青紫蘇や慕情は遠き母のこと ひよどり 一平
(あおじそやぼじょうはとおきははのこと)」
・・・・・・・
亡き母との思い出の一つに、艦砲射撃の夜がある。六十余年も前のことだ。
終戦の年の7月某日の深夜こと。父は仕事の関係で家にいなかった。
アメリカ第七海隊の艦砲射撃を受け、大降りの雨の中、母が弟の手を引き、私は三歳の妹を抱いて山のトンネルへ逃げ込んだ。
私は国民学校五年生で、弟は三年生であった。
後で知ったことだが、その艦砲射撃は少し離れた軍需工場のある街を狙ったもので、わが町に被害はなかった。
父母は既に亡く、母に手を引かれて逃げた弟も他界した。実家は、敗戦の後に生まれた末弟が継いでくれている。
あの頃はかなりの食糧難で、狭い空き地に南瓜やさつま薯などを育てていた。
紫蘇もあったかもしれない。
・・・・・・・
今日は朝早くから東京へ。
コロナ感染を考えれば行きたくないのだが、私の敵はコロナだけではない。
郷愁が掻き立てられるようです。
「青紫蘇や慕情は遠き母のこと」
人生って長いですね。
いえ、あっという間かもしれません。
最近はいろいろ思うことが出てくるものです。
振り返ってみると、長かったんだなという実感になります。
私も色々と考えます。