
kan-haru blog 2013 善光寺山門の扁額
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善光寺詣り
1日目は小布施を見学し渋温泉でくつろぎ、1997年4月に善光寺を訪れた時には、ご開帳と重なり参拝者で混雑のため落ち着いてお参りができなかったので、2日目はリンゴ狩りの後に善光寺詣りへと、信州中野駅10時59分発の長野電鉄に乗車して、11時47分に長野駅へ着き、昼食を頂くためタクシーで善光寺門前の食事処に案内して貰いました。
善光寺門前付近地図(左:善光寺周辺地図、右:善光寺門前地図)
食事処の門前茶寮・弥生座(長野県長野市大門町503)は、善光寺入り口前の西側の横町通りを入った所にあり、1995年(平成7年)12月28日にオープンしたお店です。料理のおもてなしは、信州の食材、旬の素材を取り入れ、各地に伝わる郷土料理や善光寺精進、家庭料理の良さをいかした創作郷土料理を紹介しています。
長野での昼食は善光寺門前茶寮弥生座で(左・中・右写真拡大20121030)
弥生座の建物は、1847年(江戸時代弘化4年)の「善光寺地震」(マグニチュード推定7,4)の直後に建てられた畳問屋を再生したもので、高い天井、太い梁、通り土間、階段箪笥など、長野の町家を楽しめます。
弥生座の由来の「弥生」は、善光寺創建以前、弥生時代からこの盆地に多くの人が暮らしていたことや、善光寺の開祖本田善光の夫人の名前にちなんでおり、「座」には、人々が賑やかに集い、語らう場にしたいという願いが込められています。長野県の伝統的工芸品に指定されている『農民美術』は、信州を代表する工芸品で、手仕事の素朴さやぬくもりを伝える木彫りとして広く親しまれています。(門前茶寮・弥生座HPから)
弥生座に展示の農民美術工芸品の一部(左・中・右写真拡大20121030)
善光寺
善光寺(長野県長野市元善町491)は、山号は「定額山(じょうがくさん)」で、無宗派の単立寺院であり、山内にある天台宗の「大勧進」(住職は「貫主」と呼ばれ天台宗の名刹から推挙された僧侶が務める)と25院および、浄土宗の「大本願」(尼寺で、住職は「善光寺上人」と呼ばれ、門跡寺院ではない代々公家出身者から住職を迎える)と14坊によって護持・運営されており、善光寺の住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務めます。開基は皇極天皇で、創建年は644年(皇極天皇3年)です。
善光寺の参道は、善光寺入り口から本堂までは石畳(敷石)が敷き詰められており、本堂前の敷石は1713年(正徳3年)腰村西光寺住職単求の寄進と、二天門から山門までが江戸中橋上槙町の石屋香庄大竹屋平兵衛の寄進で1713年に完成し、敷石は西長野郷路山産の安山石の総数が7777枚と云われているが、現在およそ7千枚が敷設されており、市の文化財に指定されています。入り口から石畳みを進むと、石段があり、その石段を上ったところに仁王門があります。1752年(宝暦2年)に建立された仁王門は、1847 年(弘化4年)の善光寺大地震で焼失し、1864年(元治元年)に再建されましたが、1891年(明治24年)の火災でまた焼失し、現存のものは1918年(大正7年)に再建されたのけやき造りの高さが13.6メートル、間口が13メートルで奥行きが7メートルあり、扁額に伏見宮貞愛親王の筆で山号の「定額山」と書かれています。
善光寺参道1(左:善光寺入り口からの参道の石畳み、中:善光寺入り口から石段を上がると仁王門、右:扁額に「定額山」と書かれた仁王門20121030)
善光寺の仁王像は通常とは逆で、左側に「阿形」が置かれ左手に金剛杵を持ち右肩を上げており、右側の「吽形」は左手を振り上げて右手をまっすぐのばして、高村光雲と米原雲海の合作による彫刻です。仲見世通りの中央には通路があり、その東方には世尊院釈迦堂があり、そこには等身大の釈迦涅槃像(国の重要文化財に指定) 頭を北にして横臥しています。仲見世通り中央西側には延命地蔵尊があり、見過ごしました。現在の本堂が建立された後の1712年 (正徳2年)に、延命地蔵尊は造立されましたが、善光寺大地震や2回ほど火災に遭い、現在の延命地蔵は終戦後に再興されたものです。昔は、延命地蔵の場所に本堂がありましたが、火災類焼を避けるた現在の場所に移され、その後本堂は火災に遭うことなく現存しています。
善光寺参道2(左:阿形仁王像、中:吽形仁王像、右:仲見世通り中央付近の世尊院釈迦堂への通路20121030)
仲見世通りを進むと、石塀に囲まれた善光寺境内前の通路があり、境内の入り口には小さな石橋の「駒返りの橋」がかかっています。源頼朝は、1197 年(建久9年)に善光寺を参拝したと言われています。この石橋の端に穴があいており、その穴に馬の蹄がはさまってしまい、駒を返したところだと言われています。
善光寺参道3(左:善光寺境内に進む仲見世通り、中・右:境内入り口前の駒返りの橋20121030)
駒返りの橋をわたり境内に入ると、右側に1759年(宝暦9年)に造立されたと云われる六地蔵は、大戦により供出され現在のものは昭和29年に再興されたものです。六地蔵の「六」は仏教の六道を表わし、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天のことで、この六の世界に赴き、迷える人を救おうという誓願を起こされています。濡れ仏と呼ばれる延命地蔵は、1922 年(享保7年)に水内群普光寺の真宋僧法誉円信によって造立され、像高は2.68メートルの銅像坐像です。
善光寺境内の六地蔵と濡れ仏(左・中:六道で人の悩みを救う六地蔵、右:濡れ仏(延命地蔵)20121030)
六地蔵と濡れ仏を過ぎて、石段を上がったところにある山門は、桁行きが約20.4メートルで、梁行きが約8メートルの、高さ約18メートルの入母屋造りの大楼門で、1750 年(寛延3年)に建立され、1847年の善光寺地震などに耐えてきましたが、建物や屋根の老朽化が進み、2002年より2007年12月に大修理が行われ、建立時の姿が復活しました。山門の内部には、四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像、四国八十八ヶ所の札所本尊を模刻した百体仏が祀られ、文殊菩薩坐像が安置されていますが、時間の都合で2階には上がりませんでした。正面には、1801年(享和元年)に輪王寺宮公澄法親王の筆で書かれた、「善光寺」の扁額が掲げられており、通称「鳩字の額」(トップ写真参照)とも呼ばれており、鳩が五羽隠されています。現在の額は、「国宝善光寺本堂昭和大修理」の際に掛けかえられたもので、古い額は善光寺資料館に展示されています。
善光寺山門(左・中:山門、右:善光寺山門手前のお水屋20121030)
山門を潜ると正面は善光寺本堂(国宝)です。現在の本堂は、1700 年(元禄13年)の火災の後に徳川幕府が松代藩に命じて、幕府お抱えの名匠甲良豊前宗賀の設計で造られたもので、間口が23.89メートル、高さが25.82メートルで、奥行きが53.67メートルの江戸時代中期仏教建築を代表する縦長の鐘木造りの大伽藍で、1707 年(宝永4年)に完成しています。本堂を入り外陣には、羅漢とよばれるびんずる尊者がおかれてあり、体の悪い部分と同じところを撫でると、良くなるといわれています。びんずる尊者の左は、親鸞聖人お花松です。外陣の奥は内陣で、約百五十畳敷きの広大な畳の空間が広がっており、参詣された信徒がお参りをする空間です。本堂の正面入り口に、献香所があります。
善光寺のご本尊は善光寺のご本尊の一光三尊式阿弥陀如来(善光寺如来)は、三国伝来の「日本最古の御仏」といわれており、本堂奥の厨子の中に安置されて今までに誰も見たことがないということです。時間の都合で、内陣、内内陣に入らず、また、お戒壇巡りは省略しました。
善光寺本殿(左上・中上:本殿、右上:本殿外人、左下:本殿外人、中下・右下:献香所20121030)
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