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kan-haruの日記

風景・風物詩 神田連雀町を歩く 江戸っ子伝統の「かんだ藪蕎麦」と「甘味処竹むら」で昔の味を食する

2009年09月17日 | 風景・風物詩
kan-haru blog 2009

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遠い昔によく通った連雀町界隈
神田連雀町とは、万世橋と須田町一丁目、淡路町二丁目に囲まれた界隈の旧町名です。町名の由来は、行商人が背負う荷籠の連雀に因んでいると云われ、尺が雀に変わり連雀町となったそうですが、この町名は昭和の初めに無くなりました。この記事では、万世橋、須田町と淡路町の三町界隈を総合して呼べるので都合が良いので、老舗の街並みを連雀町と仮称して記述しました。

・連雀町小史
連雀町の周辺は、大戦で空襲に遭いましたが運良く焼け残って、都心部としては数少ない地域なのです。

 昭和22年秋葉原・万世橋・神田周辺航空写真(goo地図から)

この須田町から万世橋にかけての連雀町界隈は子供の頃から縁が深い地域で、ここの万世橋には小学生の頃から中学生時代にかけ、鉄道に憧れて交通博物館に何回ともなく通った懐かしいところで、JR中央線に赤レンガの想いでの万世橋駅がありました。
また、戦前から戦後時代には、現在のJR品川駅から上野駅まで都電が通っており、須田町交差点から万世橋、秋葉原を径由し、ゆっくりと町並の流れを見ながら、乗車時間がかかるのを意識して利用していた優雅な時代でもありました。

戦後の、1947年(昭和22年)の工業系中学生の頃には、ラジオや電気部品の露店が、神田駅北口から中央通りの西側歩道上と須田町交差点からは靖国通りの南側歩道上に多数の露店が競い合い店を並べており、ラジオの組み立てをするため通った場所で、当時は真空管の時代でした。1949年(昭和24年)には、GHQの露店撤廃令により露天商が秋葉原に移動すると共に、今度は秋葉原通いと変わりました。秋葉原は電気街として発展して、現在の賑わいのある街に変革したのです。
1952年(昭和27年)には、大学工学部に入り校舎(当時の校舎写真)が小川町交差点近くの本郷通りにあったので、散策には秋葉原や須田町が庭みたいな所であり、大学生時代にも連雀町とは縁の深いところでした。

老舗の街連雀町界隈を歩く
今回は、小学から大学生の時代に足繁く通った連雀町を久方振りに歩き、戦災で残った風情のある老舗街のお店を見に9月5日の土曜日に行ってきました。

 神田の食通老舗地図

須雀町への経路は、京急と都営に乗り継いで神保町から靖国通り北側歩道を東に進み、小川町交差点を過ぎて淡路町交差点に着くと須雀町界隈です。交差点から外堀通り北方には、1902年(明治35年)に開店した本場の海苔を使用した老舗の「神田志乃多寿司」(神田淡路町2-2 地図⑨)のお店が見えます。
さらに進むと靖国通りはやや右に折れて3差路交差点となり、細い道路を直進すると直ぐ左手に、明治初期に開店して小説家の池波正太郎が下駄ばきで通った、江戸の手打ちそばを名物にした「神田まつや」(神田須田町1-13 地図⑤)がありますが、そこでの食味は次の機会とします。神田まつやの建物は、平成15年に千代田区景観まちづくり重要物件に指定されています。
まつやの前の道路を進み交差点を左折して、先の十字路の左手には1987年(明治30年)の頃より鳥のすきやき一筋に、備長炭と鉄鍋で昔ながらの味を落とさずに営業をしている「ぼたん」(神田須田町1-15 地図④)の建物が見え、昭和初期に建造した景観街づくり重要物件です。

 神田須田町の食味老舗1(:神田まつや、:ぼたん)

・かんだ藪蕎麦
続いて、十字路を直進しすると左手にある、1900年(明治13年)に営業開始の「かんだ藪蕎麦」(神田淡路町2-10 地図①)のお店で昼時なので、近くに住んでいる孫・親子の3代で共にして藪蕎麦の昼食をとることにしました。

 かんだ藪蕎麦(写真拡大)

着いたのが12時半頃で、門を入ると先客が一杯で脇の待合所に座って待ちましたが、重要物件指定の古き良き日本家屋の佇まいから板塀に囲まれた前庭を眺めたり、創業者の胸像を見ている間に、蕎麦食なので回転が速くほどなく選んだお座しき席に通されました。お店の構えは、玄関を入ってのところが椅子席で、左奥がコの字型に座敷が配されており右側の一番手前の席に着いてお蕎麦の注文です。

 神田須田町の食味老舗2(:創業者胸像、:前庭、:テーブル席)

百有余年の歴史のあるお店には私の父も良く通い、昔の人はお蕎麦屋さんでお酒をとりお蕎麦を食するのが楽しみの時代でした。そこで、昔を食するため日本酒を注文するとお味噌が付いてきましたが、おつまみに店自慢の昔から好まれた芝海老かき揚げの「天たね」と天麩羅を注文して明治時代を偲びました。
お蕎麦を味わうには何と言ってもせいろうです。青みがかかった蕎麦は創業者の七兵衛が新蕎麦の青みを出そうと工夫したそうで、厳選の玄蕎麦を熟練した職人が引き製麺したもので細く滑らかな舌触りのお蕎麦を、昆布、鰹節で濃厚な出汁をとり、濃口醤油、味醂などで味を調えたやや辛目のそば汁で2枚たいらげました。

 昔の食味やぶ蕎麦(:お座敷席、:酒のつまみの味噌、:おそばは何と言ってもせいろう)

食事を終え藪蕎麦の店を出て角を左折すると昭和初期の雰囲気の喫茶店「ショパン」(神田須田町1-19 地図⑥)がありますが、蕎麦の後にはコーヒーは合わないので次の機会とし、そこには寄らないで「ぼたん」のある十字路まで戻り、そこで左折すると角道の右に創業が1830年(天保元年)の江戸情緒が残るあんこう料理の「神田いせ源」(神田須田町1-11-1 地図③)のお店ですが、重要物件指定の建物だけを見て楽しみは今度の機会とし、対面にある1字違いのあんこの甘味の店に入りました。

 あんこ料理の神田いせ源(写真拡大)

・おしるこ竹むら


竹むら(神田須田町1-19 地図②)は神田には本格的な汁粉屋がなかったので、1930年(昭和5年)に開業したと云う老舗で、北海道の小豆を原料として自家製の餡を使用して伝統の味を売りにして、あんみつ、氷しるこ、揚げまんじゅうなどが楽しめますので、各自思い思いの品を注文して昔の味を味わいました。

 おしるこ竹むら(:おしるこ竹むら、:千代田区景観まちづくり重要物件の証額)

こしあんは、しっとりとした程よい甘味で好まれる味でした。店の造りは千代田区景観まちづくり重要物件で、1階がテーブル席で2階に固室があるようです。

 昔の想い出の味(左:おしるこ、中:あんみつまめ、右:あんずみつまめ)

この他、連雀町には洋食松栄亭(神田淡路町2-8 地図⑦)、近江屋洋菓子店(神田淡路2-4 地図⑧)などがありますが、この次の機会に譲り神保町から都営線で帰宅しました。

千代田区景観まちづくり重要物件
区民に親しまれてきた歴史的な価値のある建造物を景観まちづくり重要物件として指定し、保存していく事業を行い、区内に残る歴史的な価値を有する建造物等を千代田区景観まちづくり条例に基づき、景観まちづくり重要物件として指定しました。
千代田区では、千代田区景観まちづくり重要物件を9地区の界隈に分けて指定し、本文の連雀町界隈関連の建物は、御茶ノ水・駿河台界隈として11件の建物を平成15年6月9日に指定し、第1KSビルの1件を平成15年8月8日に指定しました。


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