味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

楽は心の動くなり、聲は楽の象なり、

2018-08-31 09:38:27 | ブログ
第3531号 30.08.31(金)

樂は心の動くなり、聲は楽の象なり、文采節奏は聲の飾りなり。君子其の本に動き、其の象を楽み、然る後に其の飾を治む。是の故に先づ鼓して以て警戒し、三歩して以て方を見(しめ)し、再始はい以て往(すす)むを著し、復亂(またおわり)には以て歸(しりぞ)くを飭(いまし)む。奮疾(ふんしつ)して抜(と)くせず、幽を極めて隠さず。獨り其の志を楽しみて、其の道を厭はず。備(つぶさ)に其の道を挙げて、其の欲を私せず。是の故に情見(あらは)れて義立ち、樂終わりて徳尊し。君子は以て善を好み、小人は以て過を聽く。故に曰く、生民の道は樂を大と為すと。『礼記』582

 音楽は人の心の感動に生ずる。感動が物(楽器や人の口)によって表現されたものが樂音であり、歌の声であるが、その音や声に施される修飾が楽曲の樂章であり、小節である。それゆえ君子は音楽を鑑賞するに当たり、まずその楽曲の根本にある感動を味わい、その音や声を楽しみ、次に楽章や小節を吟味する。そのため演奏する側でも、音楽の演奏にはまず鼓を鳴らして開始を知らせ、舞踏の演技には三たび足を動かして舞踏の方式を知らせ、音楽でも舞踏でも一節を終えて次の節へ進むには再び鼓を鳴らし、全部を終えれば楽器で終結を知らせる。こうして鑑賞する者の便宜を計るのである。音楽の演奏には、曲調の速い部分は抑えて速過ぎぬようにし、至って幽玄で音の微かな部分でも手を抜いてごまかすことをせず、たとい他の人には理解されなくても、自分だけはその音楽の本旨を究めて楽しみ、この道を好んで厭きることがなく、もし学びたいと請う者があれば、この道のすべてを尽くして教授し、決して独占するものではない。こうした心がけであれば情意も道義も音楽によって美しく表現され、音楽の完成には優れた徳・人格が相俟っているわけなのである。そこで音楽によって君子はますます善を好み、小人も心を洗われて自分の過失を悔いるのである。ゆえに古人は言った、「人民を導いてゆくための方法として、音楽は重要である」と。582

 【コメント】<もし学びたいと請う者があれば、この道のすべてを尽くして教授し、決して独占するものではない。こうした心がけであれば、道義も情意も音楽によって美しく表現され音楽の完成には優れた徳が相俟っている>のである、とあります。

 礼記に記されていることは事実だと思います。我々はそういう事実を多くの人に味わって貰うべく努力したいものです。

 話変って、昨夜、奈良で深夜に中学生が単車で走っている時事故を起し、6名が死亡したとのことです。何故深夜に遊びまわるのでしょうか。
 そして警察から逃げ出した犯人に似ている男がパトカーに追われている時、道路に建ててあるポール柱に激突し死亡したとのことです。この男は無免許で単車は盗んだものであるとのことです。
 この二件の事件を見て、何故子供たちが深夜に無軌道なことをするのでしょうか。これらは戦後教育の安全・平和・人権の思想が内在しているのではないかと思うのです。
 学校でも、各家庭でも安全・平和と共に厳しい躾け教育が必要なのではないでしょうか。私が電電に入社した時、日教組・社会党を中心にした思想の蔓延に繋がっていると思うのです。それを引き継いでいるのが立憲民主党だと言われていまが、本当なのでしょうか。
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『善の研究』第17回

 かく意味という者も大なる統一の作用であるとすれば、純粋経験はかかる場合において自己の範囲を超越するのであろうか。たとえば記憶にあいて過去と関係し意志において未来と関係する時、純粋経験は現在を超越すると考えることが出来るであろうか。心理学者は意識は物でなく事件である。されば時々刻々に新であって、同一の意識が再生することはないという。しかし余はかかる考え純粋経験説の立脚地より見たのではなく、かえって過失は再び還らず、未来は未だ来らずというの時間性質より推理したのではないかと思う。純粋経験の立脚地より見れば、同一内容の意識はどこまでも同一の意識とせねばなるまい。例えば思惟或は意志において一つの目的表象が連続的に働く時、我々はこれを一つの者と見なければならぬように、たといその統一作用が時間上に切れていても、一つの者と考えねばならぬと思う。

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『菜根譚』第17

 世に処するに一歩を譲るを高しとなす、歩を退くるは即ち歩を進むるの張本なり。人を待つに一分を寛くするはこれ福なり。人を利するは実に己を利するの根基なり。

 〔訳〕世渡りをするには、先を争うとき人に一歩を譲る心がけを持つことが尊い。この自分から一歩を退くことが、とりもなおさず後に一歩を進める伏線になる。人を遇するには、厳しすぎないように、一分は寛大にする心がけを持つことがよい。この人のためにすることが、実は自分のためになる土台となる。

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 体操協会でもパワハラのトラブルが起っています。18歳の若い女の子が勇気を奮って記者会見をしました。ところが夫婦で体操協会を牛耳っている夫妻は昨夜は高飛車でしたが、組織の良識派に推されて軟化したみたいです。教化本部長の顔は悪の顔になっていると私はみています。
 もう少し優しく対応してくれた方がいいでしょう。
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徳は性の端なり、楽は徳の華なり。

2018-08-30 09:41:36 | ブログ
第3530号 30.08.30(木)

徳は性の端なり、楽は徳の華なり。金石糸竹(きんせきしちく)は樂の器なり。詩は其の志を言ふなり、舞は其の容を動かすなり。三者心に本づき、然る後に楽器(がくき)之に従ふ。是の故に情深くして文明に、気盛にして化神なり。和順、中に積みて、英華、外に發(あらは)る。惟樂は以て偽りを為す可からず。『礼記』580

 さて、人間の美徳は本性の善美なることの端緒であり、この徳の美しい発現が音楽である。また、金石糸竹は楽器を作るための重要な材質である。そして詩は人の志向の表現であり、歌・唱歌は詩の言葉たる声音を曲調に載せたものであり、また舞踊は心を動作に表現したものであって、この三者・詩・歌・舞が人の心情から発出したときに、種々の楽器が、その表現の役に立つのである。こうしたわけだから、音楽の発出のためには深く豊かな情感が必要であり、それに基づいて明確な、そして感動的な音楽が作られ、そこには人の心持ちが生き生きと動いており、聽く者を感動させる力が神妙である。即ちすぐれた音楽は、その内部に和合温順の精神が積み蓄えられ、それが力強く外部に発出して、美しい曲調を成すものであって、内部に蓄積の無い精神が、技巧のみに頼って表現を試みても、音楽ばかりは、虚偽では作ることができないのである。

 【コメント】<音楽は、その内部に和合温順の精神が積み蓄えられ、それが力強く外部に発出して、美しい曲調を成すもの>とありますが、出来れば技巧のみに頼って人々の美しい心情を掻き乱すことがあってはならないと思います。
 時代の変化に伴い安易な方へ走る嫌いがあるように思われるのです。歴史瞬間的位置にいる人々は、長期的視点に立ち、永続性のある方法で臨みたいものです。

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『善の研究』第16回

 ヴントのいったように、凡ての判断は複雑なる表象の分析によりて起るのである。また判断が漸々に訓練せられ、その統一が厳密となった時には全く純粋経験の形となるのである。たとえば技芸を習う場合に、始は意識的であった事もこれに熟するに従って無意識となるのである。更に一歩進んで考えて見れば、純粋経験とその意味または判断とは意識の両面を現わす者である、即ち同一物の見方の相違にすぎない。意識は一面において統一性を有すると共に、また一方には分化発展の方面がなければならぬ。しかもジェームスが「意識の流」において説明したように、意識はその現われたる処についているのではなく、含蓄的に他と関係をもっている。現在はいつまでも大なる体系の一部と見ることが出来る。いわゆる分化発展なる者は更に大なる統一の作用である。

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『菜根譚』16

 寵利(ちょうり)は人前に居ることなかれ、徳業は人後に落つることなかれ。受享は分外に踰ゆることなかれ、修為は分中に減ずることなかれ。

 〔訳〕人から受ける恩恵は控え目にして、他人より先に取ろうとしてはならない。しかし人のためになる徳業は進んで行ない、他人に遅れを取ってはならない。また、人から受け取る物は、もらうべきであっても分相応を越えてはならない。しかし自分のなすべき行為は、分相応をへらすことなく、より以上に努力しなければならない。/font>
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故に曰く、楽は樂なり。「礼記」

2018-08-28 18:12:29 | ブログ
第3529号 30.08.29(水)

故に曰く、楽は樂なり。君子は其の道を得るを楽しみ、小人は其の欲を得るを楽む。道を以て欲を制すれば則ち楽みて乱れず。欲を以て道を忘るれば、則ち惑ひて楽まず。是の故に君子は情に反りて以て其の志を和げ、樂を廣めて以て其の教を成す。樂行はれて民、方に郷(したが)ふ。以て徳を觀る可し。『礼記』580

 こうしたわけで、古人も「樂は樂(たのしむこと)である」と言った。即ち君子は音楽によって(音楽の表現する)善や美を知って楽しみ、小人は音楽によって(感覚上)の欲求を満たして楽しむ。君子は、善や美によって、(感覚的の)欲求を清らかにするから、音楽を楽しんで乱れないのであるが、小人は欲求に引かれて善も美も忘れるから、音楽を楽しむことができず、これに溺れてしまうのである。つまり君子は人情を好く考察し、音楽を利用して人心を和らげ、音楽の愛好を世に広めて教育の効果を大きくするように、努める。こうして音楽が広く行われ、その結果として民心が正しい方向に進めば、その事によって指導者たる君子の徳化が、好くわかるのである。

 【コメント】我々末端の者は君子ではありませんが、音楽を利用して人心を和らげ、音楽の愛好を世に広める教育の効果を大きくするように努めたいと思います。
 いろいろなことを研究してそれらを応用活用して楽しむことは大事ではありますが、人間社会に定着させるまでは種々の問題が生じると思います。とにかく平和的に進めることが肝要だと思います。

 <音楽にって----民心が正しい方向に進めば、その事によって指導者たる君子の徳化が好くわかる>とありますが、次元内容は異なるのですが、国内の障害者雇用の件について、法務省をはじめ多くの省庁が水増しして報告されていたとのこと、これはよくないと思います。子供たちの教科書にもその事実を書いて欲しいものです。

 例えば国のトップの権力者である総理が細かいと言われる位、正直に、丁寧に取り組むよう指示し、自分も天に誓って誠心誠意務めていれば、構成する人々も右へ倣う筈なのです。何故それが出来ないのでしょうか。元総理の小泉さんがいう通り、安倍さんは答弁の度、ウソが積み重なっていくといいましたが、総理の真似をしているのでしょうか。
 因みに私は、五年前、町内会長就任にあたり、全国で一番働く町内会長になる、そして一円の不正もしない会長になると心に近い、三年間、それはそれは働きました。
 ゴミ収集車がくるときは、その車両の先頭を走り、次の場所まで行き、係の人以上に率先してゴミを積み込んだものです。その時、収集車の人が「何故、会長さんはそこまでするのですか」と言われたものです。

 そして事務作業も全国一の資料を作ったという自負があります。年末の赤い羽根共同募金を市に提出する時、その資料を見た市役所の担当者が、こんな綿密な資料は初めてみました、これは誰が作成したのですか、と聞かれたものです。
 その数年前まで、鹿児島市空手道連盟15年間、鹿児島県空手道連盟20年間事務局長をしてきたのでした。当時中央の全日本空手道連盟に資料を送付したら、こういう念入りな総会資料は初めて見ましたと懇ろな言葉を頂いたものです。
 念入りな資料を作成すると、日々の作業の手抜き・インチキが出来ないからなのです。
 ここでお願いですが、政府関係者も虚偽答弁はしないようお願いしたものです。インチキをしたら天が観ているのです。公の場で答弁出来ない夫人は、公の仕事はさせるべきではありません。

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『善の研究』第15回 21頁
 
 これに反し、この統一が破れた時、即ち他との関係に入った時、意味を生じ判断を生ずるのである。我々に直接に現われ来る純粋経験に対し、すぐ過去の意識が働いて来るので、これが現在意識の一部と結合し、ここに純粋経験の状態が分析せられ破壊せられるようになる。意味とか判断とかいうものはこの不統一の状態である。しかしこの統一、不統一ということも、よく考えて見ると畢竟程度の差である。全然統一せる意識もなければ、全然不統一なる意識もなかろう。凡ての意識は体系的発展である。瞬間的知識であっても種々の対立、変化を含蓄しているように、意味とか判断とかいう如き関係の意識の背後には、この関係を成立せしむる統一的意識がなければならぬ。

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『菜根譚』13

 径路の窄(せま)き処は、一歩を留めて人の行くに与え、滋味の濃やかなる的(もの)は、三分を減じて人の嗜むに譲る。これは是れ世を渉る一の獄安楽の法なり。

 〔訳〕狭い小みちのところでは、まず自分が一歩よけて、相手を先に行かせてやり、またおいしい食べ物は、自分のを三分がたへらして、相手に譲り充分に食べさせてやる。一歩を譲り三分をへらして与えるという、このような心がけこそ、世渡りの一つの極めて安楽な方法である。

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 今日は、荘内から酒が送ってきました。小林 恵様に先程電話でお礼を申上げました。阿曾先生と一緒に送りましたとのことでした。自転車で日本縦断をするだけあって、元気あふれるお声でした。この度は誠に有難うございました。
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至徳の光を奮ひ、四気の和を

2018-08-27 17:38:56 | ブログ
第3528号 30.08.28(火)

至徳の光を奮ひ、四気の和を動かして、以て萬物の理を著す。是の故に清明は天に象(かたど)り、廣大は地に象り、終始は四時(しいじ)に象り、周還(しゅうせん)は風雨に象る。五色、文を成して乱れず、八風律に従ひて姦せず、百度數を得て常有り。小大相成し、終始相生じ、倡和清濁、迭に經と相為る。故に樂行はれて倫清く、耳目聡明にして、血気和平なり。風を移し俗を易へて、天下皆寧し。『礼記』579

 こうして人間の最良の徳性を発揮し、天地四時を通貫する和順の気を作用せしめて、万事万物の存在の理を音楽や舞楽として表現するのである。こうして音楽や舞楽は作られるものであるから、それらの表現する清明の気分は天に則り、広大の気分は地に則り、終始呼応の形は四時の変遷に則り、周旋の形は風雨の変化に則るものである。また音楽において五音が調和して乱れず、よく一つの曲調を成すことは、あたかも五色が和合して一つの綾模様を作りあげることに似ており、また八音がよく作曲の法に合っていて誤りのないことは、あたかも八方の風が天地の理に応じて吹き、異変を生じないことに似ている。また音楽に認められる種々の性質や特徴は確かな数にまとめられて、一定の原理原則となっており、また楽曲の小節と大節とは相助け、首章と終章とは呼応し、独唱と合唱、清音と濁音とがそれぞれ相補っている。それゆえ音楽が美しく演奏されると、物ごとの筋道が明らかに感ぜられて、人の感覚や知覚の作用が強められ、身体の健康状態が安定し、その結果風俗が一層善美となり、天下は太平となるのである。

 【コメント】<音楽が美しく演奏されると、物ごとの筋道が明らかに感ぜられて、人の感覚や知覚の作用が強められ、身体の健康状態が安定し、天下は太平となる>とありますが、そういう世の中になるようお互い協力したいものです。

 人間自分の幸せを最優先したいと思って日々に努力していると思われますが、自分だけでなく、人様も同様に幸せになった方がうれしいと思います。

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『善の研究』第14回  頁20

 普通では純粋経験が客観的実在に結合せられる時、意味を生じ、判断の形をなすという。しかし純粋経験説の立脚地より見れば、我々は純粋経験の範囲外に出ることはできぬ。意味とか判断とかを生ずるのもつまり現在の意識を過去の意識に結合するより起るのである。即ちこれを大なる意識系統の中に統一する統一作用に基づくのである。意味とか判断とかいうのは現在意識と他との関係を示す者で、即ち意識系統の中における現在意識の位置を現わすに過ぎない。例えば或聴覚についてこれを鐘声と判じた時は、ただ過去の経験中においてこれが位置を定めたのである。それで、いかなる意識があっても、そが厳密なる統一の状態にある間は、いつでも純粋経験である、即ち単に事実である。

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『菜根譚』11

 藜口莧腸(れいこうけんちょう)の者は、氷清玉潔(ひょうせいぎょくけつ)多く、美衣美食の者は、婢膝奴顔(ひしつどがん)を甘んず。蓋し、志は澹泊を以てして明らかに、しかして節は肥甘して喪うなり。

 〔訳〕平素、粗衣粗食に甘んじている士人には、氷のように清く玉のようにけがれのない心の持ち主が多いが、これに反して、美衣美食に奢る輩には、甘んじて奴婢のようなお追従を上位の者にする卑賎な態度の者が多い。思うに、人間の操守は、淡白な生活によってますます磨かれるが、その気候は、豪奢な生活によって次第に失われていくものである。

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凡そ姦聲人を感ぜしめて、

2018-08-27 10:39:41 | ブログ
第3527号 30.08.27(月)

凡そ姦聲(かんせい)人を感ぜしめて、逆気(ぎゃくき)之に應ず。逆気象を成して、淫樂(いんがく)興る。正聲、人を感ぜしめて、順気(じゅんき)之に應ず。順気象を成して、和樂(わがく)興る。倡和(しょうわ)應有り、囘邪(かいじゃ)曲直、各々其の分に帰す。而して萬物の理、各々類を以て相動くなり。是の故に、君子は情に反りて以て其の志を和げ、類を比して以て其の行を成す。姦聲亂色(らんしょく)、聡明にとどまらず、淫樂慝禮(とくれい)、心術に接(まじ)はらず、惰慢(だまん)邪僻(じゃへき)の氣身體に設けず、耳目鼻口(じもくびこう)心知百體(しんちひゃくたい)をして皆順ん正に由りて以てその義を行はしむ。『礼記』578

 およそ邪悪の音声がたまたま人を感動させると、これに応じて人の内面に潜む悪逆の気が発動し、その現実の作用として淫樂を形成する。これに反し、正義の音声が人を感動させると、これに応じて順正の気が発動し、現実の作用として和楽を形成する。このように主唱があればその反応として和唱があるものだが、和唱の邪正曲直は主唱のいかんに由るのであり、それぞれ定めの法則に従うのであって、万事万物みな、右の主唱と和唱との関係のように、その存在の理として、それぞれ同類が互いに作用しあっているのである。それゆえ君子は民を治めるに当って充分に人情を察して民意を和らげ、人の性質の類に応じて正しい行動を成し遂げさせるのである。従って不正の音声や色彩が人の理知を蔽うことなく、不正の音楽や接待が人の心情を掻き乱すことなく、不正の気分が身体に付け入ることなく、こうして耳目鼻口から内心に至るまで身心のすべてがみな正常の機能を保つことによって、人おのおのにその正義を行わしめるのである。

 【コメント】先程近くの錦江台郵便局に行き、先般、荘内から自転車で鹿児島入りしてくださった小林 恵様へ手紙を出してきました。超過密スケジュールの小林様はキリキリマイの日々らしいのですが、それでも愛用の自転車を手放さないようです。

 手紙を出してきてブログ書きをしていましたら、元気な声を電話で聞かせてくださいました。小林様のお父上様は75歳とのことです。お父上様も西郷先生の故郷・鹿児島に行ってみたいとのことをお聞きしましたので、その説はご連絡してくださいとお伝え致しました。

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『善の研究』第13回  

 要するに経験の意味とか判断とかいうのは他との関係を示すにすぎぬので、経験其者の内容を豊富にするのではない。意味或は判断の中に現われたる者は原経験より抽象せられたるその一部であって、その内容においてはかえってこれよりも貧なる者である。勿論原経験を想起した場合に、前に無意識であった者が後に意識せられるような事もあるが、こは前に注意せざりし部分に注意したまでであって、意味や判断によりて前に無かった者が加えられたのではない。
 純粋経験はかく自ら差別相を具えた者とすれば、これに加えられる意味或は判断というのは如何なる者であろうか、またこれと純粋経験との如何であろう。

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『菜根譚』10

 恩裡(おんり)に由来害を生ず。故に快意の時、須らく早く頭を回らすべし。敗後に或は反って功を成す。故に払心の処、便ち手を放つこと莫(なか)れ。

 〔訳〕人情は翻復常なく愛憎は忽ちに変ずる。恩情の厚いときに、昔から、ややもすれば思わぬ災害を生ずることが多い。それ故に、恩情が厚くて得意な境遇のときに、早く反省して後々の覚悟をしておくがよい。また物事は失敗した後に、かえって成功の機をつかむことが多い。それ故に、失敗して思うにまかせぬときにこそ、手を放し投げ出してしまってはならない。

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