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矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

2016年5月19日筑紫野市天山経由で佐賀へ

2016-05-20 08:04:18 | 徐福伝説
2016年5月19-20日の日程で第3回徐福文化国際研究協議会佐賀大会があり、佐賀に来ています。
この大会は徐福伝説を世界文化遺産に!という呼びかけのもと、韓国、中国、日本という順番で開かれているものです。

19日朝、福岡空港に到着した私は、佐賀行き高速バスの乗り場でこれから徐福の温泉=武雄温泉にいくという大阪の徐福仲間Iさんと一停車場までご一緒し、筑紫野下車。
そこには「天山(あまやま)ふれあい会」のIさんが待っていてくださいました。

実はもうずい分昔から筑紫野に「童男丱女岩」(どうなんかんじょがいわ)があるという文献記録はあったのですが、全国にはここに徐福にまつわるこんなものがあったんだよなあとという話は多く、ここもそれを伝える人がいるということを聞いたことがありませんでした。
数年前に筑紫野の「童男丱女岩」があったという話を聞いたのですが、機会がなく、
3月に佐賀で日本徐福協会設立の会議があったときに、管理をしているというボランティアグループ「天山(あまやま)ふれあい会」の方たちにお会いすることができました。

というわけで、佐賀入りする前に筑紫野の「童男丱女岩」を確認です。
迎えに来てくださったIさんは天山で自治区会長をつとめて8年になるそうで、
「童男丱女岩」を見に来てくれてありがとう!というような
天山を愛している感じがにじみ出ている方です。
ちょっと山登りになるからと靴と靴下まで準備してくださっていました。感謝感激!
さあ出発!

10年ほど前にIさんら八天会(はってんかい)=天山の8人の会(飲み会?)のみなで
昔、山の上に岩あったなあ、登ってみるかと登った時にはもう荒れ果てた状態だったそうですが
いまはその会が名実ともに「発展」して、天山ふれあい会という50人ほどのボランティアグループになって、いろいろと整備を進めています。ですから、行く気になったらだれでもハイキングと思って出かけることができる場所になっています。これまでであった「徐福の会」ではないところもこの天山の面白いところです。

20分ほど山を登ると見晴らしのいいところに出ました。(パノラマ撮影)
ここに「童男丱女岩」がありました。

切り立ったところにあるので、遠景で撮れないのが残念。
この石、組んでおいてる感じがしませんか?

なんでもIさんらは徐福の岩なんて聞いたことはなくて、
「東南官女岩」(とうなんかんじょいわ)と言っていたんだそうです。
それでもなんかこの石は中国(東南の方角?)から何かが来たというおぼろげな話はあったそうですが。
小さい頃は薪が必要で、共有林のあるここまで来て、
この岩のところからは薪になる木を持って草スキーで一気に降りていったんだそうです。
昔からの遊び場でもありました。

それで一体どんな岩なんだとインターネットで調べ始めて、「東南官女岩」ではなくて「童男丱女岩」なのかと知ったということです。
こういうこと、これからもおきてきそうな感じです。
そうそうもう少し下のところには船繋ぎ岩と呼ばれるところもありました。


こうした伝説の生まれるところにある共通したことや歴史など、
また農業用水に関わるようになって、その地域の人たちの水の問題なども思いを馳せることができるようになったことで
あれこれと話は盛り上がり、
人気のお蕎麦屋さんで仕上げをして、Iさんお手製のブルーベリーワインをいただいて佐賀に向かったのでした。

晩は集まった中韓日の徐福関係者との夕食会。
早速、天山に行った話をさせていただきました。


こういうところに出ていくと、徐福を取り囲む人たちが新たに増え、逆に出てこれなかった人たちのこともまた思い出します。
今回は中国の徐福の連続ドラマの撮影班がたくさん来ています。60回もの連続ドラマとのこと。
成功するといいですね。


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