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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第90回箱根駅伝風景その1

2014年01月26日 | 大森町界隈あれこれ 風景

kan-haru blog 2014 羽田空港線第1京浜国道踏切(1960年)

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第1京浜国道大森町交差点風景
大森町の新年は、第1京浜国道大森町交差点を箱根駅伝が通り、往路の2日朝8時40分頃に箱根に向かう選手団が5分間くらいで通過し、復路はトップの選手が3日午後12時40分頃に通過してから、23校の全選手が通過するまでの45分間は、新聞社が配る旗を振って各大学の力走する選手に声をかけ、応援するのが恒例になっています。

・箱根駅伝の歴史
箱根駅伝は、東京箱根間往復大学駅伝競走と呼び、東京・読売新聞新社屋前から、箱根・芦ノ湖間を往路5区間(108.0Km)、復路5区間(109.9Km)の合計10区間(217.9Km)で競う、学生長距離界最大の駅伝競走です。読売新聞社と明治大学のWeb情報から、過去90回の箱根駅伝の成績を一目で見られるよう編集しました。

 箱根駅伝コースの第1京浜国道前の京浜電鉄高輪駅(1925年開業)

・第1~10回箱根駅伝
箱根駅伝の誕生は、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いから、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設を説いて参加を呼びかけ、それに早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が応じ、1920年(大正9年)に「四大校駅伝競走」の名称で第1回大会が開催され、往路は明大が7時間30分36秒で優勝しましたが、復路は10区で逆転され復路優勝の東京高師が15時間05分16秒で総合優勝しました。1位とは25秒差の大接戦で明大が2位(15時間05分41秒)となり、早大3位(15時間15分31秒)、慶大4位(16時間50分56秒)でした。
1921年第2回大会では7校が参加し、明大は9区で早大を逆転して雪辱を果たし15時間を切り14時間39分01秒で優勝し、以下東京高師、早大、慶大、東農大、法大、中大の順でした。
関東大震災の翌年の1924年第5回大会では、10区の八つ山橋手前で東京高師を抜き去り逆転優勝し、さらに翌年(大正14年)の第6回大会でも2連勝して3度目の優勝を飾りました。1928年(昭和3年)第9回大会では、明大は14時間を切り優勝し、翌年の第10回大会でも2連勝で優勝を果たし5度目の栄誉を得ました。

 第1~10回箱根駅伝成績表

1903年に北品川 - 品川八ツ山 - 品川駅前 - 泉岳寺 - 札ノ辻 - 三田間の駅伝コース上に東京電車鉄道(都電の前身)が開通し、1925年に京浜電鉄が北品川- 高輪駅間を延長して、1933年に東京電車鉄道が北品川 - 品川駅前間を廃止し、京浜電鉄が八ッ山鉄橋を新設して現在の品川駅が誕生しました。

 品川駅前の第1京浜国道を都電が走る(1967年)

・第11~20回箱根駅伝
第11~20回箱根駅伝大会は、早大が優勝4回、2位が3回、3位が1回の活躍で、日大も優勝4回、2位が3回、3、4位が各1回で、両校の活躍が目立っています。この間、明大は2~4位が各1回で、5位2回の他は、6、8、10位と振るわず、第19回の駅では2位に入ったが、6区に起用された選手が二重登録問題を問われ、関東学生陸上競技連盟からチームの一年間の出場停止処分を受けて、第20回は不出場となりました。

 第11~20回箱根駅伝成績表

北品川から八ッ山までの第1京浜国道を、京浜電鉄が走っていました。

 北品川から八ッ山の第1京浜国道を京急電車が走る(1956年)

・第21~30回箱根駅伝
第21~30回箱根駅伝大会は、1940年第21回大会開催の翌年に世界大戦が始まり、1945年に終戦となりましたので、第22回大会は1943年の戦中に挙行されました。明大は第20回の不出場が尾を引き第21、22回と不出場でした。戦前・戦中の大会では日大が優勝を果たしました。戦後復活の1947年第23回大会では、明大は優勝を遂げましたが、多摩川にかかる六郷橋が修理のため、川下の大師橋を渡りました。第24回大会3位で、第25回大会は優勝候補の中大がブレーキで、優勝争いは明早の対決となり、八つ山橋付近で早稲田を逆転し通算7度目の優勝をしました。第26回大会3位、第27回大会2位、第28、29回大会4位、第30回大会5位の良い成績をあげました。この間の成績は、中大が優勝4回を果たしました。
 第21~30回箱根駅伝成績表

1945年4月15日晩の大空襲で、大森町から多摩川まで焼け野原(「大森町界隈あれこれ 大森町大空襲から67年 ガス会社、特殊鋼、森ヶ崎一帯を除いて一面の焼け野原その1」参照)となりました。

 六郷橋から川崎方第一京浜国道を見る

・第31~40回箱根駅伝

第31~40回箱根駅伝大会は、中大の優勝は8回と独走です。明大競走部は、昭和29年12月に部内の紛争により学校側の申し入れにより解散して、第31回大会は辞退となりました。第32、33回大会14位、第34、35回大会不参加、第36回大会10位と不振でしたが、第37回大会5位、第38、39回大会2位、第40回大会9位と復元しました。

 第31~40回箱根駅伝成績表

八ッ山から北品川までの第1京浜国道には、京浜電鉄と東京電車鉄道が走っていました。

 八ッ山から北品川の第1京浜国道を京急電車が走る(1956年)

・第41~50回箱根駅伝
第41~50回箱根駅伝大会は、日体が5回優勝で、優勝4回の日大との争いです。明大は、第41回大会8位、第42回大会10位、第43、45、48回大会15位、過去の優勝校は出場のルールが適用された記念第50回は17位と全く振るいません。

 第41~50回箱根駅伝成績表

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