秋に入ったというのに、とてつもなく暑い。温暖化現象なのでしょうか。
エアコンを運転し続けても、温度は一向に下がらない。
しかし、そのような状況でありながら、公園などの木立で鳴く蝉の声に、時には秋の気配を感じたりもします。
法師蝉の声などに、一瞬の秋を感じます。願望がそう思わせているのかもしれませんが。
夏の盛りを過ぎて聞く蝉の声には、生命の限りを鳴き尽くそうとしている一途さがあります。
それがまた、哀歓を誘うのでしょう。
今日もまた暑そうです。
暑いながら、午後には雷雨が来そうだとも言われています。
夏の甲子園も、いよいよベストエイトが出揃います。
子供たちの夏休みは、まだまだ10日間以上も残っています。
きっと宿題の焦りはないでしょうね。
秋蝉の声に、残暑さを感じるか、移る季節への哀れを感じるか、果たしてどちらでしょうか。
ことさらに生き急ぐなよ秋の蝉 鵯 一平
別館として、写真俳句ブログの「ひよどり草紙」を開いてます。
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「猛暑と子守」は堪えますね。
円が高くなり、ますます不況になって行き、失業率も悪化しているのに、民主党の選良たちは、軽井沢のおボッチャマの別荘で、「気合だ!気合だ!」と叫んでいたとか。
イヤになったを通り越して、絶望的です。
自民党が悪いので、牽制もできずにおります。
検察の動きを牽制するため、小沢氏は立候補を考えているらしい?
あまりにも国民を愚弄していませんか?
ヒグラシが啼けば、かたや鈴虫もと、夏から秋への狭間にいます。
猛暑と子守り疲れで、さすがにバテました!
どうやら、また小沢氏が浮上してきましたよ。
軽井沢での鳩山邸では、烏合の衆が右往左往!
世間は、熱中症でバタバタ倒れてるし、問題は何も片付いてないっ!
国民は、声を高くしてこっち向け!と言わなくちゃ!
ゆっくり休養して、英気を養ってください
戦争に関する報道は、忘れたくないという一面もあると思います。
私自身は、やや思い出話として、回想的な雰囲気で書いてしまいます。
見飽きた人や、もういいではないかと思っている人がいても不思議はないと思います。
しかし、忘れてはならないと思います。
日本の場合、どんどん内向きに、反省や謝罪の雰囲気が多くなってしまいます。
むしろ、そのことが気になります。
日本はことある毎に、謝罪を繰り返すことが、平和指向と思っている愚かさを感じます。
朝晩は少しではありますが過ごし易くなりつつあるような気がします。
しかし、これからが長いような気もしています。
日中の冷房が不要になる日が待ち望んでいます。
法師蝉も暑さに強くなっているのかもしれませんね。
先日、80過ぎの女性3人ほどとお話をする機会がありました。
戦争に関する報道は読む、見る気がしないと言っていましが。
気持ちが分るような気がします。
人気稼ぎ、視聴率稼ぎで弄ばれているようにさえ感じます。捻くれているのでしょうか。
蝉は儚いですねえ。
しかし、本人(本虫)の感覚としては、地中生活があるので、儚いとは感じていないかもしれません。
蝉の鳴き声、カナカナなら寂しいですね。
蝉に苦しいことが多いのかどうかわかりませんが、はかないからこそ、懸命に鳴くのでしょう。
無粋、無風流な私は暑さを感じるほうかもしれません。
夫氏の季節感にビックリします。
暑いか寒いかではなく、入り日で季節を感じるとは素晴らしい。
「身も細る」・・・?
これ以上細ってどうするのですか?
お盆が過ぎたら、朝夕には秋風が立って欲しいのです。
宿題の作文も書きにくいですね。
「送り火をした次ぎの日、全国的に猛暑だった」では、風情がありません。
宿題の中で、私は「絵」と「工作」がイヤでしたね。
親父に本立てを作ってもらいました。
暑いから外出するという発想はユニークですが、よく考えると一理ありますね。
かなりおかしな発想で、とても愉快です。
この蝉は、探すのに苦労することが多いです。
今日の暑さも格別ですね。
お孫さんたち、もう宿題に取り組んでいるのですか。
かなり早手回しですね。
ああ、秋が近づいていると感じているのでしょう。
でも、でも、暑いです。身も細る思いの残暑です。
蜩の声が涼しげで好きです。
写真がまたいいですね。ひよどりさんの優しい眼差しを感じます。同感です。
わたしも、エアコンを終日運転して故障でもしたらどうしよう・・と心配になります。
なので、少しは休ませようと電車に乗ったりしています。可笑しいでしょ?
秋など、まあだまぁ~だずうと先にありそうです。
我が家の孫たちも宿題に頑張っています。
楽隠居は楽しながらバテぎみです。