子供のころ、凧揚げと言えば、当然ながら手作りの凧だった。
竹を切って、まず籖(ひご)を作った。
その籖を組見合わせて糸で結び、凧の骨組みを作ったのだ。
それに和紙を貼れば、凧のできあがりだった。
もちろん、「絵」や「字」は、自分で書かなければならない。
「風」と書いたり、「勝」などと書いた。
ほかに、「戦意昂揚」となる言葉を書いたかもしれない。今は覚えていない。
肝腎なものとして、忘れてならないのは尻尾だ。
細く切った紙を、凧に貼り付けなければならない。
糸は太めの木綿糸だったように思う。戦争末期ごろは、あまり手に入らなかった。
揚げる場所はいたるところにあった。主として田んぼだった。
滑稽なほどの一途さいかのぼり 鵯 一平
なにぶん子供の手作りだ。思い通りには揚がってくれない。
クルクルと廻ってしまったり、初めから地面を這ってしまうのもあった。
写真の凧は、幼稚園児の手作りだった。もちろん、保護者の手も入っているはず。
30人ほどの内、うまく揚がったのはこの2つだけ。
揚げていたのも父親だった。
ウルウルしそうな光景だった。
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いております。
ご覧いただけると嬉しいです。
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手作りの凧、いいですね。凧上げしている親子を見て、思いを胸に一句作られたひよどりさんの優しいお心づかいが、嬉しく思います。
ところで、「いかのぼり」という呼び方のいわれをお教えくださいませんでしょうか。
真っ青の空に揚がった手作りの和風凧、いいですね !
50年前を思い出しました。
ひよどりさんの尻尾は紙で作成したようですが、私は「シュロ」の葉を裂き、繋いでいました。
そうそう、昨年、家内と院展の帰りに日本橋の「たいめいけん」の小皿料理を食べにいきましたが、その経営者が「凧の博物館」を3階で経営しており、見学してきました。
世界と全国の凧が約3,000点飾られおり、そのスケールにビックリ。勿論手作り凧で、「日本凧の会」の事務局とのこと、お近くに行かれました是非、伺ってみてはどうですか?
場所は東京都中央区日本橋一丁目です。
心に沁みますね。
竹から籤を作られたとは…籤は買う物だと思っておりました。
今年は一度も凧上げを見ておりません。
凧揚げ・・子供の頃私も女だてらに
やりました。 走ってはいけない・・といわれましたが、気が短い私は、早く挙げたくって走ってしまいました。
タコ作り思い出しますネ、貼り付ける糊は、ご飯粒をつぶしたもので、代用した記憶があります。
尾は、長いほど飛ぶとか言って、新聞紙を切って、繋ぎ足しをしてました。
昨日の尊崇の思いに、今朝夢見て目を覚まし、確認せずの二重投稿にご容赦を…、ボケ現象です。
「いかのぼり」のいわれ、不勉強なので詳しくは知らないのです。
江戸時代よりも前は、タコとは言わず、イカと呼んでいたようです。
タコと呼ぶようになったのは、江戸時代以降だったと何かで読みました。
今でも、長崎では「ハタ」と呼び、三条では「イカ」と呼んでいるようです。
私の子供のころ、尻尾は紙を細く切って作っていました。
尻尾が如何に大事か、作ってみてよく理解できましたね。
3000点の凧の博物館は凄いですね。
いろいろな「もの」や「こと」にこだわり、蒐集したり研究している人がいるものですね。
折がありましたら、日本橋へ行ってみます。
私の子供時代は、物資や食糧が不足していたので、手作りが多かったのです。
鳥籠「小鳥を飼う籠」も手作りしていた時代ですから、籖作りは日常的でした。
今はその根気がありません。
風が弱い日には、走らなければ揚がりませんよね。
まずは走りました。
揚がり始めれば占めたもので、ずんずんと揚がっていきます。
今は場所探しが大変でしょうね。
そうそう、尻尾を長くしましたね。
小学校のそばの田んぼで、諏訪神社の参道を走りながら、凧揚げしたのは、もはや幻のごとしです。
高く揚がっているのは、ずっと年上の人だったように記憶しています。