人間って、何だろうかなあ。
時々思ったりします。
哲学的な思索なんぞではありません。
単純な疑問です。
辛いから思うのかもしれません。日々の辛さに耐えかねたとき、怨みがましく思うのです。
もちろん、答えが聞こえてくるはずはありません。虚しくなるだけです。
目玉や口や手や足は、バラバラに動いてはおりません。誰かの命令で動いているのです。
もちろん、その「誰か」は「私」です。
「私」が命令を出して、「私」を動かしています。
「私」の命令によって、「私」は苦しんでいるのです。「私」を苦しめているのは「私」です。
だとすれば、「私」の考えによっては、「私」が変えられるかもしれません。
これはほんの思いつきです。
「私」を動かしているのが「私」なら、「私」は「私」を変えられるかもしれない。
「私」が上手に変われれば、辛さから逃げられるかもしれません。
辛くなるたびごと、「私」はそんなことを思います。
仄かな望みなのかもしれません。いいえ、ほんの思いつきなのです。
そのように思いながら、ずっと生きてきました。
強く立派な人の魂は、まっ赤に燃えた炎かもしれません。黒光りのする塊かもしれません。
「私」の魂は、もし仮にあったとしても、きっと頼りないものに違いありません。
たましひの光りの仄か芒かな 鵯 一平
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戯れた文章にもかかわらず、過分なお言葉をありがとうございます。
強くなくていいのだと、開き直っております。
私の魂は、仄かな光り。見え隠れの鬼火。
しかし、簡単に消えるつもりはありません。
人が見ていないところで、ふーっと吹きます。
秋らしく心にしみるいい『句』をよまれますね~。
すすき野を 別けて入って行けばらくになるかなとも思わせますね。仄はすぐに読めず辞書をくりました。
泣いたり笑ったり、怒ったり、全部私自身のなせること、泣かないで笑おう、怒らないで笑おう
ひよどりさん程の方でも,仄かと思われるんですから私が頼りないのはあったり前
開き直っていきますよ~
本当に強い人です。
写真もすてきですねぇ。
お褒め頂き嬉しいです。
「私」の卑小さに嘆きがありますが、これも持って生まれたものです。
自分のちっぽけさを忘れたり、時にはひどく認識させられたりしております。
ノーベル賞を取られた方も、悩みはあるのでしょうね。
もっとも、方向と大きさは違うでしょうが。
コメントする場面ではありませんが、「作文1」「作文2」には参りました。
褒めて頂き嬉しいです。