新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
愚にもつかない身辺雑記や俳句で遊んでおります。
お目に留めて下されば嬉しいです。

蒙昧な悲観的暴論

2014年08月26日 09時57分45秒 | 身辺雑記

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      ゆく河の流れは絶えずして、しかも、

      もとの水にあらず。

      よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、

      かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

      世の中にある、人と栖(すみか)と、

      またかくのごとし。

   鴨長明による「方丈記」の書き出しだ。

      「水は絶え間なく流れているが、

      つねに元の水ではない。

       水に浮かんでいる泡も、生まれては消え、

       元の泡ではない。

       人も人の生活も、同じようなものではないか」

  私はこの名調子が好きで、つねに「方丈記」を手元に置いている。

  この頃の異常気象や災害のニュースに接し、また手に取りたくなった。

  読み進むにつれて、なぜか安堵感に包まれる。

  「無限の宇宙や地球や、生きとし生けるものすべては、もともと組み込まれたプログラムに基づいて、単に動かされているだけではないのか?」

  「病気になって死ぬことも、手術に成功して生きることも、すでにプログラムに組み込まれているのではないか」

  「今さらジタバタしても始まらないのではないか!」

  まさか「方丈記」にはそのような書かれ方はしていない。

  プログラム云々は、私のヤケクソ的な勝手論だ。

  人類の祖先である最古の猿人は、今から1000万年~700万年前、アフリカで誕生したらしい。  二足歩行を得た先祖たちは、幾つかのルートを辿り、それぞれのルートに応じて進化し続け、今日に到ったのだろう。

  類人猿から猿人に進化したときから、今日までのプログラムが決まっていたのだろうか。

  なぜプログラムなどを言うか、つまり、人類は、余りにも愚かしいことを繰りかえしているからだ。

  過去に学んでいる様子は見えない。災害対策もしかり。戦争もしかりだ。

  ついつい、「人間は滅びの道筋をプログラムに従って歩まされている」と、下らないことを口走ってしまうのだが………。

  しかし我々人類は、過去に学び今後を展望して、勇気をもって、発展の道筋を辿っていかなければならないのだろう。

  かなり過酷なことになるのだが。

  まァ、いいか!それはそれとして………。

  私にとって「方丈記」は、母の胎内に戻ったような安堵感を与えてくれるのです。

  写真は隅田川。遠くにスカイツリーが見えている。

 

 

 

コメント (4)
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