私の中学校時代、3年生にはマラソン大会があった。
もちろんフルマラソンではない。10キロほども走ったろうか。
それでも競走と銘打つので、遅れをとるわけにはいかない。
密かに練習をすることになった。60年も前のことなので、どの程度の練習だったのか、今は覚えていない。
同じ地域に住む同級生が、暗くなってから集まった。H,T,K,Sと私の5人。明るい時間帯は練習がしにくかった。子供なりに、メンツがあったのだ。
星が綺麗だった。満天の星。天の川も流れていた。寒かったところを考えると、12月に入っていたのかも知れない。
練習コースは単純だ。小川の脇の道を上流まで走り、橋を渡って対岸を戻ってくるコースだった。街灯はないので、星明かりが頼りだ。
一斉に走り始めた。私だけがドンドン遅れた。友人たちは先へ行ってしまった。
馴れた道筋なので、迷うことはなかった。恐怖心もなかった。とは言え、一人ぼっちはやるせなかった。焦りもあった。
小川の傍らを上流へ向かって走り、橋を渡って対岸を戻ってくるだけの話なのだ。
つい、悪知恵がよぎった。小川のこちらの岸から向こう岸へ、ポンと跳び移れば、走行距離がかなり短縮できる。私を追い越して行った連中の前に跳び出せる。魔法使いみたいなことになるではないか。川幅は1メートル程度なので、頑張れば跳び越せる。
この誘惑には勝てなかった。この季節、蛇がいる恐れもなかった。
しかし満天の星とは言え、向こう岸の状態はよく見えなかった。
「おっ、ここがいいぞ!」 土手がこちらへせり出している状況の対岸だった。わずかに白っぽく見えた。
若干の助走をしてから、「えいっ!」と跳んだ。
ボチャーン!!
土手と思ったのは、竹の笹であった。私はずぶ濡れになった。
ややあってから、同級生たちが走ってきた。
ずぶ濡れの私を見て、彼らはすべてを知ったようだ。やはり「急がば廻れ」は至言なのだ。
マラソン大会の結果は、当然のことながら私が最下位だった。
いや、正しくは最下位が2名。H君が私と肩を並べてゴールをしてくれたのだ。へんな友情だった。
そのH君は、2年前、肝臓癌で他界した。T君も昨年、糖尿病の合併症で亡くなった。
K君は腹部動脈瘤の手術をしたが、現在も地元企業の社長で活躍している。S君とは年賀状だけの付き合いだ。
60年の歳月は長い。
それにしても、私は昔からドジだったようだ。
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悪いことが出来なく生まれついているのです。
とかなんとか、えらそうなこといいました。
でも、ひよどりさんは、やっぱり良いお人です。
懐かしい子供の頃の思い出と故郷の風景を
笑ってはいけませんねぇ~
失礼しました
誰にでも多少なりありそうな考えですが
川ポチャッは辛いですね冷たさも加わって !(^^)!
でもおかしい
川にぽちゃんは、寒かったでしょう
風邪ひきませんでしたか?
今になっては、これも懐かしい思い出ですね~
一緒に、走った方が今は亡く、または病気だったり
人生いろいろ、懐かしい思い出走馬灯
ドジな思い出、今は笑えますもの
思い出いっぱい楽しいですよ
よい人とは褒められ過ぎです。
ずるいことをしようとして、ドジを踏みました。
普段からよく知っているつもりなのに、焦っていたのでしょうね。
いいえ、存分にお笑い下さって結構ですよ。
一夜漬けの練習をしようとしたところから、やはり心得違いでした。
12月ごろでしたから、寒かったと思いますが、その寒さは忘れました。
高校時代にもマラソンのドジがあります。
五寸釘とわら人形とは凄い話ですね。
それは驚いたことでしょう。
怖かったから人に言えなかった気持ち、理解できそうに思います。
終電に乗り過ごして、20キロも歩いたとは、これもまた大変でしたね。
始発がきたので、乗って帰ったというところ、申し訳ないが、とても愉快です。
どうしても笑います。
お出で下さいまして、ありがとうございます。
駄文を書き連ねており、弾かしい限りですが、今後ともよろしくお願いします。
たまに会っても兄弟以上に話が弾む。
小学校入学から 中学校卒業まで 9年間一緒だったのでなお更です。
ひよどりさんも懐かしくて良い思い出がありますね。
60年経ってもつい昨日のように思い出せるのはそれだけ絆が強かったのでしょう!