあっていまがありますね。
NASAさん、次は必ずご一緒しましょう。