過日、実家を継いだ弟から、母親の50回忌について連絡があった。
もう50年も経ったのだ。「50年も経ったのか」というより、「へーえ、ずいぶん昔だったんだよなァ」との思いだ。
50年前と言えば、社会人としての2年目だった。あの頃の感懐は、すでに淡いものとなっている。
私の父は、生来の下戸だった。お猪口一杯でまっ赤になる。それ以上は飲めない。
そのDNAを受けていたからか、学生時代の私は、アルコールが大の苦手だった。ビール一杯でも飲もうものなら、大変なことになる。小間物屋を開いてしまったりする。
母親はそんな私の体質を、密かに心配していたようだ。
実家に戻るたび、父親に隠れるようにして、私に酒を勧めた。
しかし私は、銚子1本の酒が飲めなかった。半分も飲めなかった。
「少しは飲めなくてはネ」
母親はよくそんなことを言った。父親の苦労を知っていたのだ。
いつの間にか、私も酒のみの片隅に入っていた。もちろん母親が他界してからだ。母親の兄や弟は酒豪だった。その血筋のわずかが、私を育てたのかもしれない。
遙けきは母の温める燗の酒 鵯 一平
母親とのことは、もはや思い出を超えた。遠い時代の歴史的な事柄のようだ。
50回忌の先は、何回忌となるのだろうか。
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人は死んでから50年経つと神になると。
ですから、50回忌が最後の法要になるようですよ。
母上様はもう仏の世界から神の世界へ入られるのでしょうね。最後の法要を念入りに・・・・・
50年ですか
法要も最後ですね。村の方に聞いた話には、
50年で屋敷のお稲荷様になって見守って下さるという話でした。
その話を聞いてから、
あわててお稲荷さんを大事にしています。
お母さんは何事にも見方でしたね。
私もそんな母になりたいです。
私も飲めない口ですが、若い頃はそんなこと言う
自由はなかったので、無理して飲みました。
それが今では飲むのが楽しいから不思議です。
弱いのは相変わらずです。 ビール、コップに
いっぱいで真っ赤になりますが、お構いなく
ちびりちびり楽しく飲んでいます。
法要は50回忌が最後で、その後は神ですか。
50年はそれほど長いということなのでしょう。
若くして死んだので、子供が法要を営めるのでしょうね。
複雑な気持ちです。
50年の先はお稲荷様になるのですか。
大きな変身ですね。
「千の風」になってくれてもいいですね。
いや、やはり、いまのお墓にいてほしいな。
若い頃は4人に1人の1人だったのですね。
その後は4人の内の3人にはいりました。
今は病後のため、自制しております。
煙草も止め酒も自制し、食欲もコントロールしていれば、窮屈になってしまいます。
少しは弾けたほうがいいですね。
亡き人の命はこの世の人が心に留めてくれる限り生き続けると思います。供養は50回忌などと言わず、53,55回忌と続けられ、早世された母上様の在りし日をお偲びになられることが仏法にかなうと思います。
子を思う母上様の思いやり、泣かされます。
鵯さんが昔アルコールにそんなに弱かったとは知りませんでした。
おふくろさんの優しさ、愛情を、思い起こされる五七五です。
小生が酒に比較的強いこと、父系か母系かと考えたことも無かったです。
50回忌になるのですね
遠い昔もお母さんは何時までたっても
歳をとらない優しいお母さんですね
ご兄弟でゆっくり語り明かしてください
母は何時までも母ですね
おっしゃるとおり、50年で終わるものではありませ。
お墓も仏壇もあるので、子々孫々詣でていくことにします。
まして私の兄弟たちは、思い出を共有しているので、せめて生きてる間は、おろそかにはしません。