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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ 大森町2月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午2013

2013年02月08日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2013 諏訪神社の節分豆まき        

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諏訪神社の節分祭
大森町の鎮守様諏訪神社の節分祭は、立春の前日に行われ今年は2月3日の日曜日にあたり、しかも今年は格別な寒さですが当日は暖かい陽気に恵まれて、まめを拾う近隣の人が沢山集まりましたので見に行きました。

 2013年節分祭の諏訪神社(写真拡大)

節分とともに、同9日の初の午の日に末社伏見稲荷神社で「初午祭」と、内川沿いの末社金山神社にて「針供養」の恒例行事が、春を迎える大森町の風物誌です。

 諏訪神社末社の伏見稲荷社と金山神社(:末社の伏見稲荷社、:内川沿いの末社の金山神社)

諏訪神社で豆をまく年男年女は、希望者は申し込むと参加ができ、毎年希望者を3回に分けて本殿にあがり、節分追儺(ついな)式が行われます。追儺式は、年男年女は裃を着用し神官を先頭にして本殿に入り、祝詞をあげて一同で礼拝し、本殿内の内部に2回と外部に向って1回と豆を撒きます。

 年男年女は3組に分けて節分追儺式に参列(:神官を先頭にして追儺式挙行の本殿にむかう、:本殿内にあがり追儺式の挙式、:追儺式が済み本殿から豆まき会場へ)

儀式が終わると太鼓を鳴らして、豆の入った枡が各自に渡され、本殿前で記念写真を撮り、観客が待っている神楽殿に上がり、クライマックスの豆まきが、神官の太鼓の合図で行われます。

 追儺式を終えて第1回目の年男年女の豆まきへ(:追儺式を終えて年男年女の記念撮影、:第1回目の年男年女は豆まき会場へ向かう、:豆まき会場の神楽殿へ向かう)

年男年女の第1回目の豆まきは、午後3時40分からですが、3時には神楽殿の前はまだ一人も集まっていません。追儺式が始まる頃に人が集まりだし、豆まき直前には沢山の人です。

 豆まきを行う神楽殿前は徐々に人が多くなる(:午後3時には神楽殿前はまだ空っぽ、:午後3時20分頃には人が集まり出す、:豆まき開始時には人でいっぱい)

神楽殿での豆まきは、豆、お菓子、みかんが撒かれ、観客がわれ先にと取り合います。撒かれた縁起物の品物を、うまく取れた人は、今年1年は運がよい年に恵まれることを願う、春の風物詩です。

 第1回目の年男年女による神楽殿での豆まき(:第1回目の年男年女が神楽殿に整列、:太鼓の合図とともに第1回豆まきの開始、:まかれた豆に手をあげてとれたぞ)

最近は、家庭での豆まきを行うことは見かけなくなりましたが、昔は一家の主人が「福は内、鬼は外」といいながら煎った大豆をまき、みんな自分の年の数だけ豆を食べるとこれから1年間は病気にならないと言われていました懐かしい行事です。

 第1回目の年男年女による豆まき風景(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第89回箱根駅伝風景その2

2013年01月29日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2013 日体大総合優勝で別府監督が宙に浮く  
         
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箱根駅伝復路
・第6区
箱根駅伝復路の1月3日は、箱根・芦ノ湖を往路1位の日体大が午前8時にスタートして、以下、早稲田大が2分35秒後、東洋大が2分39秒後に、その後明治大の廣大貴(経営3)選手が4分37秒後にスタートしました。第6区の小田原中継所(23.4km)には、日体大が区間記録7位の59分33秒の、総合記録が6時間39分48秒で1位の快調な通過です。2位は、東洋大学が区間4位で早稲田大を抜いて1位との差が2分22秒に詰めて快走です。

 第6区小田原中継所の1、2位の襷リレー(左:小田原中継所1位の日体大、右:2位通過の東洋大(日テレビデオから))

明治大学の廣選手は区間記録2位の58分19秒で山を降り、20km地点手前で早稲田大学を抜いて3位に上昇し、総合記録が6時間42分56秒でトップとの差が3分8秒に詰まり有村優樹(商2)選手に襷を渡しました。箱根を2位スタートの早稲田大は、小田原では総合記録が6時間43分7秒と3分19秒と開いて4位通過です。5位は、法政大学でトップとの差が5分26秒でした。

 区間記録2位の走りで総合3位の明治大廣瀬選手(左:区間記録2位の走りを見せた廣瀬(明治大学箱根駅伝サイトから)、:第6区小田原中継所で3位に上がった明治大(日テレビデオから))

・第7区
第7区の平塚(21.3km)中継所では、1位日体大は区間記録2位で余裕を持って7時間44分41秒で独走し、2位は東洋大が区間記録4位でトップとの差は2分51秒です。
3位明治大有村選手が区間記録3位でトップとの差は3分16秒で追っています。以下4位早稲田大は区間記録11位でトップとの差は4分51秒、5位駒澤大は区間記録5位で法政大を抜きトップとは6分11秒差となりました。

 第7区平塚中継所リレー(左:区間記録2位でリードを広げる1位の日体大、:区間記録4位でトップを追う2位東洋大(日テレビデオから)、右:区間記録3位で2位に迫る力走の有村選手(明治大学箱根駅伝サイトから))

・第8区
第8区の戸塚(21.3km)中継所でも、1位日体大は区間記録2位の走りで独走態勢の8時間51分44秒で戸塚を通過しました。2位は東洋大で、トップとの差が3分12秒でリレーしました。

 第8区戸塚中継所の1、2位の襷のリレー(:第8区戸塚中継所1位日体大リレー、:2位東洋大リレー(日テレビデオから))

3位明治大期待の新入横手健(政経1)選手がトップとの差を3分51秒の力走で13km付近では2位の東洋大学に追いつき、その後数kmにわたって激しい2位争いを演じました。以下4位早稲田大でトップとの差は5分37秒、5位は駒澤大を抜いた帝京大が区間記録3位でトップとの差が6分45秒でした。

 東洋大と激しい2位争いを演じた期待の1年生横手選手(左:1年横手選手の激しい2位争い(明治大学箱根駅伝サイトから)、中:13.4km付近の東洋・明治の争い、右:戸塚では2位と39秒差で3位中継(日テレビデオから))

・第9区
第9区の鶴見(23.2km)中継所では、日体大は区間記録2位で10時間2分10秒でトップを維持して通過し、2位の東洋大も区間記録3位の3分48秒差で鶴見を通過しました。
第8区で3位通過の明治大学は、松井智靖(経営2)選手が19km付近で脱水症状によるアクシデントにより、戸塚中継所では3分9秒差あった駒大に抜かれ、残り700m過ぎには早大、帝京大にも追い越され6位まで順位を落としたが、第8区までの貯金によりふらふらになりながらも鶴見中継所へ区間記録18位の1時間15分29秒の、総合10時間11分4秒ので辿り着きました。この結果、鶴見中継所では、3位駒大がトップとの差が6分24秒、4位早稲田大がトップと7分40秒差、5位帝京大がトップと8分7秒差と入れ替わりました。

 鶴見中継所を日体大、東洋大の順で襷きリレー(左:日体大がトップで鶴見中継所襷きリレー、右:東洋大も2位で鶴見中継所襷リレー(日テレビデオから))

・第10区
第9区の読売新聞社(23.1km)中継所では、昨年19位の日体大は復路は第7区から第10区までの選手が全て区間記録2位の、復路記録が2位の堂々と危なげなく往路優勝と共に、11時間13分26秒で総合優勝を飾りました。2位総合入賞は、往路が3位入賞の東洋大が復路記録の4位で、第7から10区まで2位中継を保ちながら11時間18分20秒で入賞しました。

 大森町付近のマラソン1、2位通過(:大森町付近第1京浜国道のマラソン応援風景、:1位日体大選手の大森町通過、:2位東洋大選手の大森町通過)

3位総合入賞は、駒澤大学が第9、10区で区間1位を走り3人抜きをして、往路の9位から復路記録の1位で、11時間19分23秒で入賞しました。復路の第1京浜国道大森町駅付近の駅伝応援は、選手の通過時間直前には、新年の行事の見学で沢山の人が集まります。

 大森町を続々と通過の各校の選手(左上中上右上左下中下右下)

以下、帝京大は往路7位から総合で4位に入賞し、早稲田大は往路2位から総合で5位の入賞、順天堂大は往路8位から総合で6位の入賞、明治大は往路4位から総合で7位の入賞、青山学大は往路6位から総合で8位の入賞、法政大学は往路5位から総合で9位の入賞、中央学大は往路13位から総合で10位の入賞です。10位までの各校は2014年駅伝のシード校となります。

 日体大総合優勝、東洋大準優勝でゴール(左:日体大ゴール、右:東洋大ゴール(日テレビデオから))
 
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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第89回箱根駅伝風景その1

2013年01月26日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2013 第5区14.5km付近の日体大、早稲田大、東洋大の熾烈な争い 
         
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箱根駅伝第1区
大森の新年は、1月2、3日に傍の第1京浜国道を箱根駅伝が通り、各大学の力走する選手に声をかけ、旗を振って最後の選手の通過を見送るのが正月の恒例の行事で、今年は第89回の駅伝風景です。
1月2日の第89回箱根駅伝は、大手町・読売新聞東京本社前を午前8時に出発し、17分過ぎには芝5丁目交差点を通過です。

 第89回箱根駅伝の熱戦の火蓋が切られる(:箱根駅伝読売新聞東京本社前スタート(日テレビデオから)、:芝5丁目交差点先の5.26km地点(テレビ放送画面から))

出発点からおよそ13.7kmの地点の大森町駅の交差点前の城南信用金庫前を、午前8時40分頃殆ど一団となって、あっという間に通過します。第1区の中継所の鶴見中継所(武井産婦人科)までは、あと7.7kmであるので残り約1/3のところで、近所の人が沢山集まり係りの人から小旗を貰い選手を応援します。

 第1京浜国道大森町駅交差点城南信用金庫前(写真拡大) 

母校の明治大学は、昨年の第88回駅伝では総合3位の成績を残し、1963年の第39回大会の総合2位以来、実に49年ぶりで成果をあげました。しかも今年は、選手団で卒業したのは、鎧坂哲哉選手(平24営卒・現旭化成)と細川勇介選手(平24政経卒・現大阪ガス)の2名のみであり、総合ベスト3を成し遂げたメンバーの8名は今年度も健在です。今年の1年生には、作新学院から入学した国体覇者の横手健(政経1=作新学院)の有望選手が注目されます。
読売新聞東京本社前を、8時にスタートした箱根駅伝初出場の明大1区文元慧(政経2)選手は、トップ集団で大森町交差点を通過していきました。今年は、大森町交差点に於ける遅れの選手数は、例年よりも多いようでした。

 第1区大森町駅交差点を通過する選手団(左上:大森町駅交差点を通過するトップ集団の選手団、中上:今年は大森町交差点で遅れの選手が出る、右上:今年は遅れの選手が続く、左下中下右下:トップ集団から離れる選手)

明大文元選手は鶴見中継所まで頑張りを見せ、区間記録2位の1時間03分46秒で、トップの東洋大田口雅也選手との差は14秒で、2区の大六野秀畝(政経2)選手に襷をつなげました。

 第1区戸塚附近の熱戦(左:第1区19.2km地点の東洋、明治、法政のデッドヒート(日テレビデオから)、右:明治1区文元選手が2区大六野選手に2位で襷リレー(明治大学箱根駅伝サイトから))

・第2区
第2区の戸塚中継所(23.2km)では、明治大の大六野秀畝選手は区間を12位の1時間11分43秒の我慢の走りで1、2区総合6位の2時間15分29秒でトップから1分28秒差で、3区の主将 菊地賢人(理工4)選手にリレーしました。この区間のハイライトは、日本大のベンジャミンが東洋大などの12大学を抜き2時間14分0秒で1位中継、2位東洋大はトップと1秒差で、3位日体大はトップと53秒差、4位山梨学院がトップと1分3秒差、5位は駒澤大が同1分22秒差で中継しました。

 戸塚中継所の激戦リレー(:戸塚中継所日本大ベンジャミンが12人抜きで1位中継、:明治大戸塚中継所で6位の中継(日テレビデオから))

・第3区
第3区の平塚中継所(21.5km)では、主将の菊地賢人選手が序盤で前との差を詰め3位集団に加わると、強風の中を区間5位の1時間6分27秒で走り抜き、総合3時間21分56秒の3分19秒差で6位を守って、八木沢元樹(商2)選手に襷をつなぎました。第3区は、東洋大が3時間18分37秒で1位、以下2位駒澤大が2分41秒差、3位早稲田大が2分45秒差、4位日体大が2分47秒差、5位山梨学院が3分7秒差で中継しました。

 3区平塚中継所付近での健闘する菊池主将(左:3区集団の中で粘りの走りを見せた主将の菊地(明治大学箱根駅伝サイトから)、:第3区平塚中継所6位中継の明治大学(日テレビデオから))

・第4区
第4区の小田原中継所(18.5km)では、明治大学八木沢選手は5km付近で5位となり、12km付近で4位に順位を上げ、さらに3位との差を詰めて区間記録7位の58分21秒、総合記録が4位の4時間20分17秒のトップとの差が2分26秒につまり、5区の大江啓貴(政経4)選手にリレーしました。4区の総合順位は、東洋大が1位の4時間17分51秒、2位日体大が1分49秒差、3位早稲田大が2分7秒差で、山梨学院が5位で3分58秒差です。

 4区小田原中継所で順位を4位に押し上げた明治大(左:順位を4位まで押し上げた八木沢選手(明治大学箱根駅伝サイトから)、:小田原中継所明治大4位で大江選手に襷リレー(日テレビデオから))

・第5区
第5区の箱根往路ゴール(23.4km)では、3年連続で山登りを担当した明治大学大江選手は、力強い走りで箱根の山を駆け上がり、区間記録7位の58分21秒、総合記録が4位の5時間44分37秒のトップとの差が4分22秒差で箱根・芦ノ湖に往路ゴールインしました。

 往路ゴール4位明治大学、5位法政大学(左:往路総合4位を守ってゴールに飛び込んだ大江選手(明治大学箱根駅伝サイトから)、右:往路5位ゴールの法政大学(日テレビデオから))

往路の総合優勝は、日体大の服部翔大選手が区間1位の1時間20分35秒で、総合が5時間40分15秒で26年ぶりの往路制覇です。2位は早稲田大で2分35秒差、3位は日体大と早稲田大に抜かれた東洋大で2分39秒差で、5位は小田原を13位でリレーした法政大2年関口頌悟選手が、区間記録2位の1時間22分32秒で力走し8人抜きをして、トップとの差を5分24秒差に縮めてゴールしました。

 往路箱根ゴールは優勝日体大、2位早稲田、3位東洋大(左:日体大往路優勝、:往路箱根ゴールは2位早稲田、3位東洋大(日テレビデオから))

第89回箱根駅伝往路の成績は強風下のもとで、4区で2位に浮上して、5区で区間1位となった予選会を経た日体大が往路優勝しました。早稲田大学は、1区で17位と出遅れたが、3区のエース大迫が9人抜きをして3位に浮上し、5区の山登りで東洋大を抜き総合2位をつけました。東洋大は、昨年山の神の柏原選手が卒業して3位に留まりました。明治大学は、1区で区間2位の走りで頑張ったが、2区で総合で6位に落ち、4区で4位に挽回して往路総合4位に入賞しましたが、昨年の総合3位の5時間30分06秒には及びませんでした。なお、中大と城西大は、5区で棄権しました。


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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第88回箱根駅伝風景その3

2012年01月12日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2012 10区アンカーで早大を抜き総合3位獲得の鎧坂選手(明治スポーツWebから)  

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復路第8、9区
第8区は茅ヶ崎の海岸沿いを走り、戸塚中継所の残り5Km付近にある遊行寺の急な上り坂は選手を苦しめる難所です。東洋大大津選手は2位を7分50秒引き離して、断トツの勢いで進んで行き、続いて2位早大、3位駒大のすぐ後に明大有村選手が4位で襷を受けて戸塚中継所を目指し、熾烈な2位争いで戸塚での復路記録は2位駒大、3位早大、4位明大で、総合記録は2位早大、3位明治、4位駒大の順位でした。

 第8・9区(左:8区で駒大に競り勝った有村選手、右:9区で駒大に抜かれ細川選手は4位となる)(明治スポーツWebから)

第9区は戸塚を出るとスピードをコントロールしながら長い権太坂を下り、シード権の争いも力が入ります。この区間も東洋大が区間1位でリードを広げ、駒大が区間2位で早大を抜き、明大細川選手は区間8位で、復路・総合記録は2位駒大、3位早大、4位明大の順となり、2位から4位の時間差は2分20秒でした。

 復路第8、9区区間成績

箱根駅伝第10区
復路第10区の大森町付近では、東洋大が勢いにのり齋藤選手がトップで鶴見を12時17分に出て、区間記録1位の走りで駆け抜けて行き2位を全く寄せ付けません。

 トップ東洋大が通過する大森町駅入り口交差点附近(:選手の通過を待つ大森町駅入り口交差点附近の沢山の応援、:テレビ中継1号車の通過、:1位東洋大齋藤選手)

大森町での通過2位の駒大後藤田選手が区間記録5位の走りで、復路・総合記録を2位にあげました。大森町では駒大の選手への給水風景が目の前で見られました。

 2位通過で奮闘の駒沢大学(:駒沢大学運営管理車で選手給水、:駒沢大2位後藤田選手への給水、:2位駒沢大後藤田選手)

続く3位争いは、早大・明大・青学大に絞られてきました。大森町での3位通過は早大で、それを追って腰痛のため2区から10区に出場を変更した4年生の鎧坂選手が4位で襷を受けて目標達成を目指して通過して行きました。9区で城西大をかわした青学大が大森町を、1968年の第44回の7位を上回り、5位で通過して行きました。

 早大・明大・青学大の3位争い(:大森町では3位通過の早大市川選手、:大森町4位通過のエース鎧坂選手、:城西大を抜いて大森町5位通過の青学大大谷選手)

第6~9位のグループは、城西大、順大、中大、山梨学大で大森町を通過して行きましたが、第10区では、鶴見中継所で日体大、上武大、東海大、神奈川大学、関東学園が繰り上げスタートとなり、12時37分6秒に一斉に出発しました。また、第5区の箱根のスタートは、上記繰り上げスタート大学の他に東農大、中大、中央学大、順大、国学院大、国士大、帝京大、拓大が繰り上げスタートで一斉に出発しているので、これらのチームは大森町の通過順位では復路順位と総合順位は分からず、ゴール後のタイムの計時により決定されます。

 第6位城西大から第9位山梨大通過(写真拡大)

第10~15位の大森町の通過チームは、東京農大、神奈川大、拓大、国士大、国学院大、関東学連の順ですが、繰り上げスタートのため、実際の順位はゴール後の計時により定まります。

 大森町附近を第10~15位チームの通過(左上:ラジオ放送車、中上:繰り上げの東京農大10位で通過、右上:神奈川大第11位通過、左下:拓大12位で通過、中下:国士大13位、国学院大14位通過、右下:関東学連15位で通過)

最後の第16~20位の大森町の通過チームの中央学大、東海大、日体大、神奈川大、上武大も、順位はゴール後の計時タイムによります。

 第16~20位で大森町通過チーム(:中央学大16位で通過、:東海大17位、日体大18位で通過、:神奈川大19位、上武大20位で通過)

大手町の読売新聞社前のゴールの復路順位と総合順位は表に示す通りですが、東洋大は往路、復路と総合の全て」で新記録を達成して見事な優勝です。2位駒大は、往路の4位でスタートを切り、9、10区は区間記録2位をとり、早大、明大を追い抜き2位の入賞を得ました。3位明大は、往路の3位でスタートを切り、6区2位、7、8区3位、9区4位でアンカーの鎧坂選手に託して、区間記録3位で早大を抜き見事に目標を達成しました。総合3位の成績を残したのは、1963年の第39回大会の総合2位以来、実に49年ぶりで成果をあげました。
今年のシード権獲得は、5位の青学大以下、城西大、順大、中大、山梨学大、国学院大が確保しました。

 第88回箱根駅伝復路・総合成績

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第88回箱根駅伝風景その2

2012年01月10日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2012 明大駅伝メンバー 

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往路第2~5区
第1区からのバトンタッチにより第2区の選手に引き継がれたのは、1位早大と19位帝京大との差は僅かに2分51秒で、やや遅れたラストの中央大と19位の差も1分35秒差であり順位争いはこれからの区間での展開となります。

 第1・2区(左:1区6位で頑張る大六野1年生選手、右:エース区間の職責を果たし6位で頑張った菊池選手))(明治スポーツWebから)

第2区の鶴見中継所は大手町から21.4Kmで、このコースは横浜を過ぎて15kmポイントの先に長い上り坂の権太坂があり、各校のエースが苦しむところですが、戸塚中継所までの23.2Kmのコースです。東洋大設楽啓太選手が区間記録2位をとり通過順位の1位となりましたが、10位の国学院大までの時間差は1分54秒差で伯仲の展開です。明大のエースの故障で代わりの菊地賢人選手も区間順位5位で、通過順位も6位で健闘しています。
第3区は平塚中継所までの21.5Kmコースで、途中正面に富士山が、左手に相模湾を望む景勝地を走ります。ここでも東洋大山本憲二選手が区間順位2位でトップを譲りませんが、10位城西大との時間差は2分30秒差で接戦です。明大石間涼選手は区間記録13位で、総合順位を8位に下げました。

 第2~4区(左:2→3区に襷を渡す菊池と石間選手、右:4区で区間2位の力走の八木沢選手)(明治スポーツWebから)

第4区は全区間で最短の18.5Kmで小田原中継所となり、各校ともスピードランナーの登場です。この区間も東洋大田口雅也選手が区間1位をとり、総合1位で2位以下の差を広げてきました。2位早大以下10位の日体大まで2分31秒差で箱根の山登りです。明大の八木沢元樹選手は区間2位で5人抜きして総合3位に上がり目標に一歩近ずきました。
第5区は、高低差が800mにおよぶ山登りの難所のコースです。この区間を走る東洋大柏原竜二選手(4年キャプテン)は山男で知られ、毎年区間記録をとり今年は小田原中継所をトップで引き継ぎ、往路優勝は東洋大が5時間24分45秒で、2位早大を5分7秒引き離しました。明大の大江啓貴選手も山登りには強く、区間2位で走り一時は早稲田と2位争いを演じましたが、2位と3位の差を14秒とし往路は目標を達成しました。

 第5区(左・右:昨年から山登り区間2位で往路3位入賞を果たした大江選手)(明治スポーツWebから)

明大の往路は、エースを欠きながら1年生の八木沢選手が5人抜きと、明大山登りの大江選手などの活躍により、51年ぶりの往路3位を獲得しました。

 往路第2~5区区間成績

復路第6、7区
1月3日は箱根駅伝の復路で、午前8時に往路の到着時差の順でスタートです。
第6区は、箱根芦ノ湖の折り返し地点を出発すると、朝の厳しい寒さの中を4 Kmほど上ってから、一気に下り降りて小田原まで20.8kmです。この区間も、東洋大が区間1位で総合記録を伸ばしました。明大広瀬大貴選手は区間記録8位で、区間記録15位の早大を抜き2位の記録で小田原中継所でタスキを渡しました。東洋大との時間差が10分以上の東農大、中大、神奈川大、中央学大、関東学連、順大、国学院大、東海大、国士大、帝京大、拓大、上武大、日体大の13校は、8時10分に一斉に繰り上げスタートです。
第7区の山を下りアップダウンを繰り返すコースでは、気温が上がり失速の懸念があります。この区間も、東洋大設楽悠太兄弟選手が区間新1位で、2位早大を7分50秒離して独走態勢です。駒大上野渉選手が区間記録2位で走り、明大北魁道選手の区間4位を抜いて駒大が3位の総合記録となり、明大のピンチです。

 復路第6、7区区間成績

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 大森町第1京浜国道の第88回箱根駅伝風景その1

2012年01月08日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2012 第88回箱根駅伝応援小旗 

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箱根駅伝第1区
第88回箱根駅伝参加校は、シード校が早大、東洋大、駒大、東海大、明大、中大、拓大、日体大、青学大、国学院大の10校で、予選会を通過の上武大、山梨学大、国士大、東農大、神奈川大、帝京大、城西大、中央学大、順大、関東学連の10校と合わせて20チームにより、大手町と箱根間の往復10区間217.9Kmで争らそわれます。

 箱根駅伝第1区コース

スタートは、大手町の建替え中の読売新聞東京本社前を午前8時にスタートして、皇居前を通り、田町を過ぎると第1京浜国道(東海道)を走り、品川までは平坦な道を進み、八ッ山橋の上り坂で、トップ争いは早大の大迫傑選手(2年)と日体大の服部翔大選手(2年)です。3位から18位までの大学は、東海大、駒大、東洋大、城西大、明大、上武大、中大、関東学連、山梨学大、青学大、国学院大、順大、国士大、東農大、神奈川大(順不同)で、19位は拓大、20位は中央学大の順で通過しました。(「心象スケッチ(新)第2週ブログ」から)
八ッ山橋を過ぎると第1京浜国道(旧東海道)を京浜急行電鉄と並行して走り、鈴ヶ森を経て大森町へと入ってきます。

・大森町駅入り口交差点通過
正月の2、3日は、箱根駅伝の第1京浜国道の大森町駅入り口交差点付近での、周辺の住民が連れだって新聞社が配る応援用小旗を振って声援を送る情景は、正月の風物詩です。今年の「第88回東京箱根間往復大学駅伝競走」も、2日は晴天に恵まれ8時を少し過ぎる頃には人が集まり出します。ランナーが通過する8時40分頃には、城南信金前の大森町入り口交差点には旗を持った人で一杯になり、交差点の信号を交通巡査が手動で赤として、全ランナーが通り過するまで横断禁止となります。

 第1区大森町駅入り口交差点城南信金前(:応援者に配る応援用小旗、:応援者が集まりだした大森町駅入り口交差点城南信金前)

間もなく平和島上空に撮影のためのヘリコプターの3機が南下するのが見えると、規制予告車や先導車に続いて1号中継車が通過します。大森町駅入り口交差点から北方約200mにある、第1京浜国道との産業道路三叉路地点のスタート点からの公認距離は13.6kmです。

 箱根駅伝先導車の交差点通過(:規制予告車、:、:箱根駅伝1号中継車)

大森町駅入り口交差点でのトップランナーは、早大の大迫傑選手(2年)で、やや遅れて日体大の服部翔大選手(2年)が2位で通過して行きました。

 1位と2位が通過の大森町駅入り口交差点(:交差点トップランナー早大の大迫傑選手、:交差点2位通過の日体大の服部翔大選手)

2位の日体大が通過してから3位集団の先頭との間はやや開いて、駒大以下7校が縦列状に連なって大森町交差点を走り抜けて行きました。
後尾集団は、多少間隔を開けて通過して行き、大森町交差点の最終ランナーは中央学大でした。

 大森町駅入り口交差点通過の3位グループ集団1(:箱根駅伝3号中継車、・、:交差点通過の3位グループ)

母校明大箱根駅伝チームを紹介しておきます。監督は西弘美で、駅伝出場回数は54回目で、最近は4年連続出場しており、その成績は平成9年が8位、平成10年が10位、平成11年が5位であり、優勝回数は7回あります。西監督が目指す今年の成績は、「今回は優勝を目指してこの1年間、練習をしてきた。しかし、過度の練習のせいか8月の強化合宿で3、4人が故障してしまった。そういった戦列から離れた選手も復帰してきた。あと3週間、調子を上げていくだけ。今回のように半数の選手が初エントリーというのはチーム初のこと。それがいい結果になっていくことを願っている。3位以内を目指して頑張っていきたい。」と語っております。今年は、キャプテンの鎧坂哲哉(4年)選手が腰痛のため、往路2区の出場を見合わせとなり、菊池賢人(3年)選手が3区から2区に入り、3区は石間涼(2年)選手が2区を走ることになり、1年生選手が3人の出場で頑張って3位を目指して欲しいところです。

 大森町駅入り口交差点通過の3位グループ集団2(:交差点通過の3位グループ)

第5区箱根の山登りの東洋大の柏原竜二(4年)選手の力量は、凄いの一語に尽きます。しかし、明大の大江啓貴(3年)選手も山登りは強く、11年には5区候補の選手が故障し、急きょ山を下るのではなく上ることになり、設定タイムより2分も速い1時間19分52秒の力走で、東洋大・柏原竜二(1時間17分53秒)に次ぐ区間2位の成績を上げました。今年も、好成績を目指して昨年位以上の成果が期待できます。

 終端選手グループ(左上:交差点を17番目に通過の選手、中上:18番目に通過の選手、右上:19番目に通過の選手、左下:ラストで通過する選手、中下:後尾機動バイク、右下:選手伴走監督車)

第1区の大六野秀俊選手は1年生選手ながら、大森町駅入り口交差点では3位集団に食い込んで頑張り、第1区は6位でゴールしたので、後の選手の成績によっては良い成績が期待できます。

 第1区成績順位

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大森町界隈あれこれ 新年を準備の大森町周辺の風景・風物 年末・年始の商店と氏神諏訪神社を歩く

2012年01月05日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2012 3月11日の大地震でひびが入り応急手当中の文政7年建立の鳥居

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2011年暮れゆく大森町風景
・お正月飾り
暮れも詰まった2011年12月28日の大森町商店街やスーパーでは、正月用品の大売り出しです。和菓子店の豊田屋には神棚にあげる鏡餅が並び、スーパーではお正月のお飾りが揃っており、花屋には松飾り(門松)や輪飾り、ごぼう締め(だいこん締め)などが売られています。

 お正月飾り1(:鏡餅 豊田屋、:お正月飾り用品、:松飾り チューリップツリー)

正月の飾り物は、12月29日と31日に飾る事は縁起が悪い事とされ、特に31日に飾る事を一夜飾りと云い飾りません。一般的に12月27日頃から28日までに飾ります。お正月飾りのとり払いは「松の内」が過ぎた1月7日に行い、各地方で行われるどんど焼きか自宅で焼いて捨てます。

 お正月飾り2(:お正月の花、:ごぼう締め、:お正月飾り 美喜生花店)

・お焚きあげ
年内に健康や安全などを祈願して求めたお札・お守りや、1年経過したごぼう締めなどは、ご利益が抜けていくといわれていますので、地元の氏神様では暮れにお札・お守りや大根じめをなどを納めると、お焚きあげが行われます。氏神様の諏訪神社では、12月28日午後2時に毎年恒例の、「魂ぬき」のお祓いをしてお焚きあげが行われます。

 諏訪神社お焚きあげ(20111228写真拡大)

・大祓い
大祓いとは、神話で見られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)を起源とし、宮中においては古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。
地元の諏訪神社では12月の大祓いは、人形を用いて身体を撫でて、身についた穢れを祓い、無病息災を祈るため大祓詞を唱え、その人形に御厚志を添えて神社に持参すると、神社では12月28日に行われる大祓い式典により、人形は身代わりとなり祓い清められます。

 諏訪神社大祓い(:諏訪神社ひとかた、:大祓いが行われた諏訪神社本殿20111228)

元朝参り
年が明けて新年を迎えると1月1日です。1年の始まりの日を元日といい、元日の朝(午前中)を「元旦」といいます。12月31日の大晦日の夜に出かけ、元旦とともに初詣りすることを、元朝参りと云われています。
地元の諏訪神社に元朝参りをして、一年間の無病息災を祈願しました。今年の、諏訪神社の元朝参りの人出は、昨年に比べて人出がやや少ないようでした。

 諏訪神社元朝参りの行列(20120101写真拡大)

参詣が済んでから、近所の知り合いと新年の挨拶をして、境内広場のたき火で暖をとり一休みしてから、諏訪会館横の神酒所でお神酒または甘酒が振る舞われますので、甘酒を頂いてきました。

 諏訪神社元朝参り風景(:参詣が済むとお神酒・あまさけが振る舞われる、:参詣が済んでたき火で暖をとる)

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大森町界隈あれこれ 大震災で自粛の夏の例祭 神輿自粛の浅間神社と例大祭式典のみ斎行の諏訪神社

2011年06月07日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 大森沢田東町会のお囃子会
   
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大地震で夏の例祭自粛
今年の夏の例祭は東日本大震災により、下谷神社・神田明神・浅草神社・鳥越神社などの下町を代表するお江戸神輿で有名な神社の神輿渡御が中止になりました。神輿渡御が中止の神田明神や浅草神社では、神職や氏子らが神前で例大祭式典を実施し、被災地の復興祈願が行われました。
一方で、品川神社では東日本大震災復興祈願して、6月3日19時から宵宮・祭典を執り行い、4日14時から子供神輿の連合渡御と16時から大人神輿の連合渡御が行われ、5日は神幸祭で8時に鳳輦の出社と本社惣町神輿を宮出し、13時30分から本社惣町神輿の渡御が行われ(「風景・風物詩 天王祭 品川神社例祭2008とおいらん道中(その1)」参照)ました。

・浅間神社例祭
大森町界隈の浅間神社(大森西2-2-7)での夏の例大祭は、地震の自粛として神社神輿と山車の巡行は中止し、6月4日(土)に宵宮祭りを執行し、5日(日)10時に例大祭式典を執行し、両日の18時から奉納演芸大会が開催されました。

 浅間神社例大祭ポスター

浅間神社の由来によりますと、1918年(大正7年)に耕地整理のため移転し、その後また、氏子の増加と道路拡張のため1940年(昭和15年) に現在地の環7通り沿いに遷座したといわれております。

 例祭参詣(写真拡大)

快晴で汗ばむ4日に見に行くと、大森町の神社例祭の露天数では最大の出店を誇り、神社前の環7通りの歩道と神社境内には露天(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 浅間神社例祭」2007参照)が立並んでいます。

 環7通りに立並ぶ露天(写真拡大)

環7通りの歩道は狭いので、食べ物屋やお面・おもちゃなどを主体とした露天がびっしりと店を連ねています。

 大森町最大の出店を誇る環7歩道の露天(写真拡大) 

境内では遊ぶ場所がとれるので、金魚すくい、型抜き、射的、輪投げ、スマートボール、ゲーム釣りなどの出店が、子供たちには遊び心をくすぐり、大人には哀愁を誘うのがお祭りの露天です。

 境内はゲーム感覚の出店の露天が立ち並ぶ(写真拡大)

今年の例祭は山車の巡行は中止となりましたので、毎年山車を引いてくれる子供たちに配っていたおもちゃの代わりに、沢田東町会と沢田睦会の2か所で子供の楽しみとしておもちゃのくじ引き会が5日に行われました。

 山車の巡行中止によりおもちゃくじ引き会を行う(写真拡大)

浅間神社の夏の例祭の子供会と達人連のお囃子を、4、5の両日にわたり撮影しました。

浅間神社お囃子連2011年6月.wmv


[クリックすると、子供会と達人連のお囃子が見られます]

・諏訪神社
諏訪神社の夏の例祭(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社2009年例祭」参照)は5月最後の週の土日に行われますが、今年は東日本大震災により例祭を自粛し、5月29日に神職や氏子らが神前で例大祭式典のみを実施しました。
記録はありませんが、世界大戦により例祭(戦時中の諏訪神社例祭写真「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 諏訪神社その3」参照)が中止となり、戦後の復興により例祭が再開された後では例大祭式典のみのお祭りは初めてのことと思われます。今年の5月28、29日は雨に祟われて、被災地で災害に遭われた方のご冥福を祈り、今後の復興を祈願をして誠に寂しく悲しい例祭となりました。諏訪神社では、お祭りに奉納された金額の一部を東日本大震災の義捐金としてお送りしました。

 例大祭式典のみの2011年春の例祭(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 満開の季節 大森町界隈の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃その2

2011年04月13日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 大森町界隈の通りすがりで見た紅白の花
           
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大森町界隈の花その2では、内川周辺と大森西町会の庭先に綻びている花を追ってみました。

 内川周辺の花のスポット

開桜小学校と内川護岸堤の桜
開桜小学校(大森西2-26-3 地図参照)へは、大森西交通公園を北に進み内川に架かる三之橋にでると、右側の川端の校舎が開桜小学校です。開桜小学校は、2002年に大森第二小が大森第六小を統合した学校であり、大森第一小学校と共に大森では最も古く開校した兄弟校で、校庭には大森第一小学校と分校前の寄来学校時代の記念碑(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2007.10.14)」参照)が建っています。

 大森第2小の石碑(:山口琢磨先生の記念碑、:大森第2小学校歌歌碑)

4月10日は満開の桜の都知事選で、大森開桜小学校は投票会場になっており、花見日和の投票日となりました。

 満開の桜の投票大森開桜小学校会場(写真拡大)

開桜小学校の南面は内川(「大森町界隈あれこれ 内川風景 大森町を流れる昭和の面影 その1、2」参照)に面しています。その内川の三之橋から二之橋までの間では護岸工事が行われ、完成の2009年3月の竣工に合わせて護岸堤に桜が植樹され(「風景・風物誌 花見のはしご 今年は大森町界隈の花見と大田区の桜 その1」参照)、堤にはベンチが置かれ、開花時期には開桜小学校校庭の桜と並んで咲き誇り近隣の憩いの場所となっています。

 大森開桜小学校内川周辺の満開の桜(左上大森開桜小学校東通の満開の桜:、中上右上:内川護岸堤二之橋付近の満開の桜、左下中下右下:内川護岸堤三之橋付近の満開の桜)

諏訪公園
現在の諏訪公園(大森西3-3)は面積が1,286平方メートルであり、内川沿いの2007年2月に完成した大田福祉作業所の場所と交換して、同作業所の南側の大森西交通公園の筋向いに2008年の春に移築しました。移築前の公園には、何本かの年数をかなり経た桜が植えられており、開花時には見事な花を咲かせておりましたが、移築時に近隣の要求で公園は開けた形態としたいとの要望で、桜の木は2本植えられたのみです。また、大田福祉作業所でも、数本の若い桜の木を植えたのみで、昔の諏訪公園を知る人から見ると淋しくなりました。

 諏訪公園と大田福祉作業所の桜(左・:大森諏訪公園の桜、:大田福祉作業所の桜)

大森町界隈の庭先に綻ぶ春の花
大森町界隈の街内を歩くと庭先、路地および窓辺には、春の種々の花が咲き誇っています。
その一つに、白、紅とピンクの混ざった花桃が町の庭先で見られました。

 大森町界隈の庭先きに綻ぶ紅白の花桃(写真拡大)
 
花桃は、庭先に数本植えられており、1本の木に白、紅とピンクの花を付けていました。

 紅、白、ピンクの各色の花を付ける花桃(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 満開の季節 大森町界隈の公園・道路・庭先に春爛漫に咲く桜・桃その1

2011年04月10日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 4月10日の交通公園の桜
          
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今年の春は未曽有の大地震に見舞われ、その後の大きな余震などで復興に向かう心も脅かされています。このような状況でも、春の息吹は町のあちこちで見られ、公園や庭先には春の花が満開に咲かせ、見る人々に癒しを与えて貰えます。
今年の東京での桜は、4月1日に開花して、8日に満開となりましたので、大森町の公園や庭先に咲き誇る満開の花を追って歩いてみました。

 大森西花のスポット

東邦医大通りのコヒガン桜
補助27号線は、品川区東大井五丁目から大田区蒲田四丁目に至る全長5.5kmの都市計画道路で、環七通りより南側を東邦医大通り(昔は鬼足袋通り)と云い、北側の大田区内を沢田通りと呼び、品川区内を桜新道と呼ばれていました。現在、道路拡張工事が行われており、全体幅員9mの道路を幅員20mの道路に拡幅整備するとともに、内川に架かる富士見橋(橋長:約15m)の架替えを行う計画が予定されています。
この東邦医大通りの拡幅が済んだ東邦医大前から南方にコヒガン桜が植えられ、並木通りとなっています。

 東邦医大通りのコヒガン桜並木1(写真拡大)

4月6日に見ると、コヒガン桜は満開で濃いピンク色の花は見事で、通りすがりの人は見とれていました。

 東邦医大通りのコヒガン桜並木2(写真拡大)

三輪公園の桜
三輪公園(上記地図参照)には、東邦医大通りの東邦大学前交差点を北に進み、2つ目の交差点を右折すると約100m先の左側に大田区立大森西図書館があります。三輪公園は、同図書館に隣接してあり、さらに通りの約50m先の南側には三輪神社があり、これが公園の名の由来であると思われます。

 三輪公園周辺(:谷戸三輪神社、:三輪公園の桜)

三輪公園に隣接した図書館の入り口前には、大田区文化財に指定された常夜灯が置かれてあり、常夜灯は江戸後期に東海道筋に通行人の目印として、大森村を中心に近郷、江戸、川崎などの富士講の人々が、谷戸の交番(大森中1-18)付近の天神社前の旧東海道に建てられたと云えられています(「大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 谷戸三輪神社秋の例祭」参照)。

 三輪公園内の常夜灯(写真拡大)

三輪公園(大森西5-2)の広さは1,606平方メートルあり、大森西の公園では2番目に桜の木が多く植えられており、花見時には見事で、4月9日に見てきました。

 三輪公園の桜(写真拡大)

大森西交通公園
大森西交通公園(上記地図参照)には、三輪公園東に接する通りを北に100m程進み4つ角を4筋越えて突き当りの通りにでて、その突き当りを左折して200m程東に行くと、通りの4つ角北側に小さな信号機や横断歩道もあり、備え付けの自転車などで回れるサイクリングコースの交通公園です。

 大森西交通公園の桜([4月7日の開花状況]・[4月9日の開花状況]写真拡大)

大森西交通公園(大森西3-4)の広さは3,300平方メートルあり、通りに面した公園内の南面と西面には、大森西地区の公園では最も多い桜の木が植樹されており、樹齢は40年近く経過しており満開時にはとても見事です。

 4月9日撮影の交通公園満開の桜(写真拡大)

花見時には、近隣の老人クラブや会合団体がお花見会を開いており、人気の花のスポットです。また、お盆の時期には、大森三丁目連合町会の「盆踊り大会」が行われます。

 4月10日撮影の交通公園満開の桜(写真拡大) 
 
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大森町界隈あれこれ 梅の名所を忍ぶ 広重の浮世絵で梅の名所として有名な変わりゆく梅屋敷公園

2011年03月03日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 梅屋敷公園
         
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梅屋敷公園
かっては、梅の名所であった梅屋敷公園(「大森町界隈あれこれ 大森町風景 梅屋敷公園」参照)の現状は、京浜急行電鉄の梅屋敷駅と京急蒲田駅の中間の第1京浜国道沿いにあり、西側は京急の3層高架化工事現場に接しており、公園地の一部を工事のヤードとして借り上げられました。

 梅屋敷公園航空写真MSN(2008年5月頃撮影)


また、梅屋敷公園と第1京浜国道を挟んだ対面では、巨大な大田体育館の建替え建設が行われており、その第1京浜国道の公園側は幅員の拡幅が行われる予定であり、周囲の状況はとても梅の名所の環境ではありません。

  建替え工事中の大田体育館

それでも、聖跡梅屋敷公園は、明治天皇に愛されて入り口に「明治天皇行幸所蒲田梅屋敷」の石碑が建っており、京急の高架工事以前までは昔の梅の名所であった公園には、かなりの梅の木が植えられていましたが、目の前の第1京浜国道の排気ガスで年々と梅の木の勢いは衰えてきました。梅の季節を迎えた2月23日に、ぶらりと現在の梅屋敷公園に行ってきました。

 梅屋敷公園入口

第1京浜国道から公園に入ると、突き当りには3階建ての高架橋が聳え、手前には無粋な工事のヤードの白塀が建っています。

 ヤードで狭くなった梅屋敷公園(左:梅屋敷公園のヤードの先には3階高架橋が建立、右:ヤードの白塀で分断され小さくなった梅屋敷公園20070519)

それでも、公園の数少なく残された老衰した梅の木には花を付けていました。今年の冬は、気温の低いせいで花の開きが、少し遅いようです。

 季節がきて花を付けた梅屋敷の梅(写真拡大)

高架工事のヤードで縮小のため、削られた池の周りの梅の木だけの本数はかなり少なく、明治天皇の行幸が九度あったという、かっての聖跡梅屋敷公園の面影は感じられません。梅を見ながら、池の周りを一周しても5分もかかりません。

 梅屋敷公園池の廻りの梅(写真拡大)

なお、ヤード内に植えられていた梅の木は他に保存してあるようですが、復元しても今度は第1京浜国道の幅員拡幅により、工事が始まれば現状とほぼ同じの幅の奥行きで、公園の面積は広くなりません。

 第1京浜国道幅工事と梅屋敷公園説明図

しかし、かってはの名園の梅屋敷公園です。狭い公園内には、今もいくつかの石碑が残されています。

 梅屋敷ゆかりの句碑・歌碑(左上左下:狂歌堂真顔の歌碑・説明板、中上中下:梅路、梅志の句碑・説明板、右上右下:山本久蔵の句碑・説明板)

大田区体育館建替え工事
公園内から東方の第1京浜国道を見ると、巨大なクレーンが動いて旧大田区体育館(東蒲田1-11-1:平成20年3月31日閉館)の跡地に、大田区総合体育館の改築が進められています。体育館の施設は、メインアリーナが1,824平方メートルで固定と可動観客席が4,000席、サブアリーナが約714平方メートルで固定席が200席、体育室1、2が計287平方メートル、会議室が約100メートル、弓道場が近的28メートルの5人立ち、その他の設備として駐車場、駐輪場、更衣室、控室、トイレ等が整備されます。
体育館の建物は、約8,588平方メートルの敷地面積に、建築面積が約5,813平方メートルで、延べ床面積が約13,970平方メートルの規模です。改築工事の期間は、平成24年3月16日に完成の予定で、現在は地上階メインアリーナ躯体の屋根鉄骨工事が行われています。
工事の模様を、第1京浜国道上の梅屋敷公園横断歩道橋上から2月22日に撮影しました。

 大田体育館の建替え工事(写真拡大)

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大森町界隈あれこれ 大森町2月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午と金山神社の針供養他

2011年02月14日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 節分豆まき        

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節分祭と初午祭
2月には、氏神様の諏訪神社では立春の前日に「節分祭」が、最初の午の日に末社の伏見稲荷神社で「初午祭」を行い、引き続き内川沿いの末社の金山神社にて「針供養」を行うのが恒例で、春を前にした大森町の風物誌です。

 2月の大森町の風物詩の諏訪神社と末社(:節分祭の諏訪神社、:初午祭の末社伏見稲荷神社、:針供養を行う末社金山神社)

節分祭・初午祭・針供養のご案内。

 節分祭・初午祭・針供養のご案内

・節分祭
節分祭は2月3日に行われ、今年の年男・年女の申込者31名を3組に分けて、先ず本殿にて追儺式を挙げます。追儺の儀式は、「鬼やらい」「なやらい」「鬼走り」「厄払い」「厄おとし」「厄神送り」等と俗に称せられ、疫病などをもたらす悪い鬼を駆逐する行事(「大森町界隈あれこれ 二月の風景・風物誌 諏訪神社の節分・初午と金山神社の針供養2009」参照)をいいます。追儺式には、年男・年女は裃を着用し手水舎で左右の手と口を清め、神官を先頭にして本殿に上がり祝詞を捧げ、一同礼拝してから本殿内の内部に2回「福は内」と豆をまき、外部に向って1回の「鬼は外」と唱えて豆を撒きます。

 節分追儺の儀式

神官が太鼓を鳴らして儀式が終わると、豆の入った枡が各自に渡され、本殿前で記念写真を撮り神楽殿に上がり、クライマックスの豆まきが3回行われます。豆まきは、豆、お菓子、みかん等が撒かれ皆がわれ先にと縁起物を取り合う風景は大森町鎮守様の春の風物詩です。

 節分豆まき

・初午祭
初午祭は、お稲荷さんの総本社である伏見稲荷様は、711年(和銅4年)に降臨されたのが2月の初午だったと云われ、2月の最初の午の日である2月8日に、諏訪神社の鳥居を潜って右側に鎮座の末社の伏見稲荷神社で、午後3時から「初午祭」が行われます。初午祭の式典は、神社役員やお参りに来た人が諏訪会館に集まり、神主さんの先導でお稲荷さま内で祝詞を挙げて儀式を行い、参詣人が代表に合わせて参詣します。

 伏見稲荷神社で初午祭

・針供養
針の供養は江戸時代から、針の労をねぎらい裁縫上達を祈る祭りとして広まったそうで、関東では一般に2月8日に行われます。内川縁にある諏訪神社の末社の金山神社での針供養は、初午祭と同日に行うのがしきたりですが、今年はたまたま2月8日に重なりました。神主さんと神社役員や針供養をする女性が参列して豆腐に針を刺して神殿に捧げ、祝詞を挙げて供養をして代表に合わせあて参拝します。諏訪神社では、初午祭と針供養の儀式が終わると、一般参詣者にお菓子が配られますので、大勢の子供がお母さんと待ちかねて並んで貰う風景は微笑ましいものです。

 末社金山神社での針供養

大森三丁目連合町会創立60周年記念植樹の梅の花
大森三丁目連合町会では2009年が町会創立60周年に当たり、11月8日(日)に大田区長の出席のもとで、大森諏訪公園に区の木である白、ピンク、赤色の梅の木3本の記念植樹式典(「大森町界隈あれこれ ニュース 大森町周辺の秋のイベント(2009.11.29)」参照) が行われました。2010年2月3日に公園に立ち寄り植樹された梅の木を見ると、3本の梅のうち真ん中の木にピンクの花を咲かせて(「大森町界隈あれこれ 内川風景 変化する冬の内川を歩く(その2)」参照)いました。
今年も2月3日に大森諏訪公園に植樹された梅の木を見に行くと、3本の木の左端の梅に白い花を付けていました。

 町会創立60周年記念植樹の梅の花

大寿会第一クラブ新年会・誕生会
大寿会第一クラブでは、新年会と11、12、1月生まれの方の誕生会を、1月25日に諏訪神社諏訪会館で開催しましたので出席しました。
会長の挨拶後新年会が開始され、今年は地方選挙の年で多くの議員の祝辞があり、大森三丁目連合町会長濱勝康様、同女性部長田村正子様の来賓祝辞に続き、大寿会第2および第3クラブ会長の紹介がありました。

 会長挨拶・町会長・婦人部長挨拶

続いて誕生者の氏名が、11月生まれ6名、12月生まれ6名と1月生まれ12名の紹介があり、新役員2名の紹介などがあり乾杯によりお弁当を食べながらの新年会の懇親会が始まり、新年恒例の抽選会が行われました。

 乾杯の音頭後恒例のお楽しみ抽選会

新年会も盛り上がり、お楽しみの余興の時間に入り合唱、カラオケ、舞踊と和やかに過ごしました。

 盛り上がる新年会余興

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 第87回箱根駅伝その2

2011年01月14日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 早稲田総合優勝アンカー中島賢士選手(産経ニュース) 

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・復路コース
1月3日は、長男・次男親子が大森町の実家に集まり新年会を行い、午後には第1京浜国道に皆で駅伝復路の応援に行きます。孫は、大学が異なりますが、親子3人はたまたま同じ大学を出ており、応援が一緒に行えます。このところ、連続してシード校に入っており、今年も確保できました。
第87回箱根駅伝1月3日の第2日目の復路は、快晴の箱根芦ノ湖を午前8時に往路優勝の東洋大市川孝徳選手がトップで6区へ走り出しスタートです。往路2位の早大はトップから27秒差で、3位の東海大は1分57秒差でスタートし、4位の母校明大は2分21秒差で以下、駒大、国学院大、城西大、中大、拓大と、10位の日体大とトップの差は6分29秒差で東京・大手町を目指して駆け抜けます。

 復路の出発時間差

第6区では、15km過ぎに早大・高野寛基選手が路面が凍っているため転倒しましたが、すぐに立ち直り東洋大・市川孝徳選手とトップを並走していたが、小田原中継所では早大が区間2位で1位に出て8時59分22秒で通過し、2位東洋大の通過は8時59分58秒の36秒差で通過しました。

 第87回箱根駅伝往路のハプニング(左:早大・高野寛基選手第6区で転倒[毎日新聞]、右:國學院大・寺田夏生選手第10区でコースを間違える[サンスポ])

3位は駒大千葉健太選手が、9.3km付近で明大廣瀬大貴選手を抜き4位に浮上し、14.7km付近で東海大・河野晴友選手を抜いて3位に浮上して、中継所では区間新記録の58分11秒の9時01分36秒で通過しました。以下、4位の東海大の通過は9時02分14秒で、5位に落ちた明治は区間17位で9時04分05秒で昨年より1つ下がりましたのでこれより頑張って貰いたいものです。

 大森町付近で駅伝の応援する近隣住民(写真拡大)

第7区の小田原中継所では、トップの早大が区間2位の10時03分23秒と、第2位の東洋大との通過差を1分24秒とやや離し、第3位の駒大・窪田忍選手が区間1位で東洋大に32秒に迫りました。第4位の東海大は3位と3分40秒差で続き、明大渡辺真矢選手は10時09分33秒で通過してトップとの差は6分10秒で第5位を維持しました。

 10区大森町付近を通過する駅伝選手1(:大森町付近を通過する早大中島賢士選手、:大森町付近を通過する駒大藤田健介選手、:大森町付近で4位争いの東海大藤井勘太・明大小林優太選手)

第8区の平塚中継所では、トップの早大11時10分03秒で通過したが、第2位の東洋大・千葉優選手が区間1位でトップとの差を57秒に縮めました。第3位の駒大は東洋大との差が2分27秒と開き、第4位の東海大は駒大との差が3分55秒で続きました。第5位の母校の・明大岸本大直選手が中継所を11時16分34秒でタスキリレーして東海大に9秒差に迫り頑張りをみせました。

 10区大森町付近を通過する選手2(写真拡大)

第9区の戸塚中継所では、トップの早大・八木勇樹選手が区間2位の12時20分06秒で通過すれば、第2位の東洋大・田中貴章選手が区間1位でトップとの差を40秒に縮め、アンカー勝負となりました。第3位の駒大は東洋大との差が2分52秒で通過し、14.6km付近では東海大・金子太郎選手と明大・細川勇介選手が並走して4位争いとなりましたが、中継所では東海大が12時27分51秒で通過し、明大は4秒差で第5位を維持しましたのでシード権は獲得できそうです。

 10区大森町付近を通過する選手3(写真拡大)

以下、戸塚中継所通過順は、拓大、中大、城西大、帝京大に第10位が青学大と続き、21秒差で位國學院大が第11位、37秒差で日体大、38秒差で山梨学大が激しいシード権獲得の争いとなりました。日大が繰り上げスタートとなりました。

 10区大森町付近を通過する選手4(写真拡大)

第10区のアンカー選手の勝負では、早大・中島賢士選手が区間2位の10時間59分51秒で総合優勝しました。東洋大・山憲二選手が区間1位でトップを追い大会3連覇を目指しましたが21秒及ばず第2位となりましたが、2校の総合記録は大会新記録です。以下、第3位の駒大は区間3位で東洋大との差が3分41秒、第4位の東海大は区間4位で駒大との差が4分19秒、第5位の母校の明大も区間5位で東海大との差が12秒差と健闘して3年連続のシード権を余裕を持って獲得しました。第6位争いを中大、拓大で競い4秒差で中大が明大との差が3分で勝ちました。

 10区大森町付近を通過する選手5(写真拡大)

16kmすぎには城西大、青学大、帝京大、山梨学大、國學院大、日体大でシード権争いが続き、ゴールでは日体大、青学大、國學院大・寺田夏生選手はコースを間違えるがシード権を獲得しました。以下、城西大、山梨学大、帝京大の順となり、第8位日体大と第12位の山梨学大との時間差はわずか31秒でした。

 第87回箱根駅伝総合記録

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大森町界隈あれこれ 正月恒例 第87回箱根駅伝その1

2011年01月12日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2011 第87回箱根駅伝応援小旗 

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箱根駅伝
大森町の恒例の正月・年始風景は、このところ毎年快晴に恵まれた2、3日に、大森町を縦断する第1京浜国道を各大学の選手が走る箱根駅伝を、周辺の住民が連れだって新聞社が配る応援小旗を振って声援を送る情景を見るのが、新年のスタートを知らせる風物詩なのです。
今年の箱根駅伝は「第87回東京箱根間往復大学駅伝競走」で、母校を含めたシード校10校に、予選会から選考された9校と、関東学連選抜チームを加えた20チームで争われますので、昨年同様(「大森町界隈あれこれ 大森町の正月・年始風景 その1(第86回箱根駅伝)」参照)に第1京浜国道大森町駅交差点付近で、2、3日に応援に行きました。
2日の往路コースの応援は、京急大森町交差点の城南信用金庫前で第1区駅伝選手集団の通過を目前で見るのですが、今年は家を出るのがやや遅れたため交差点が閉鎖され城南信金側に渡れず、第1京浜国道の対面からの応援となりました。

 第1区大森町駅交差点付近応援風景(写真拡大)

・往路コース
往路は、千代田区大手町の読売新聞東京本社前を2日午前8時にスタートして、鶴見、戸塚、平塚、小田原の各中継所を経て、神奈川県箱根町の芦ノ湖までの108.0kmを5人の選手がリレーして走ります。
今年の大森町駅交差点付近の選手団の通過は、品川の御殿山あたりで早大の大迫傑選手が一歩先んじて先頭に出て、そのまま大森町を通過していきました。大迫選手の鶴見中継所のタイムは1時間2分22秒でした。

 大森町付近を通過する1位の早稲田大迫傑選手(写真拡大)

御殿山付近で早稲田の大迫選手が先にでると、日大の堂本尚寛選手がそれに続きグループ集団から飛び出して、大森町では1位と接近して2位で通過して、鶴見中継所のタイムは1時間3分16秒であり、鶴見では1位とは44秒差でした。

 大森町付近を2位で通過の日大堂本尚寛選手(写真拡大)

3位以下の選手団は大森町では、一団となって通過していきました。鶴見中継所の3位のタイムは駒大の油布郁人選手で1時間4分15秒と2位とは59秒差であり、4位は日体大出口和也選手で1時間4分19秒と3位とは4秒差であり、5、6位は中央学院大塚本千仁選手と山梨学院大松枝翔で1時間4分20秒と4位とは1秒差でした。

 大森町付近の3位だんご集団(写真拡大)

母校の明治大学4年の松本翔選手は鶴見中継所には、1時間4分31秒の15位で入り出遅れましたが、最下位20位の東海大刀弥健太郎選手が1時間4分53秒ですが3位駒大との差が僅か38秒と大混戦の様相となりました。

 第1区記録

第2区では早大設楽啓太選手が区間4位の1時間7分50秒で第1位を維持して戸塚に入り、第2位も日大ベンジャミン選手が1時間7分9秒の区間2位で2位を守り、第3位は東海大村沢明伸選手が17人抜きの1時間6分52秒で第3位に躍進しました。明大も第1区で出遅れたが鎧坂哲哉選手が11人抜きして1時間7分36秒の区間3位で4位に上がりホットしました。第5位は青山学院大が区間4位の1時間7分50秒で5位に浮上しました。
第87回箱根駅伝の伴走車は、トヨタ自動車が運営車両として3代目のトヨタ・プリウス プラグインハイブリッドを提供しました。3代目で採用された「リダクション機構付THS-II」に高効率外部充電機構を追加し、駆動用電池にトヨタ製ハイブリッド車としては初採用となった「リチウムイオン電池」を組み合わせた「リダクション機構付THS-II Plug-in」を搭載し、57.0km/L(プラグインハイブリッド燃費)という極めて高い燃費性能を実現すると共に、最大航続距離23.4kmのモーター走行(EV走行)と最高時速100km/hを実現したものです。

 第87回駅伝伴走車(写真拡大)

第4区までは早大が矢沢曜選手、前田悠基選手(区間2位)で1位を維持していましたが、東洋大が第4区で宇野博之選手が区間2位で総合3位となり、第5区の山登りでは昨年の覇者の柏原竜二選手が区間1位の1時間17分53秒で昨年に引き続き5時間29分50秒で往路優勝を勝ち得ました。早大は、27秒差の5時間30分17秒往路第2位となりました。
往路の東海大は、第3区で元村大地選手が区間2位の1時間3分21秒を出して5時間31分47秒の第3位に上がりました。母校の明治は、第3区で菊池賢人選手が区間4位で第3位に上がりましたが、第4区で北魁道選手が区間11位で第4位となり、第5区では2年生の大江啓貴選手が区間2位の1時間19分52秒を出して、5時間32分11秒の往路第4位となり踏ん張りました。

 大江啓貴選手が山登り区間第2位の健闘で往路第4位に輝く

往路第5位は駒大で、5時間33分15秒で、以下、第6位国学院大、第7位城西大、第8位中大、第9位拓大、第10位日体大でした。
第87回箱根駅伝の往路記録を見ると、第8位の中大から第13位の山梨学院大までが、1分差でひしめいており、復路のシード権争いが白熱しそうで見る者には楽しい展開が繰り広げられそうです。

 第87回箱根駅伝往路記録

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大森町界隈あれこれ 大森町の昔を古地図で探る 大森村絵図第2編第1回その3

2010年08月26日 | 大森町界隈あれこれ 風景
kan-haru blog 2010 1957年(昭和32年)諏訪神社例祭の樽神輿

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大森村絵図の社寺(2)
前回に続き、明治初期の大森村周辺の社寺を見ていきます。

 大森村の浅間神社、諏訪神社(①:大森神社[その2参照]、②:浅間神社、③:諏訪神社)

・浅間神社
大森村絵図の浅間神社が鎮座する位置は東海道三原の南原から、西隣の新井宿村の春日社に延びる横断道と、東海道山谷の内川から不入斗村の八幡まで縦断する道との交差点にありました。
浅間神社は1716-36年(享保年間)に、当時隆盛を極めた富士信仰に基づき、富士山本宮浅間神社を勧請したもので、祭神は木花咲耶姫命を祀ります。社記がなく草創は不明であるが、口伝によると氏子28戸で勧請し、大森村の沢田の鎮守でありました。

 大森村東大森沢田の浅間神社 

・諏訪神社
諏訪神社は、浅間神社の南西の大森村中心部の内川北岸からおよそ300m北方の田んぼの中央部にあって、境内は六郷用水に接しており江戸期には山谷の鎮守で、祭神は建御名方命が祀られています。諏訪神社の社録は1868年(明治初年)に保管者が火災に遭い、伝来の由緒は灰燼のため不明です。伝えられるところでは、徳川初期(1600年頃)の創建で昔は東海道付近にあり、後年現地に遷宮したものであると云われています。1611年(慶長16年)に完成した六郷用水が、諏訪神社境内の周囲を迂回していますので、その前後に創建地から移ったのではないかと思われます。

 大森村北大森山谷の諏訪神社

推定ですが、戦前には諏訪神社の神輿倉が第1京浜国道の現大森警察署の反対側付近にありましたので、創建時の諏訪神社は東海道の内川端縁付近に鎮座されていたものと思われます。

 諏訪神社例祭第1京浜国道神輿倉にて[昭和12年6月]

田んぼの中の本殿は草創期のもので、その彫刻美は徳川芸術を語るものとして有名であったと云われています。拝殿は遷宮の折に建築したもので、1831年(天保2年)に修復を加え同時に内陣を造営したと伝えられています。拝殿の天井は極彩色の花魚獣魚を描いた一尺四方の96個の区画で造られた合天井で、すこぶる美観を呈した大和画で揮毫者は不詳であるが、徳川時代の相当名のある画家の筆であると思われます。この種の大和画の天井は、厳正寺などの寺院では多く見受けられるが、社祠では珍しいものです。

 戦時下[1943年頃]の諏訪神社例祭子供樽神輿(写真の拝殿は戦災前の建築でその後修復されているが大和画の天井であるかは不明)

伝説として残る諏訪神社の縁起は、その昔、波に漂い大森海岸袖ヶ浦へ着岸されたご神体を、村民が尊崇して一祠を建立したのが諏訪神社の起源であると云われております。この境内に一匹の白蛇が棲みつき、祭礼の時、氏子等多数が参社して知らずに白蛇の尾端を踏んだので、古来祭礼には必ず降雨ありと伝えられています。
境内には、数百年を経たる老松が神威を示す如く繁茂しており、1824年文政7年甲申歳9月吉日建立の石造り明神型の鳥居が建ち、同じく文政の銘がある算盤額が掲げられています。(新版大森風土記から)

 文政七年建立の諏訪神社正門の鳥居

・貴舩神社と天神社
大森村の東海道を下ると東大森村の谷戸で、江戸時代には間(あい)の宿で立場茶屋がありました。谷戸の東海道4つ角道の左右には貴舩神社と天神社が対向して並んでいました。

 大森村の諏訪社、貴舩社、天神社

貴舩神社は、創建の年代は明らかではないが、江戸時代には大森村のうち東海道に面した本宿の鎮守であり、祭神は高龗神(たかおかみのかみ)が祀られており、貴船神社の御分霊と云われています。天神社は、菅原道真公を祀っています。2社に分かれているのは、村人の対立の関係から相立したものではないかと推察されるが、水上を営業とする生活者には欠くことができない守護神で、尊崇厚く祀られていました。(新版大森風土記から)

 大森村東大森谷戸の貴舩社、天神社

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