暖かい一角に、オオイヌノフグリが可憐な花を咲かせ始めた。
戌年の私としては、「犬のふぐり」なんぞという名前を付けられたこの花に、とても愛着を持っているし、また気の毒とも思っている。
この花は暫くの間、被写体として私を楽しませてくれる。
この可憐な花に元気を貰いながら、日々を大切に、慎ましやかに生きて行きたい。
病み多きこの身いとほし犬ふぐり ひよどり 一平
(やみおおきこのみいとおしいぬふぐり)
暖かい一角に、オオイヌノフグリが可憐な花を咲かせ始めた。
戌年の私としては、「犬のふぐり」なんぞという名前を付けられたこの花に、とても愛着を持っているし、また気の毒とも思っている。
この花は暫くの間、被写体として私を楽しませてくれる。
この可憐な花に元気を貰いながら、日々を大切に、慎ましやかに生きて行きたい。
病み多きこの身いとほし犬ふぐり ひよどり 一平
(やみおおきこのみいとおしいぬふぐり)
快晴だったが、最高気温が9度という寒い日だった。
ウオーキングには何よりの日和。
しかし、なんとも気が進まなかった。心を励まして、小さな梅林へ行った。
思ったよりも梅は咲いていた。紅梅のほうが白梅より、咲き具合が進んでいた。
良い写真は撮れなかった。写真の出来は、カメラマンの心境を反映するものらしい。
しかも左手に震えがあり、これは手ブレの原因だ。なんとか治さなければならない。
このまま帰れば、ほぼ一万歩になりそう。一日のノルマは達成できたかもしれない。
でもそんなことで、色彩のない詰まらない一日が、やっと半日ほど過ぎた。
梅が香ややっとここらで六千歩 ひよどり 一平
(うめがかややっとここらでろくせんぽ)
この頃、喧嘩が下手になった。下手になったというより喧嘩が弱くなったのだ。
喧嘩ってのは深くを考えず、とっさに動くものなのだが、そのあたりの敏捷さに欠けている。
もともと、喧嘩になるとは思っていなかったのかもしれないな。
しかも、勝ち負けにこだわっている様子もないし・・・・、。
こんな喧嘩じゃァ、負けるに決まってらァ。
春まけて喧嘩上手も老いにけり ひよどり 一平
(はるまけてけんかじょうずもおいにけり)
「春まけて」は春の季語。「春を待ち設けて」から転じ、「春になって」の意とか。
ここのところ、鬱々として楽しくなかった。原因のあらかたは分かっているつもりだが、解決は私自身の手で行うしかない。
気晴らしのつもりで、日曜日の午後、公園へ行ってみた。雪が融けずに残っていた。
紅梅を撮るつもりで行ったのだが、固い蕾のままであった。例年より遅いか?
雪が融けない公園にしては、駐車場に車が多かったし、人の出も多いように思えた。
その人たちは、散歩の老人風でもなく、子育て風でもなかった。
しかも、一様にスマホを覗きながら、のそのそと動き回っていた。
「新しいポケモンがいるのですか?」 恐る恐る尋ねてみた。
「えー、レアものがいると聞いたものですから……」 答えが返ってきた。
まだブームは終わったわけではなかったのだ。
自分を棚に上げて偉そうには言えないが、まだまだ日本は余裕がある。
公園に椿事出来寒の明け ひよどり 一平
(こうえんにちんじしゅったいかんのあけ)
そう言えば、付近の田んぼで、下のような季節はずれの光景に出会った。
新しい装いなので、捨てた案山子ではなさそうだ、
何かのおまじないなのだろうか?
あまり結構な気晴らしにはならなかった。
気晴らしに効くクスリはないか!
クスリが駄目だったら、酒をタップリやって、歌の50曲も歌うか!!
私は昭和一桁生まれ。とうに80歳を越えてしまいました。
この歳になれば、妥協に妥協を重ねながら、馬齢を重ねているのが日常です。
自分の主義主張を言い張るなど、ほとんどなくなっています。言い分を通すのは、自分の歌うカラオケの曲目くらいです。
そのほかのことについては、言われっぱなしが実態です。
そんな私でも、妥協できないことの幾つかはあります。なんというか、こだわりであり一種の美学です。
そのこだわりや美学が、誰かとの間で衝突すれば、破綻が生じますが、それはやむを得ない。生きるって、そんなものです。
他人様から見たら、下らないことと思うかもしれませんが、私にとって、空気を吸うことと同じように重要なのです。
つまり、舐めて貰っちゃァ困るんです。
梅が香や迷ふことなく進みたし ひよどり 一平
(うめがかまようことなくすすみたし)
写真は湯島天神の梅の花。平成28年2月9日撮影