ゆく河の流れは絶えずして、しかも、
もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、
かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある、人と栖(すみか)と、
またかくのごとし。
鴨長明による「方丈記」の書き出しだ。
「水は絶え間なく流れているが、
つねに元の水ではない。
水に浮かんでいる泡も、生まれては消え、
元の泡ではない。
人も人の生活も、同じようなものではないか」
私はこの名調子が好きで、つねに「方丈記」を手元に置いている。
この頃の異常気象や災害のニュースに接し、また手に取りたくなった。
読み進むにつれて、なぜか安堵感に包まれる。
「無限の宇宙や地球や、生きとし生けるものすべては、もともと組み込まれたプログラムに基づいて、単に動かされているだけではないのか?」
「病気になって死ぬことも、手術に成功して生きることも、すでにプログラムに組み込まれているのではないか」
「今さらジタバタしても始まらないのではないか!」
まさか「方丈記」にはそのような書かれ方はしていない。
プログラム云々は、私のヤケクソ的な勝手論だ。
人類の祖先である最古の猿人は、今から1000万年~700万年前、アフリカで誕生したらしい。 二足歩行を得た先祖たちは、幾つかのルートを辿り、それぞれのルートに応じて進化し続け、今日に到ったのだろう。
類人猿から猿人に進化したときから、今日までのプログラムが決まっていたのだろうか。
なぜプログラムなどを言うか、つまり、人類は、余りにも愚かしいことを繰りかえしているからだ。
過去に学んでいる様子は見えない。災害対策もしかり。戦争もしかりだ。
ついつい、「人間は滅びの道筋をプログラムに従って歩まされている」と、下らないことを口走ってしまうのだが………。
しかし我々人類は、過去に学び今後を展望して、勇気をもって、発展の道筋を辿っていかなければならないのだろう。
かなり過酷なことになるのだが。
まァ、いいか!それはそれとして………。
私にとって「方丈記」は、母の胎内に戻ったような安堵感を与えてくれるのです。
写真は隅田川。遠くにスカイツリーが見えている。