kan-haru blog 2009
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諏訪神社2009年例祭
氏神様の諏訪神社の例祭は毎年5月最後の土・日曜日に行われます。この時期は梅雨のはしりにかかる関係で、祭日中に雨に会う機会が多いのですが、今年も1日目の朝まで雨が降り続け、2日目の午後3時頃には通り雨にも遭いましたが例祭は最後まで行われました。
諏訪神社例祭1(左・中・右写真拡大)
以前の諏訪神社例祭日は6月の土・日曜日に行われていましたが梅雨時であり近隣の神社の例祭と重なるため縁日の開催を5月に変更してからは、境内と参道前の道路には沢山の露店の出店が出るようになり、お祭りの雰囲気を盛をり上げています。
露天出店の多い諏訪神社例祭
諏訪神社例祭2(左・中:大森3丁目連合町会お神酒所、右:例祭ポスター)
お祭りの縁日の露店には、射的、輪投げ、型抜きチャレンジ、金魚すくい、キャラクタお面、綿飴、あんず飴、バナナチョコ、かき氷、たこ焼き、焼きそばなどの店が出て、子供たちにとっては何よりの楽しみなのです。
諏訪神社例祭の露天
露天出店の大半は食べ物屋で、子供にとり年に一度のお祭りでは与えられるおやつと違い、貰った小遣いで自分の食べたい物をわくわくした気持ちで買う喜びは、何にも変えられないのです。孫は帰りがてらにお腹が減り、コリントゲームで引いて当たるとイチゴ付きが200円で定番のバナナチョコをまず買いました。串に刺したバナナに湯煎したチョコレートを浸して、冷やしてトッピングなどでコーティングした色とりどりの見ても楽しめるバナナチョコを片手に、腹の足しにとたこ焼きも買いました。
この祭の雰囲気は、大人になっても何時までもノスタルジアの想いを残してくれます。
食べもの屋の露店
世相により変化するお祭
諏訪神社の例祭は父の代から孫の代までにわたる長く、大変懐かしい大森町の小さな氏神様のお祭りですが、時代と共に世相に応じて長くお付き合いをさせて頂いております。諏訪神社の例祭の記事(2006年、2007年、2008年例祭参照)は、毎年にわたり掲載し、暗い戦時中のお祭りなど各時代のお祭りの一端を記載してあります。
大戦中は戦局の悪化とともにお祭りの雰囲気はなくなり日常の物資が欠乏し、おもちゃなども小学生3年の時にゴムまりが60人のクラスに5個の配給で、それを抽選で配る有様でした。出征で担ぐ人のいない神輿も供出などで無くなり、寂しいお祭りが行われた時代がありました。隣組の床屋さんが、子供たちが可哀そうだと手造りの樽神輿を造りそれを担いで、諏訪神社前で撮った写真(2008年例祭参照)がこの時代の唯一の記録写真です。その翌年に、子供たちは学童疎開で東京を離れていったのです。
小学6年の終戦で東京に引き上げると神社や京急の山谷駅(現大森町駅)は戦災で焼失し、大森町界隈の町内は焼け野原で一軒の家も無く、当座の仮の住まいは焼け残りの元事務所で複数世帯の居候でその日暮らしでした。その住居所在地の氏神様は隣接町の貴船神社であり、終戦翌年にはお祭りが復活して行われ、当時は地元の青年会が主催して境内では素人演芸会を開かれ、娯楽に飢えていた住民が多く集まり盛況でしたが、境内には売るものが何も無く露店の出店は無しで、自転車の荷台に付けたアイスキャンディだけがただ細々と売られていたとの記憶が残っています。
小学生の孫は、江戸3大祭の氏子に住んでいますが、お祭りが好きで小さな神社の祭の雰囲気もまた楽しいといって、一人で遊びに来て泊まり朝から晩まで日一杯楽しんでから帰ります。 孫の親もお祭り好きで、当時大森第2 (現開桜) 小学校時代の頃には、やはり朝から夜まで1日中祭に詰めていました。この頃から、お祭りの露天には射的、輪投げ、スマートボールや型抜きなどのゲームが出る様になり、特に男の子の対抗心を煽り熱中させます。ただ、子供を野放図にさせないためには、大人の監視か小遣いを制限して、平和なお祭りに親しまさせて楽しみを味あわせる方向付けが重要です。
熱中させる競技ゲームの露店
神輿・曳き太鼓
諏訪神社の氏子は第1京浜国道を境にして、東の町会と西の町会に別れています。大戦の疎開前までは東の町会に住んでいて、子供の頃は戦時色のお祭りを味わいました。戦後疎開先から東京に戻って西の町会に長年お世話になり復興期を経て、平和時のお祭りが続いております。
諏訪神社の氏子町会の神輿は東の町会では大人の神輿が復活して、大森警察署内に闖入(2006~08年例祭参照)しています。しかし、西町会では供出により大人神輿は無く、いまだに子供神輿と曳き太鼓だけでお祭りを祝っており、第1日目は町会神酒所を13時に、2日目は11時に出発して町会を一巡して幼児・児童を楽しませます。
子供神輿の町内会循環
諏訪神社奉納演芸会
年に1度の例祭は、地元町会の住民たちが楽しむ大祭です。例祭には、毎年恒例により奉納演芸プログラムが組まれ、第1日目はカラオケの唄を主体とした30番組と、第2日目は舞踊を主体とした35番組のプログラムが組まれ、両日とも多数の観客で盛況でした。
世相により変わるお祭りも今の平和の持続を祈願して、住民の楽しみが何時までも永く続くことを願って止みません。
奉納演芸会
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毎月1日付けのIndexには、前月の目次を掲載しております(6月分掲Indexへ)
・カテゴリー別Index 大森町の社寺総目次 へ
<前回 大森町界隈あれこれ 大森町の社寺 堀之内三輪神社2008年秋の例祭 へ
次回 大森町の社寺 磐井神社 古記に伝わる敏達天皇の二年に鎮座した大森で最も古い磐井神社の夏祭り へ
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諏訪神社2009年例祭
氏神様の諏訪神社の例祭は毎年5月最後の土・日曜日に行われます。この時期は梅雨のはしりにかかる関係で、祭日中に雨に会う機会が多いのですが、今年も1日目の朝まで雨が降り続け、2日目の午後3時頃には通り雨にも遭いましたが例祭は最後まで行われました。
諏訪神社例祭1(左・中・右写真拡大)
以前の諏訪神社例祭日は6月の土・日曜日に行われていましたが梅雨時であり近隣の神社の例祭と重なるため縁日の開催を5月に変更してからは、境内と参道前の道路には沢山の露店の出店が出るようになり、お祭りの雰囲気を盛をり上げています。
露天出店の多い諏訪神社例祭
諏訪神社例祭2(左・中:大森3丁目連合町会お神酒所、右:例祭ポスター)
お祭りの縁日の露店には、射的、輪投げ、型抜きチャレンジ、金魚すくい、キャラクタお面、綿飴、あんず飴、バナナチョコ、かき氷、たこ焼き、焼きそばなどの店が出て、子供たちにとっては何よりの楽しみなのです。
諏訪神社例祭の露天
露天出店の大半は食べ物屋で、子供にとり年に一度のお祭りでは与えられるおやつと違い、貰った小遣いで自分の食べたい物をわくわくした気持ちで買う喜びは、何にも変えられないのです。孫は帰りがてらにお腹が減り、コリントゲームで引いて当たるとイチゴ付きが200円で定番のバナナチョコをまず買いました。串に刺したバナナに湯煎したチョコレートを浸して、冷やしてトッピングなどでコーティングした色とりどりの見ても楽しめるバナナチョコを片手に、腹の足しにとたこ焼きも買いました。
この祭の雰囲気は、大人になっても何時までもノスタルジアの想いを残してくれます。
食べもの屋の露店
世相により変化するお祭
諏訪神社の例祭は父の代から孫の代までにわたる長く、大変懐かしい大森町の小さな氏神様のお祭りですが、時代と共に世相に応じて長くお付き合いをさせて頂いております。諏訪神社の例祭の記事(2006年、2007年、2008年例祭参照)は、毎年にわたり掲載し、暗い戦時中のお祭りなど各時代のお祭りの一端を記載してあります。
大戦中は戦局の悪化とともにお祭りの雰囲気はなくなり日常の物資が欠乏し、おもちゃなども小学生3年の時にゴムまりが60人のクラスに5個の配給で、それを抽選で配る有様でした。出征で担ぐ人のいない神輿も供出などで無くなり、寂しいお祭りが行われた時代がありました。隣組の床屋さんが、子供たちが可哀そうだと手造りの樽神輿を造りそれを担いで、諏訪神社前で撮った写真(2008年例祭参照)がこの時代の唯一の記録写真です。その翌年に、子供たちは学童疎開で東京を離れていったのです。
小学6年の終戦で東京に引き上げると神社や京急の山谷駅(現大森町駅)は戦災で焼失し、大森町界隈の町内は焼け野原で一軒の家も無く、当座の仮の住まいは焼け残りの元事務所で複数世帯の居候でその日暮らしでした。その住居所在地の氏神様は隣接町の貴船神社であり、終戦翌年にはお祭りが復活して行われ、当時は地元の青年会が主催して境内では素人演芸会を開かれ、娯楽に飢えていた住民が多く集まり盛況でしたが、境内には売るものが何も無く露店の出店は無しで、自転車の荷台に付けたアイスキャンディだけがただ細々と売られていたとの記憶が残っています。
小学生の孫は、江戸3大祭の氏子に住んでいますが、お祭りが好きで小さな神社の祭の雰囲気もまた楽しいといって、一人で遊びに来て泊まり朝から晩まで日一杯楽しんでから帰ります。 孫の親もお祭り好きで、当時大森第2 (現開桜) 小学校時代の頃には、やはり朝から夜まで1日中祭に詰めていました。この頃から、お祭りの露天には射的、輪投げ、スマートボールや型抜きなどのゲームが出る様になり、特に男の子の対抗心を煽り熱中させます。ただ、子供を野放図にさせないためには、大人の監視か小遣いを制限して、平和なお祭りに親しまさせて楽しみを味あわせる方向付けが重要です。
熱中させる競技ゲームの露店
神輿・曳き太鼓
諏訪神社の氏子は第1京浜国道を境にして、東の町会と西の町会に別れています。大戦の疎開前までは東の町会に住んでいて、子供の頃は戦時色のお祭りを味わいました。戦後疎開先から東京に戻って西の町会に長年お世話になり復興期を経て、平和時のお祭りが続いております。
諏訪神社の氏子町会の神輿は東の町会では大人の神輿が復活して、大森警察署内に闖入(2006~08年例祭参照)しています。しかし、西町会では供出により大人神輿は無く、いまだに子供神輿と曳き太鼓だけでお祭りを祝っており、第1日目は町会神酒所を13時に、2日目は11時に出発して町会を一巡して幼児・児童を楽しませます。
子供神輿の町内会循環
諏訪神社奉納演芸会
年に1度の例祭は、地元町会の住民たちが楽しむ大祭です。例祭には、毎年恒例により奉納演芸プログラムが組まれ、第1日目はカラオケの唄を主体とした30番組と、第2日目は舞踊を主体とした35番組のプログラムが組まれ、両日とも多数の観客で盛況でした。
世相により変わるお祭りも今の平和の持続を祈願して、住民の楽しみが何時までも永く続くことを願って止みません。
奉納演芸会
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