「老」という言葉を考えてみた。
言うまでもなく、「幼」に対する言葉で、「老」は老いたこと。
「老人」、「老女」、「老骨」、「老妻」、「老嬢」などは、老いた人を表す言葉だ。
転じて、「老醜」、「老衰」、「老耄」、「老残」、「老眼」など、老いたことによる身体的、精神的な状態を表す言葉に使用されている。仕方がないことだが、どう考えてもマイナスイメージだ。
一方、更に転じて、「老獪」、「老巧」となれば、永年の経験を巧みに活用するによって得た強かさを表しているようにも感じられる。これとて、あまり褒められた言葉とは言えない。
言葉の好き嫌いを語ってはいられない。私はすでに「老人」であり、「老骨」であり「老眼」もかなり進んでいる。もちろん、きっと「老残」を晒しているに違いない。
「老」は避けられずに背負っている現実だ。「老獪」では困るが、「老練」とか「老巧」などの術を駆使して、迷惑をかけずに生きたいものだ。
花や葉を落としても、なお悠々と美しい老い方なないものだろうか。
たとえば、「老麗」などでもいいのだが。
先日、次のような句を捻ってみた。
裸木のこぶ悠々と老いゆけり 鵯 一平
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