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ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

勝幡おこわまつり

2008-03-08 08:31:46 | その他の研究・調査
春到来、穏やかな日差しの中で、今年も地元のおこわまつりが始まりました。こもにまかれたおこわが最後に砕かれ奪い合う祭です。
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おこわ祭り準備 コモ編み

2008-02-11 23:29:56 | その他の研究・調査
七宝町の「おこわ祭」から帰ってきて、午後からは我が地元神社のこちらは3月8日(例年は3月第2日曜日ですが、今年は土曜日)に行われる「おこわ祭り」の準備のコモ編みを行いました。

遅くなりましたが「おこわ祭り」とは五穀豊穣の祈願祭で、おこわ(蒸した餅米)を樽に入れて綱で巻き(これがコモ編み)、そのコモに包まれた樽を石などにぶつけて割り、その餅米を取り合うという祭りです。

先ほどの記事にある写真を見ると、何年も使っているコモの上に新たに編みこんでいき、一升の餅米が入らなくても10キロを超えそうな勢いでした。
午後、こちらのコモは毎年新品を使うので、事前に当日樽が入る前までを編んでおきます。こちらは2キロくらいでしょうか?ずっとスリムです。

それにしても家から5分のところでの調査ってとても楽です。そしてわざわざ東京からいらしているMさんに「わざわざ遠方から」と感心しました。いつも自分が「わざわざ」と言われる立場ですが、こうして地元側にたってみると、研究者という存在がその場に与える影響はあるなあと分かりました。
だって、本日のコモ編み、終わったあとでの話では最短記録で編めたんだそうです。いつもなら休憩時間があるのに、地元の役員の方がいらしたり、調査の方がいらしていて、休む雰囲気じゃなかったとか。
こうやって祭りは少しずつ外部の方たちの目線を感じていくことでしょう。

地元のみなさん、ありがとうございました。
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おこわ祭in愛知県七宝町下之森八幡社

2008-02-11 23:10:51 | その他の研究・調査
先月、宮崎でたまたま「師走祭り」の調査をしている時に、地元の「おこわ祭り」保存会会長Kさんからお電話をいただきました。隣町の「おこわ祭り」に保存会のみんなで見学に行くことになったから一緒に行きませんかとのお誘いのお電話でした。宮崎からの対応だったので、すっかり地元保存会の方には祭りの調査で全国歩いているような印象を与えてしまったようですが、そんなことは全然ないのです。
本日2月11日、愛知県七宝町下之森八幡社で行われる「おこわ祭」に2台の車に分乗して出かけてきました。(遠方の方も七宝焼きの七宝町と言ったらわかるでしょう?)

この「おこわ祭り」は尾張西部で行われる祭りとして、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の文化財」指定が数年前になされたのですが、地元の方たちにとっては自分たちの祭りであったものが、新たな重みを持ってきたために様々な努力や工夫がなされようとしているところです。

今回、近くで同じ名前で行われている祭りを拝見し、同じ名前でも随分違うなあと興味深く拝見しました。どのように変わってきているのか、今のうちに聞いておかなくてはならないことは地元にも七宝町の祭りにもありそうです。
そしてそうした地域間の祭りの担い手の交流が新たな祭りの形態も作っていくことでしょう。
自分のテーマに沿った調査だけでなく、地元の調査をすることで新たに見えてくることもあることが良くわかった一日でした。
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今夜は「楊貴妃の墓」を見よう

2007-12-16 15:11:39 | その他の研究・調査
今夜2007年12月15日(日)のテレビ番組の紹介です。
NHKで23:45からやっている「未来観測 つながるテレビ@ヒューマン」の中で10分ほどらしいのですが、山口県油谷の「楊貴妃の墓」が紹介されるそうです。

この情報はGoogleアラートの「徐福」で珍スポット探訪・普通の旅に飽きたあなたへというブログが送られてきたことで知りました。
読んだところ、キリストの墓や徐福の墓などの候補もあった中での楊貴妃の墓の放送決定だったそうで、だからGoogleアラートの「徐福」にもひっかかったのでした。

実は私、上記のブログの題のように普通の旅に飽きているわけではないのですが、父が山口県徳山市に単身赴任時代、加藤恵『楊貴妃漂着伝説の謎』(自由国民社)を読んで、油谷にあるという楊貴妃の墓が見たくなって、母と父のところに訪ねた際、3人で墓を見に出かけたことがあるんです。そのときは道を歩いている人に尋ねても首を傾げられて、本当にあるのかなあとぐるぐる周辺を車で回ったものでした。そしてようやく見つけた「楊貴妃の墓」は、今年流行の言葉を使うなら「どんだけー」というもので、まさかまさかの墓?でした。

ところがそれから20年近く経ち、昨年でしたか、國學院大學の口承文芸の調査グループが油谷に入った際にはそれはもう楊貴妃で有名になっていて、中国西安にある楊貴妃の像と同じ像もあったり、公園までできていたそうで、パンフレットをお土産にいただきました。
徐福をやっているのだからこの楊貴妃ネタもきっと喜ぶだろうと思ってくださるところ、あたっています。

というわけで、夜遅くまで起きていたら、今夜は山口県の「楊貴妃の墓」を楽しみましょう。ここ愛知県にも「楊貴妃の墓」あるのだけれど。
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2007年11月25日 勝幡お鍬祭り

2007-11-25 15:59:56 | その他の研究・調査
10月はじめ、退院して自宅に向かう車の中で、見かけなかった「祝 勝幡お鍬祭り」のノボリがいくつも近所の家の前に出ていることに気づきました。毎年地元勝幡神社で行われているのは「おこわ祭り」。「おくわ祭り」って何?

日本民俗学大辞典に拠れば御鍬祭とは「尾張・美濃・飛騨・三河・遠江など中部・東海地方で17世紀以後、ほぼ60年ごとの壬戌・丁亥の年に流行した五穀豊穣を祈る祭。」とのこと、1631年以後行われ、前回の流行は1947年のことという。つまり今年がそれから60年目にあたったのです。
既に大須など、他の地域でも行われており、その様子は名古屋テレビなどでも紹介されています。

地元にいると面白いのは、そうした祭りを日々の暮らしの中で誰がどのように動き出し、周囲がどのように受け入れていくのか、祭りにどういう人たちが足を運んでいるのかが実に細かくみえてくることです。(逆に日常から抜け出せず、「なんで祭り見にきたの?」と話しかけられたりもするのですが。)

それにしても60年前なら記録がないこともないだろうと思いましたが、
10時に勝幡神社から勝幡コミュニティセンターまでの十数分のお練り行列(勝幡保育園児によるマーチングバンドが中心になり、先頭は写真のような木製鍬を肩にした4人、バンドの後には神輿、そして婦人会の方たちが法被を着て歩きました)をしたあとはコミュニティセンターの駐車場を舞台に、勝幡小学校の金管部の演奏、和太鼓演奏、鳴子踊り、大正琴、愛西音頭と続きます。
大正琴をやっているころからコミュニティセンターのそばの田で、畝田作りの再現や野ら茶も行われました。
畝田作りはこの勝幡ではもうできる人は数人になってしまったとのこと。見ている方たちが「昔はどの家もやっていた」とおっしゃるので、じゃあできるんじゃないですか?ときいたら、「見てはいたけど、自分にはできない」と返ってきました。そうかあ、身近で見てはいても理屈は分かっていても、身体で覚えていなくてはできないんだなあとわかりました。目の前でなくなっていくというのはなんとも寂しいものですね。

最後に講話「織田信長誕生の地 勝幡城」がコミュニティセンターで用意されていたのですが、残念ながらこれから別のところに出かけないといけなくて帰ってきました。もし参加された方がありましたらお話お聞かせください。
コメント (2)
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