
kan-haru blog 2010
< 総合INDEX へ
お蔭さまでkan-haru日記も本日3月8日で満4周年を迎えました。
Webの発展により容易に個人情報の発信が可能となり、IT技術の進歩によりパソコン、携帯端末や携帯電話で何時でも、誰でもがどこからでもインターネット上の情報を検索して、kan-haru日記のような様々な個人ブログ記事なども読んで頂けるようになりました。
Kan-haru日記の訪問数・閲覧数推移
Kan-haru日記への訪問数は2009年7月6日には20万名を超え、同7月30日にはトータル閲覧数が60万を超えました。2010年3月7日現在の訪問数は34.3万、閲覧数は93.6万となりました。誠に多数のご閲覧をありがとうございます。

Kan-haru日記の訪問数・閲覧数推移
インターネットの普及以前の時代の記録情報は書籍や紙媒体から得られる情報にみで情報記録量も少なく、特にローカルな情報はほとんど記録が無い状態で、過去の知りたい記録情報は見たくても得られませんでした。
そこで、kan-haru日記開始の目的は、大森町界隈のあれこれをテーマとした大森町の変貌記録などの様々な記録記事に加え、一般的な小さな旅などの旅行記、イベント記録やIT関連の記事など745編を投稿してまいりました。Webの進歩により、現在の記録は容易に残すことができる有難い時代です。
たまたま、歴史的な記録に繋がる展示が、3月2日から5日までの期間に東京都議会議事堂1階北側の都政ギャラリーで、昭和22年から現代までの「東京・あの日・あの時~昭和20年代から現代へ アーカイブ百景」という写真展を開催しておりましたので、当時の貴重な写真を5日に見てきました。

「東京・あの日・あの時」写真展パンフレット(パンフレット拡大1955年[昭和30年]都電が走る銀座通り)
東京都では記録写真の2万点をデジタル化して、その中の100点を特選し、東京とそこに生きる人々の力強い歩みを紹介されました。なお、この写真展は、東京都のホームページで公開していますので記録写真の共有ができます。

「東京・あの日・あの時」写真展(左:東京都議会議事堂、中:「東京・あの日・あの時」写真展会場入り口、右:写真展会場風景)
東京大空襲
Kan-haru日記は、たまたまブログが普及発展し始めた4年前のブログ記事投稿開始時期の3月は、その65年前の3月10日が東京大空襲で東京下町を目標にした無差別爆撃により、10万人もの尊い命が失われた時代とのめぐり合わせに当たります。大きな犠牲を受けた戦争は時代の経過とともに風化され、現在では戦争を知らない世代が80数%を越えました。少しでも悲惨な記録を後世に伝えたいとの思いから、父の職場の同僚の若山武義氏の大森町の大空襲に遭遇した際に記録の手記の提供をご遺族から受けることができましたので、それをブログ開始の契機の1つとしてkan-haru日記を開始しました。
先ずは、若山氏の戦争体験の手記に解説説明を付けて編集し、今までに「大森町界隈あれこれ 空襲編手記」の29編が完結し、「大森町界隈あれこれ 戦後史手記」の21編を大森町大空襲記録として掲載してきて、現在一時中断しておりますが今後にも再開し掲載の予定です。
・東京大空襲展
毎年3月10日を迎える頃、東京のあちらこちらで大空襲関連の展示会が開催されます。
東京都主催の展示会では、江戸東京博物館1階学習室で3月5日から13日までの期間に「東京空襲資料展」が無料で開催されていますので、5日に見てきました。資料展では写真撮影ができませんので会場の模様を提示できませんが、展示会の内容は空襲で亡くなられた方々の遺品を中心に、焼夷弾などの兵器、防空頭巾やもんぺなどの戦時下の生活資料や空襲下を映したパネルなどを展示し、この悲惨を二度と繰り返さないように未来へと語り継いで貰いたいとの趣旨で開催されています。
江戸博物館入り口通路の横には、大空襲の悲惨を物語る当時の言問橋の欄干と縁石が保存されています。この言問橋は1945年(昭和20年)3月10日未明の東京大空襲の際、浅草方面から向島方面へ避難する人々と、反対側に渡ろうとする人々が橋上で交叉し身動きがとれなくなり、人だけでなく荷車やリヤカーも通行を妨げ、そこへ火が燃え移り人々は大火炎に包まれて、橋上では逃げる術もなく多くの市民が焼き死にました。

東京空襲資料展と言問橋欄干(左:東京空襲資料展会場入り口、中:言問橋の欄干と縁石(江戸博物館保存)、右:言問橋欄干・縁石説明板)
また、浅草公会堂1階ギャラリーでも3月6日から10日までの期間に東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会と台東区共催で記念資料展を開催しています。この浅草公会堂の資料展には、昨年(「イベント 東京大空襲資料展 64年前の3月10日は無差別爆撃で浅草、本所、深川の下町が大惨禍」参照)と1昨年(「イベント 63年前の東京大空襲傷痕 浅草、本所、深川の戦跡をめぐり平和を祈願する その1~4」参照)に参加して未来へと語り継いで頂くためにブログに掲載しておりますのでご参照ください。
その他、千代田区役所1階でも11日まで東京駅や銀座、国会議事堂周辺などの写真パネル90点と防空頭巾などが展示され、さらに江東図書館でも28日まで区民寄贈の日記、手紙や大戦を報じる新聞紙面など300点が展示されています。

東京大空襲展パンフレット(パンフレット拡大)
京浜急行高架化関連工事
4年前のブログ投稿開始時には既に大森町を縦断する大田区内の京浜急行の高架化工事は着手しており、大田区内の建設工事としては歴史に残る大工事です。工事が完成すると大森町を始めとして、京急沿線の街並みは大変貌します。Kan-haru日記では、大森町大変貌の記録として、工事の詳細記録と街並み変貌の記録記事を継続投稿しています。

上り線開通を目指して工事が進む京急蒲田駅2層構造の駅舎棟
この工事関連の記録には、京急高架化関連事業として高架橋の北側に関連側道が新設されますので、京急本体工事の外側道に関する記録記事の投稿も2月から開始しております。

京急高架化工事関連側道が整備される大森町駅付近の側道となる道路
大森町界隈の風景
大森町の中央部を東西に流れる内川は、中流や下流で護岸工事が行われていますが、街中の中流では人おじせずにオナガカモやカワウが訪れるようになり、近辺の人々の心を和ませ癒してくれています。この平和な光景が続く時代を何時までもと願っています。

数年前から多くの野鳥が大森町中心の街中の内川に寄りついている平和な風景
kan-haru日記目次
kan-haru日記は記事の種別が多いため、記事検索のための目次を記事カテゴリー別に登録してあり、記事登録の都度目次を更新していますので現在から過去までの検索がリアルにできる様に配慮してあります。
目次は、kan-haru日記 総合目次(総合INDEX)とカテゴリー別の目次を掲載しており、毎月1日には月間INDEXを掲載して前月の記事の検索ができる様にして、特に記事数の多い京急高架化関連工事の目次には記事年度別INDEXと工事区間毎(駅別INDEX、全工区統合INDEXおよび高架化関連側道編INDEX)と階層分けした目次を整備してあります。カテゴリー別の項目目次のアクセスは、ブログ記事左欄のブックマークに掲載の項目のアクセスにより目次が参照できますのでご利用下さい。
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月分掲Indexへ)
カテゴリー別Index Weblog カテゴリー別総目次 へ
<前回 Kan-haru日記へのご訪問有難うございます 日記からのお知らせとご案内 へ
次回 Kan-haru日記へのご訪問有難うございます 日記からのお知らせと平和島仮高架橋列車運行ビデオ へ
< 総合INDEX へ
お蔭さまでkan-haru日記も本日3月8日で満4周年を迎えました。
Webの発展により容易に個人情報の発信が可能となり、IT技術の進歩によりパソコン、携帯端末や携帯電話で何時でも、誰でもがどこからでもインターネット上の情報を検索して、kan-haru日記のような様々な個人ブログ記事なども読んで頂けるようになりました。
Kan-haru日記の訪問数・閲覧数推移
Kan-haru日記への訪問数は2009年7月6日には20万名を超え、同7月30日にはトータル閲覧数が60万を超えました。2010年3月7日現在の訪問数は34.3万、閲覧数は93.6万となりました。誠に多数のご閲覧をありがとうございます。

Kan-haru日記の訪問数・閲覧数推移
インターネットの普及以前の時代の記録情報は書籍や紙媒体から得られる情報にみで情報記録量も少なく、特にローカルな情報はほとんど記録が無い状態で、過去の知りたい記録情報は見たくても得られませんでした。
そこで、kan-haru日記開始の目的は、大森町界隈のあれこれをテーマとした大森町の変貌記録などの様々な記録記事に加え、一般的な小さな旅などの旅行記、イベント記録やIT関連の記事など745編を投稿してまいりました。Webの進歩により、現在の記録は容易に残すことができる有難い時代です。
たまたま、歴史的な記録に繋がる展示が、3月2日から5日までの期間に東京都議会議事堂1階北側の都政ギャラリーで、昭和22年から現代までの「東京・あの日・あの時~昭和20年代から現代へ アーカイブ百景」という写真展を開催しておりましたので、当時の貴重な写真を5日に見てきました。

「東京・あの日・あの時」写真展パンフレット(パンフレット拡大1955年[昭和30年]都電が走る銀座通り)
東京都では記録写真の2万点をデジタル化して、その中の100点を特選し、東京とそこに生きる人々の力強い歩みを紹介されました。なお、この写真展は、東京都のホームページで公開していますので記録写真の共有ができます。

「東京・あの日・あの時」写真展(左:東京都議会議事堂、中:「東京・あの日・あの時」写真展会場入り口、右:写真展会場風景)
東京大空襲
Kan-haru日記は、たまたまブログが普及発展し始めた4年前のブログ記事投稿開始時期の3月は、その65年前の3月10日が東京大空襲で東京下町を目標にした無差別爆撃により、10万人もの尊い命が失われた時代とのめぐり合わせに当たります。大きな犠牲を受けた戦争は時代の経過とともに風化され、現在では戦争を知らない世代が80数%を越えました。少しでも悲惨な記録を後世に伝えたいとの思いから、父の職場の同僚の若山武義氏の大森町の大空襲に遭遇した際に記録の手記の提供をご遺族から受けることができましたので、それをブログ開始の契機の1つとしてkan-haru日記を開始しました。
先ずは、若山氏の戦争体験の手記に解説説明を付けて編集し、今までに「大森町界隈あれこれ 空襲編手記」の29編が完結し、「大森町界隈あれこれ 戦後史手記」の21編を大森町大空襲記録として掲載してきて、現在一時中断しておりますが今後にも再開し掲載の予定です。
・東京大空襲展
毎年3月10日を迎える頃、東京のあちらこちらで大空襲関連の展示会が開催されます。
東京都主催の展示会では、江戸東京博物館1階学習室で3月5日から13日までの期間に「東京空襲資料展」が無料で開催されていますので、5日に見てきました。資料展では写真撮影ができませんので会場の模様を提示できませんが、展示会の内容は空襲で亡くなられた方々の遺品を中心に、焼夷弾などの兵器、防空頭巾やもんぺなどの戦時下の生活資料や空襲下を映したパネルなどを展示し、この悲惨を二度と繰り返さないように未来へと語り継いで貰いたいとの趣旨で開催されています。
江戸博物館入り口通路の横には、大空襲の悲惨を物語る当時の言問橋の欄干と縁石が保存されています。この言問橋は1945年(昭和20年)3月10日未明の東京大空襲の際、浅草方面から向島方面へ避難する人々と、反対側に渡ろうとする人々が橋上で交叉し身動きがとれなくなり、人だけでなく荷車やリヤカーも通行を妨げ、そこへ火が燃え移り人々は大火炎に包まれて、橋上では逃げる術もなく多くの市民が焼き死にました。

東京空襲資料展と言問橋欄干(左:東京空襲資料展会場入り口、中:言問橋の欄干と縁石(江戸博物館保存)、右:言問橋欄干・縁石説明板)
また、浅草公会堂1階ギャラリーでも3月6日から10日までの期間に東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会と台東区共催で記念資料展を開催しています。この浅草公会堂の資料展には、昨年(「イベント 東京大空襲資料展 64年前の3月10日は無差別爆撃で浅草、本所、深川の下町が大惨禍」参照)と1昨年(「イベント 63年前の東京大空襲傷痕 浅草、本所、深川の戦跡をめぐり平和を祈願する その1~4」参照)に参加して未来へと語り継いで頂くためにブログに掲載しておりますのでご参照ください。
その他、千代田区役所1階でも11日まで東京駅や銀座、国会議事堂周辺などの写真パネル90点と防空頭巾などが展示され、さらに江東図書館でも28日まで区民寄贈の日記、手紙や大戦を報じる新聞紙面など300点が展示されています。

東京大空襲展パンフレット(パンフレット拡大)
京浜急行高架化関連工事
4年前のブログ投稿開始時には既に大森町を縦断する大田区内の京浜急行の高架化工事は着手しており、大田区内の建設工事としては歴史に残る大工事です。工事が完成すると大森町を始めとして、京急沿線の街並みは大変貌します。Kan-haru日記では、大森町大変貌の記録として、工事の詳細記録と街並み変貌の記録記事を継続投稿しています。

上り線開通を目指して工事が進む京急蒲田駅2層構造の駅舎棟
この工事関連の記録には、京急高架化関連事業として高架橋の北側に関連側道が新設されますので、京急本体工事の外側道に関する記録記事の投稿も2月から開始しております。

京急高架化工事関連側道が整備される大森町駅付近の側道となる道路
大森町界隈の風景
大森町の中央部を東西に流れる内川は、中流や下流で護岸工事が行われていますが、街中の中流では人おじせずにオナガカモやカワウが訪れるようになり、近辺の人々の心を和ませ癒してくれています。この平和な光景が続く時代を何時までもと願っています。

数年前から多くの野鳥が大森町中心の街中の内川に寄りついている平和な風景
kan-haru日記目次
kan-haru日記は記事の種別が多いため、記事検索のための目次を記事カテゴリー別に登録してあり、記事登録の都度目次を更新していますので現在から過去までの検索がリアルにできる様に配慮してあります。
目次は、kan-haru日記 総合目次(総合INDEX)とカテゴリー別の目次を掲載しており、毎月1日には月間INDEXを掲載して前月の記事の検索ができる様にして、特に記事数の多い京急高架化関連工事の目次には記事年度別INDEXと工事区間毎(駅別INDEX、全工区統合INDEXおよび高架化関連側道編INDEX)と階層分けした目次を整備してあります。カテゴリー別の項目目次のアクセスは、ブログ記事左欄のブックマークに掲載の項目のアクセスにより目次が参照できますのでご利用下さい。
< 総合INDEX へ
毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(3月分掲Indexへ)
カテゴリー別Index Weblog カテゴリー別総目次 へ
<前回 Kan-haru日記へのご訪問有難うございます 日記からのお知らせとご案内 へ
次回 Kan-haru日記へのご訪問有難うございます 日記からのお知らせと平和島仮高架橋列車運行ビデオ へ