7月29日の参院選に向けて、日本国中が沸騰し始めた。多くの課題や問題が、参院選のネタにされている。なんでもかでも政争の具。それが現段階における政治的日常だ。
本来「年金問題」は、外交や安全保障とは別の意味で、政争の具にしてはならない。外交や安全保障は国家経営の根幹であり、長期スパンで定めて置くべきテーマであり、政権が代わるたびに基本スタンスが変更されるのでは、外交上の信頼は確保できない。
「年金問題」は、生活防衛の国民的課題であり、選挙のたびに基本方針が変わるのでは、長期的な生活設計は組めない。まして今回の5000万件問題は、国の対処の失敗なのだ。そのことを潔く認め、官僚も政治家も、与党も野党も、対処策の策定に協同して取り組むべきだ。かかるテイタラクとなったのは、政策を推進する政府・与党の責任であることはもちろんだが、同時に、チェック機能としての野党の責任でもあろう。民主党が、鬼の首を獲ったようにはしゃぐ場面ではない。自治労問題だってあるのだ。プロとして日常業務を進めていた社保庁に、重大な実行責任があることは当然のこと。
「自民党はこのように対処します」とか、「民主党ならこんな制度にします」と、大声で言い合っている場合ではなく、役人の知恵を活用しながら、各党ヒタイを集めて、最善策を策定すべきなのだ。
この問題が今年の2月頃に発覚していたのであれば、民主党は、参院選の攻め道具にしようなどと思わずに、素早く提起すべきであった。政府・与党としては、穏便に内々で処理しようとせずに、公開して対策を論議すべきであった。
国民不在の党利党略を見せつけられた感じで、双方の姿勢に強い憤りを覚える。
急場作りの「年金記録確認中央第三者委員会」が、9日、認定基準をまとめたのだそうだ。政府・与党の選挙向け発表と思えなくもない。姑息な動きをせずに、大計を立てて欲しいものだ。
赤城農相の「事務所経費」問題も表面化した。「なんとか還元水」と同様のスジの悪い話。繰り返し聞かされている国民は、もうウンザリだ。
「政治とカネ」で自殺した松岡前農相の後任が、同じ内容の追及を受けているのだから、呆れた話ではないか。赤城農相の身辺調査はしたのだろうか。
安倍首相の緊張感のなさは心配だ。しっかりした番頭はいないのか。このような人を首相にして、国の安全保障を任せていいのだろうか。つつき出すマスコミの品のなさは相変わらずだが、引っかかる側の無策に不安を感じる。
参院選は、政権選択の選挙ではない。しかし、参院において、野党議員が与党議員を上回ることになれば、予算案にしても法律案にしても、スムーズには成立しなくなり、衆院に差し戻される。そこで3分の2以上の賛成があれば、再可決されるが、かなりギクシャクした政権運営を強いられることになりそうだ。きっと、妥協の場面も多くなろう。それが民主主義と言えばそのとおりなのだが、迅速な政権運営とはならない。
国造り、経済政策、外交・防衛などの基本的な事柄において、「保守」か「リベラル」かの間で立ち往生し、「失われた○○年」を無駄に過ごすことになりかねない。「リベラル」側から言えば、「保守」にブレ掛かった揺れを、「リベラル」サイドに戻したと言うことになろう。これが民主主義なのだが、「主義が栄えて、国が滅びる」こともありうる。私はそれを恐れる。
非常識にも、「憲法9条を守りさえすれば、外国から攻撃されない」と、思い込んでいる「反日的日本人」が、この国には数多く棲息している。いままで9条があったから、外国から攻撃されなかったと思っているらしい。
日本の平和と繁栄は、「日米安全保障条約」に負うところが大きかったのではなかったのか。しかもそのような身勝手さは、もはや許されなくなってきているのではなかろうか。
「日本国は自然権として集団的自衛権を保有しているが、憲法9条により、それを行使することは出来ない」という内閣法制局の解釈から、まだ脱却出来ずにいる日本の愚かしさ。
「日本が攻撃されたら、アメリカの若人の血で守って下さい。なにしろ、日米安全保障条約があるのですから……。しかしアメリカが攻撃されても、日本は応援出来ません。我が国は、集団的自衛権はあるのですが、憲法で禁じられているのです。悪しからず……」。こんなことで近所付き合いが出来るのだろうか。いずれシカトされるに違いない。
参院選は、政権選択ではない。したがって「小沢首相」の実現とはならないと思う。しかし、「政治とカネ」や「年金問題」の影響が大きく出れば、「国のありかた」論議は、しばらくの間タブーとなろう。論議すら出来ない事態となることもあり得るだろう。拉致問題も進展すまい。
税制改正の論議も出来ず、医療制度や介護制度についての基本論議から、遠ざかることにもなりかねない。
予想通り、年金問題はグチャグチャだ。何が何だかさっぱり分からない。次から次と、新たな情報が出てくる。野党議員が、さも新事実を把握したかのように言っているが、とんでもない話だ。野党が示してくる新事実は、「真の実態」の一断面でしかない。解決策を論ずるための必要な「真の実態」ではあるまい。
しからば、真の実態ってなんだ?問われても、答えようがない。おそらく社会保険庁ですら、掴んでいないのではないか。
社会保険庁はもはや死に体なのだ。「やれないものはやれないんだ。どうにでもしてくれ!」とでも言っているのかもしれない。
「年金問題」は、「参院選」から切り離して論じないと、混乱するだけ。このままでは、実態からかけ離れた机上の議論となり、挙げ句の果ては、「取りあえずの対策」でお茶を濁すことになりそうだ。
テレビの前の与野党の議論は、まったく見苦しい。茶番だ。大きい声でやっつけたほうが真実だとでも言うのか。国民を愚弄するな。もっと沈着に、理路整然と説明する態度を求めたい。あなた方は国会議員なのだ。小学校のホームルームよりも愚かしい姿ではないか。
「参院選」の争点から、「年金問題」を切り離したらどうか。衝動的な手柄の取り合いを競演するのではなく、じっくり議論する「プロジェクト」の発足を提案したい。選挙向けの手柄の取り合いではなく、「真の実態」をふまえた論議を進めて欲しい。いまのまま進のであれば、私は「参院選」を棄権する。
なんのかのと言っても、現段階で官僚を制御できるのは、与党しかあるまい。
与党の若手が、膝詰めで野党の若手と議論しながら、一つ一つ詰めて行ってほしい。「ぶっ壊し屋」の小沢一郎が加われば、政局論にしか向かない。
今必要なことは、政局論ではなく、具体的な「収拾策」なのだ。
焦るな、安倍チャン。じっくりやって欲しい。
年金問題が国会論戦の的となっている。野党は、5000万件の不明問題を、政府・与党の落ち度と決めつけ、躍起になって追及している。おそらく野党は、社会保険庁に対し、矢継ぎ早やに資料要求を繰り出しては新事実を掘り起こし、質問のネタを探して内閣の醜態をあからさまにしようとしているに違いない。社会保険庁は、今回の失態で浮き足立ってしまい、組織統制が乱れている。どの党からどんな資料要求が来ているか、把握仕切れずにその日暮らしに陥っているのではないか。
一方の政府・与党は、身をかわす暇もなく新事実を突きつけられ、勘所を押さえた対策案を作れずに、バタバタ慌てふためいていて、眼が虚ろだ。
野党にしてみれば、参院選の肝腎なこの時期、思わぬ大物を釣り上げそうなので、ここをせんどと責め立ている。与野党逆転のチャンスだとばかりに、はしゃぎ捲って攻めている。底の浅い某議員は、「だったら政権を渡してください!」などと、タイミング悪いセリフを口走っていた。品格がない。
ひたすら沈静化を図ろうとしている政府・与党と、望外のチャンス到来とばかりにはしゃいでいる野党では、実の入った議論にはならない。「臭いものに蓋」の政府・与党と「揚げ足取り」の野党。これが国会の姿だ。彼らは、「誰のために議論しているのか」という根っこの目的を見失っている。選挙に勝つために攻めて、選挙に勝つために守っている。
民主主義は多数決。国会で多数を占めなければ、どんな良策も実現しない。だから躍起になるのは分かるが、大事なことは、「国民のためになるのは、どんな方策か」でなければなるまい。時間を浪費しているとしか思えない。これが民主主義の宿命なのだろうか。民主主義はコストがかかる。
国民の望みは、政局より政策なのにねえ。