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kan-haruの日記

大森町界隈あれこれ(L32) 大森町の社寺 谷戸三輪神社秋の例祭

2006年09月15日 | 大森町界隈あれこれ 社寺
9月2、3日の第1土・日曜日は、谷戸三輪神社のお祭りでした。
谷戸三輪神社(大森西5-18-1)は、京急大森町駅の大森町商店街通りから一本南側の通りにあり、通りは大森西図書館に面しております。神社(地図参照)に行くのには、大森町駅西口の商店街通りから京急線路脇に沿って路地を南下すると、すぐ右に斜めに折れる道に出ますので、その道を進むと左手に三輪神社境内の大きな木と鳥居が見えてきます。

谷戸三輪神社の変遷
昔、谷戸三輪神社のある大森西4、5丁目や大森中1、2丁目付近は、西大森村谷戸と呼ばれ、品川宿と川崎宿の中間にあったので、馬子人足や旅人の休息のために立場茶屋(間の宿とも云う)が設けられました(「大森町界隈あれこれ(N31) 大森町風景 旧東海道(三原通り) その1」参照)。
谷戸三輪神社は、西大森村谷戸の鎮守様として村人の崇敬を集めましたが、1874年(明治7年)の神仏分離令により社号を三輪神社と改めたと由緒にあります。また、三輪神社は、太平洋戦争の大森町空襲(「大森町界隈あれこれ 鎮魂!大森町大空襲(第1~11回)」参照)で消失しましたが、戦後氏子の努力により再建し、1954年(昭和29年)に宗教法人三輪神社となりました。


神社本殿には、祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと) が祀られております。
末社稲荷社には、江戸末期の創祀で、祭神 宇迦之御魂命が祀られております。

谷戸三輪神社周辺
三輪神社は、大森三輪、鶴渡、邦西の三町会が氏子であり、丁度大森三輪町会の北の境が大森町商店街通り(「大森町界隈あれこれ(M30) 大森町商店街 大森町サマーフェスティバル」参照)に接しており、商店街通りの北側は大森三丁目町会(諏訪神社)で商店街の南と北とで氏神様が別れております。
谷戸三輪神社の通りの周辺には、三輪公園と大森西図書館(地図参照)があります。この公園では、祭りの夕方になりますと、神輿を担いだ人や地元氏子の方が集まり大勢でお祝いの酒宴が行われる慣わしとなってます。

常夜灯
公園に隣接した大森西図書館(5-2-13)の入り口の横には、大田区文化財に指定された常夜灯が置かれてあります。この常夜灯は、説明によると、江戸後期に東海道筋に通行人の目印として、大森村を中心に近郷、江戸、川崎などの富士講の人々が、谷戸の交番(大森中1-18)付近の天神社前の旧東海道に建てられた(地図参照)と云えられてます。
1923年(大正12年)の関東大震災では、灯篭が倒壊して破損し、その後東海道を拡幅して第一京浜国道が建設の時に、堀の内三輪神社(大森中3-17-15)に移転されました。現在の常夜灯は、1986年(昭和61年)に太平洋戦争戦災で失われた、火袋と笠石を修復し灯篭として復元したものです。

谷戸三輪神社神輿渡御り
3日の日曜日には、東邦医大通りの交通を止めて、神輿渡御りが行われました。残念ながら、大人神輿の渡御りを見に行くことができませんでしたので、前日2日の子供神輿(子供神輿1)と山車曳き(山車1)を見てきました。
どこでも見られる祭り風景ですが、神楽殿では お囃子が賑やかに祭りを盛り上げ、神輿を担ぎ終えた子供たち がお菓子を貰いはしゃいでいる光景は、和やかなものです。

谷戸三輪神社由緒
住吉、鎌倉時代幕府の家人、此地を領せし故、谷戸の地名興りしと謂れます。口碑、伝承に因れば、此集落の西端れ杜木立のうちに氏神さまを祀りたる小祠ありしが、江戸時代の初期の頃、地震、洪水など天災地変相次で起りし故、里人ら相計り、当時、出雲信仰が朝野の崇敬を集むる時勢に鑑み、里人らもまた、深く信仰する大黒さま(大国主命)を勧請し、諸災祓除五穀豊饒の願いをこめて、堂字を改め、第六天社と称え奉ったとされます。
比頃、谷戸は二十数戸と覚しき辺鄙の里に過ぎざりしが、人々の信仰心厚く、夙し早くから社殿を整備し、之を宜く護持した別当寺は蜜乗院大森寺でありました。

爾来、幾星霜ともなく西大森村の鎮守として人々の崇敬を集め、里言葉にて、“でえろくさま”と、親しみ称え奉り、また、数尠ない北向きの社としてもその名が知られ、文化文政時代の御社殿は、間口二間、奥行九尺と古書に記されております。
時代降って、明治維新に際しては、神仏分離令の布告、神社明微化の機運に伴い、明治七年、社号を三輪神社と改め奉りましたが、此頃の氏子は四十二戸、二百三十六人でありました。更に時移り、太平洋戦争中、空襲に因り、全社殿を消失しましたが、氏子一同宜く再建に努め、また、戦後の宗教改革に当り、宗教法人の承認を受け、昭和二十九年宗教法人三輪神社と改りました御末社、稲荷社は年代不詳ながら江戸末期の創祀と伝えられ、祭神は宇迦之御魂命と称え奉り、宇迦はウカ(食)にして食物一切を司さどる霊験あらたかな庶民の守護神であります。

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