味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す。

2015-07-31 09:44:26 | ブログ
第2406号 27.0731(金)
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胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す。『唐書』
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 度胸は大きく、注意は細かくするがよい。663 
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 【コメント】中村天風を学んで20年、天風は祖父が食事をするたび呼ばれて「男は度胸だ」ということを聞かされたと述懐(じゅっかい)しています。そういうことが功を奏して歴史に名を遺(のこ)す大人物になったのだと思います。
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 能力も度胸もない後期高齢者の私ですが、ただ『南洲翁遺訓』を忠実に子供たちに教えて行きたいと思っています。
 昨夜は森永礼弥君、正田宗一郎君に、師範組手を教えたいが稽古をしますか、と聞いてみました。やりますと言ったので指導を開始しました。お互い稽古において、相手の突きを受け損なって、顔面にあたることもあります、それが怖いならやめようと言ったら、やりますということでした。
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 型も約束組手も人格も日本一になるよう技として教えたいと思います。多分、二人はついてくるでしょう。とにかく子供たちに打たれ強い人間になって欲しいと思っています。悪口をいわれたから、馬鹿にされたから、死ねといわれたから、何故死ななければならないのですか。平和と繁栄の代償が子供たちをひ弱にしているのです。
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 いじめられた子供をケアする態勢も学校教育現場で措置するとのことですが、合せて何事にもひるまない人間づくりこそしなければならないでしょう。高木先生、そうおもいませんか。

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『大学味講』(第243回)
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 (二) 大学の本文に「其の本乱れて末治まる者はあらず」とあるが、もしこの場合、重耳が秦の穆公の言に乗せられて、兵を起こして無理に王位についたとしても、世の非難もあり、決してうまくおさまるものではありますまい。こうして、立派に仁の道を行った重耳はやがて迎えられて、献公の後を継いで文公として王位に即いたのであります。
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 大学の巻末の結びの語として「国は利を以て利と為さず。義を以て利と為す」とあるが、目先の「利」だけで動いて、「仁」を忘れ「義」を軽んずることは、決して最終の利を得る所以ではありません。
 「利」とは「よい結果」という意味で、単に「財利」だけではなく、「勝利」もあり、また仏教でいう「冥利」----もあるのでありまして、本当の利(よい結果)は、何事につけても正しい道を行った者に与えられるもので、この意味において、「親に仁するを以て宝となす」とは、極めて自然のことであります。

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『論語』(第343)
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 或ひと子産を問ふ。子曰はく「恵人(けいじん)なり。」子西(しせい)を問ふ。曰はく「彼をや彼をや。」管仲(かんちゅう)を問ふ。曰はく「この人や、伯氏の駢邑(へんゆう)三百を奪ひ、疏食(そしょく)を飯(くら)ひて齢(よわい)を没(ぼっ)するまで怨言なかりき。」
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 ある人が鄭(てい)の大夫子産の人物をたずねたら、孔子は、「仁愛深い他人だ」と答えた。鄭の大夫子西のことをたずねると、「あの人か、あの人か」といって、別に問題にしなかった。次に、斉の桓公(かんこう)に仕えた賢大夫の管仲の人物をたずねた。孔子がいうには、「あれは人物だ。彼は斉の大夫伯偃の罪をただし、駢邑という彼の領地三百家を没収したことがあった。そのために伯氏は困窮して、粗食粗衣の貧乏生活をしたが、一生を終わるまで管仲に対する怨言を言わなかった。これは管仲の処置が公明正大であったので、処分された者も心服して怨みごとが言えなかったということである。
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『農士道』(第222回)
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 吾々が「境遇」や「性質」によって拘束せらるるのも命(世間所謂運命)であり、其の「命」の現状に慊らずして彼岸遥かに「志」を立つる力も、其の「志」に向って精進する力も實は「命」の用(はたらき)----即ち生命であり、而して其の命の所有者たる人間そのものが「命」(みこと)なのである。思えば吾々の生活は實に「命」の一字によっていみじくも證悟し得るもので、我が日本民族が肇国以来崇高なる人格の所有者を呼ぶに「みこと」の名を以てし、而してこれに當つるに漢字の「命」の字を以てしたということは永遠に世界に誇るべき道徳的證悟である。
 人生は實に「天命」であり、而して「生命」であり、而して「命」(みこと)なのである。------もと如実にいへば、「天命」の上に立って、「生命」して行く「命」(みこと)なのである。かくて「命を知らずんば以て君子となすなし」という論語結尾の一語にも、「天命謂之性。率性謂之道。修道謂之教」といふ中庸の首章にも、其の「命」字に不尽の妙趣を汲み取ることであらう。

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『農士道』をご紹介する前は、どうしてもご紹介したいかず難解すぎる、と躊躇しました。第222回の今日でもって五分の二位済みました。あと三百回書き終えるまでは命は大丈夫だろうと思います。その後は大作品が待っています。『大学味講』『農士道』等々ご紹介しながら、政治家諸氏もなんてくだらない議論に終始しているのだろうと思っています。荘内南洲会にある図書等々を全国民で学ぶべきではないかと思う次第です。
 高木先生、倒れるまで学び続けたいものですね。パッとしない私ですが、学問の道に迷ってから凡そ40年、これほど楽しいことはございません。指宿の大先生も今先見えたのですが、話は何時も、荘内南洲会の先生方のことばかりです。根気づよくやっているつもりなのですが、小野寺先生がまだ足りないゾと言っているみたいです。頑張ります。