味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

仁を求めて仁を得たり、又た何をか怨まんや。

2015-03-31 09:48:36 | ブログ
第2285号 27.03.31(火)
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仁を求めて仁を得たり、又た何をか怨まんや。『文章規範』
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 伯夷、叔斉は首陽山に餓死したとはいえ、かれらは(自分の信ずる仁道)を求めて、その仁道を全うしえたのであるから、べつに怨むところはなかろう。
 人間は所信に満足を求むべきだ。(司馬遷「伯夷伝」)孔子のことば。520

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 【コメント】上にある〈自分の信ずる仁道〉とは、伯夷・叔斉のように、歴史的に見て誰もが納得するものでなければならないと思います。自分の名誉慾から生じたものは、歴史的に汚名をきるということです。
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 かく申す私は、これからの子どもたちに『南洲翁遺訓』を教えることだけに専心したいと考えています。
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 今朝のテレビ報道によると、霊感商法で多額の収入がありながら、脱税で起訴されたとか。身体に出てくる諸々は、天の理とも思われるようなこともありましたが、それらで金を貰ったらいけません。無料で親切心でやれば、結果的に功徳があるのにと思うことでした。

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『大学味講』(第122回)
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 これに対して、日日夜夜、たえず新しい生長を続けていけば、常に生新な若さを保って、「其の命維れ新たなり」となっているのであるから、「革命」などということを行わなくてすむのであります。このことは私ども個人の場合においても見ることが出来るのでありまして、常に注意を怠らず、「其の命維れ新たなり」という健全な生活をしている人ならば、にわかに違和をきたして、革命的の大手術をしなくてもよいでありましょう。
 こういう意味で、中国を始め諸外国においては、武力によって主権を替える「革命」ということがしばしば行われておるのですが、わが日本國においてはそうした事を必用とせず、明治維新の如き大変革でも、これを「革命」といわずに「維新」といったことは、世界に誇るべき国体の致すところであります。
 かくて願わくは、個人も、家も、団体も、常に日新の維新的の存在であって、敢えて革命を必要とせぬような「其の命維れ新たなり」というものでありたいものであります。

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『論語』(第222)
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 子曰はく、吾未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ず。
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 孔子がいうには、私はまだ、色を好む如く熱烈に徳を好む者を、みたことがない。遺憾なことじゃ。
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『農士道』(第102回)
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 試みに歳末に搗く餅にしても然うである。其の餅米も、餡の材料の小豆も、雑煮の中の野菜も、皆家族が入念して作ったものである。そしてそれを料理するのも、家内中心を合せてする仕事である。従って同じく餅の料理でも都会の人々が賃餅屋に頼んで、一升何十銭の金で購ったものとは違って一つ一つに皆作った人、料理してた人の生きた「心」が籠っている。
 同じ一杯の餅を食ふにしても、田植から収穫までの間のお互いの苦楽の追憶までを喫し得るのである。かくて農村の料理は単なる物の咀嚼ではなくして、實に物と興に「心」の玩味である。

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百人一首
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いにしえの 奈良の都の 八重桜
 けふ九重に にほひぬるかな 【伊勢大輔】61

神竜の騰驤するは、豈羈すべけんや。

2015-03-30 09:37:20 | ブログ
第2284号 27.03.30(月)
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神竜の騰驤(とうじょう)するは、豈羈(き)すべけんや。然れども或いは人にけん(漢字が出てきません)養せらるる者は、謂(おも)うに其れ嗜慾あればなり。『宋名臣言行録』
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 天に上がるような神竜が、高いところに上って勢いをふるうときには、これを縄で縛り活動を食い止めることはできるものではない。ところがそのような神竜でも、弱い人間に飼われてしまうことがある。それは竜が欲をもち、食物を与えられるときである。
 人間も同様、利害、私欲を持つときにはつまらない者の束縛を受けることがあるものだ。634

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 【コメント】上の言葉をご紹介しようと思い書いてみると、人間社会で大変大事な訓戒であると思うのです。数日前航空機が墜落しましたが、これを意図した人の「欲」から生じたもののようです。仕事がきつい、賃金が安いといって不満があったのだと報道されています。
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 そこに行くと私どものお師匠様である、西郷南洲翁と菅臥牛翁は清貧をものともしない、至誠の情に徹した大偉人であったと思います。二度とない折角の人生、自分に似合った生き方をした方がいいと思うのですが、如何でしょう。その「珠玉の宝典が『南洲翁遺訓』なのです。

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『大学味講』(第121回)
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 (二) 次に詩経大雅文王の篇から次の一節を引用しております。
 「周は旧邦なりと雖も、其の命維れ新たなり」
 この一節は、明治維新の「維新」の出典であるところから、随分広く知られているのですが、一応解説しておきましょう。
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 周の国は、后稷が始めて諸侯に封じられてから、文王に至るまで千有余年を経た「旧い邦」であるれども、その間歴代の王がよく徳を積み続けてきたので、国の生命が常に清新で、老衰することがありませんでした。
 そこで文王、武王というような聖王が現われ、天命を受け、革命を断行して天子の位に即いたのでありますが、それが「周は旧邦なりと雖も、其の命維れ新たなり」といわれるゆえんであります。
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 では、新しいということは一体何でありましょうか。思うに新しいということは、常に生長し続けているもののみがもつことの出来るすがたでありまして、もしもその生長の作用が衰えてくれば、いわゆる老衰現象を生じてくるものであります。そしてその老衰の末は、樹木においても見られるように、やむを得ず、それを除いて、新しいものを植え替えねばならなくなるのでありまして、国においてはこれを「革命」というのであります。

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『論語』(第221)
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 子川上に在りて曰はく、逝く者は斯の如きか。昼夜を舎(お)かず。
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 孔子が川端にたたずんで歎息されるには、『人間万事過ぎ去って帰らぬこと、川水の昼となく夜となく流れて休息することがない。道は無形のものであるけれども、人はこれを見て道の本体を察し、少しの油断があってはならない。』
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『農士道』(第101回)
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    心 と 形  
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 古人も「誠ならざれば物無し----中庸---」といっているが、心が本で形が末であることは、恰度如何なる建築でも先づ建築設計者の心によって其の形態が次第に現われて来ると同様で格別の説明は要せぬことであらう。(唯物主義的見地に立つ人々は物が本で、心は末であるといふであらうが、其等に對する議論は此処ではせぬこととする。)故に本の原理に立つ農本生活に於いては、単に形の美醜よりも、其の中に含まるる心を重んぜねばならず、又、自然さういう風に出来てゐるものである。
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百人一首
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大江山 いく野の道の 遠ければ
 まだふみもせず 天の橋立  【小式部内侍】60

礼は人に於けるや、猶お酒の糵あるがごとし。

2015-03-29 10:44:40 | ブログ
第2283号 27.03.29(日)
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礼は人に於けるや、猶お糵(げつ)あるがごとし。『礼記』
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 礼は人間社会を渾然一体にし、そこに味わいをつけていく。あたかも酒を醸すのにこうじがあるようなものだ。272
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 【コメント】昨日は西郷南洲顕彰会の定例学修会であり、ご案内を頂きましたが、所要にて出席できませんでした。館長で常務理事の方が退任されるということで新旧役員の挨拶があったとか、大変ご苦労さまでした。
 人間、時として過ちもあるものですが、真摯に出直せば、思いを遂げることは出来ると思います。飛行機を墜落させるほどの心の病ではないのですから。
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 昨夜中学生の先輩たち・護久・奈々様が久々に稽古にきてくれました。体格が立派になり、迚も頼もしく成長してくれていました。わがことのように嬉しくなりました。長い人生に、陳龍仙の言葉にある「一世の智勇を推倒して、万古の心胸を開拓す」という心境で取り組めば、盤石な人生が展開できると信じます。
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 今朝八時前チャイムが鳴ったので、玄関に出たら、昨日の朝、暁の学問館にきてくれた竹之内彪人君でした。『南洲翁遺訓』を学びたくて今朝もやってきたのでした。まもなく6年生になりますが、一番大事な時期であります。6年頃から中学3年頃までは、保護者もよく観察していないといけないのですが、親の手は届かなくなります。
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 私の幼少時代を振り返り、それはそれは元気の良い同窓生たちがいました。手に負えないような生き方をした人たちは、憐れな晩年を迎えたようでした。天風師が予言しているとおりです。一番注意しなければならない時代だと思います。
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 我が子が可愛いのであれば、時には厳しさも必用なのです。教育評論家のオジサンオバサンが言うとおりでは人は育ちません。

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『大学味講』(第120回)
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   二、作新、維新    
 (一) 次に前期康誥篇の中の
 「康誥に曰く、民を作新す」
を引用しております。原文には「天命を宅(はか)り、民を作新せよ」とあるのですが、これは周が天命を受け、殷を誅して周朝を建てた時であるから、天命をよく体して、前朝の殷の民を導いて、人心を作興し、民風を一新せよというのであります。
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 「作」の字は普通「つくる」という意味に用いられているが、「おこる」という意味もあり、精神作興などと用いられる。ここではもちろん「おこす」の意味である。なお、野球で有名な作新学院の校名も、恐らくここから取ったものでありましょう。

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『論語』(第220)
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 子曰はく、出でては則ち公卿に事(つか)へ、入っては則ち父兄に事へ、喪事は敢へて勉めずんばあらず、酒の困(みだ)れを為さず。何ぞ我にあらんや。
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 孔子が言うには、『朝廷に出ては上官に服従し、家庭に入っては父母兄弟に奉仕し、葬儀や服喪には出来るだけ慇懃に勉め、酒は飲むが乱酔するようなことはない。まず其のくらいの所で、外には何のとりえもないわしじゃ。』
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『農士道』(第100回)
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 此処に私共の最も慎重に深思省察すべき農道経営の根本的問題がある、「君子は義に喩り、小人は利に喩る」と古聖も教えてゐるが、一体農家農村の経営は目前の「利」のみでなすべきものか。而してそれが本当に五年後、十年後、子の代、孫の代まで永く安らき大利を保ち得る所以であるか。農道の本義に安立しての地味な経営-----即ち深き意味に於ける陶淵明の所謂「拙を守る(小利口でない)」の生活と、目前の小利小名の獲得に狂喜する「巧利」の生活と何れが農業経営の本道か。勿論是非行商せねばならぬ事情に在る者はせねばならぬであらう。然し本質的考察に於ては。
  守拙か、巧利か。
 勿論金になる経営はなすべからざるとか、金以外の事を考ふる経営はなすべからざるとかいふが如き偏屈の主張は排すべき外道の沙汰ではあるが、然かも其の根本信念を何れに置くか。
  守拙か、はた巧利か。
 農道生活の上に於て深悟すべき點ではないか。

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百人一首
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やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて
  かたぶくまでの 月を見しかな 【赤染衛門】59
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お願いの義
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 森崎先生へ---荘内南洲会迎え総まとめのDVD(グリーン)を10枚作成してくださいませんでしょうか。お願い致します。

知者は知らざることなきなり。

2015-03-28 13:07:21 | ブログ
第2282号 27.03.28(土)
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知者は知らざることなきなり。当に務むべきを之れ急と為す。『孟子』
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 知者はなんでも知らないものはない。しかし知るだけよりは、当然なにを務むべきかをさとることがより急務だ。事柄には先後軽重の別があり、知るよりは行うが先だ。138
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 【コメント】今朝の学問館には竹之内彪人君がきてくれました。現在5年生で来月6年生になるそうです。彪人さん,良かった、良かったといって歓迎しました。空手道を辞めて一年以上になります。
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 荘内の先生方が鹿児島訪問をしてくださった際、城山観光ホテルでのヒトコマが新聞に掲載され、正田佳那子様のことが紹介され、『南洲翁遺訓』を発表したことを知り、又勉強したいと思ったそうです。大変感のするどい竹之内彪人くんなのです。
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 お爺様は私と同じ会社で仕事をしたことがありました。

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 ここで今朝の学問館で学んだ論考を紹介します。
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 中国の古い昔、龐蘊という坊さんが師匠に弟子入りを願い出た。禅門は簡単に入門を許さない。玄関で待っていると師匠が現れ、いきなり桶の水をバサッとかけた。他の志願者は皆腹を立て帰っていったが、龐蘊だけは残り続け、入門を許された。
 弟子になって間もないある日、師匠が外出した。龐蘊は蔵に入り、普段は食べられないご馳走をつくって皆に振る舞った。ところが、思いがけず予定より早く師匠が戻ってきた。師匠は激怒し、龐蘊を寺から追い出したばかりか、ご馳走分を町で托鉢してお金で返せ、と要求した。
 龐蘊は風雨の日も厭わず托鉢を続け、ようやくお金を返した。
 すると師匠は「おまえが托鉢している間野宿をしていたのは寺の土地だから家賃を払え」と迫った。龐蘊はその言葉に従い、また黙々と托鉢を続けた。その様子をじっと見ていた師匠は弟子を集め、自分の後継者が決まった、と宣言し、龐蘊を皆に紹介した----。
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 弊社主催の徳望塾で円覚寺の横田管長が述べられた話である。これに続いて、横田管長はご自分のことを話された。
 横田管長は四十五歳で円覚寺の管長に選ばれたが、なぜ自分が選ばれたのか分らない。ただ一つ、これかなと思うものがある。それは「ここを離れない「という一事。どんなことがあってもここから離れない。ここを見限らない。ここに踏みとどまる。自分が貫き得たのはこの一つ。それを師匠は見てくれていたのではないか、と横田管長は話されていた。ここを離れない----長の一念はここに始まりここに尽きるのではないだろうか。
 国であれ会社であれ家庭であれ、あらゆる組織はそこにいる長がどういう一念を持っているかで決まる。それがすべてといっていい。(致知 特集 長の一念)

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 竹之内君の学問館参加について私が、〈良かった、良かった〉といって歓迎したと上に書きました。長い人生においてこれほど大事なことはないからであります。勉強して成績が良くなる事も大切です。然し、男の子は中学生になる頃は性が異常に発達してきます。これらをうまくコントロールしないと折角の人生が狂います。
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 昨日のインターネトでは56歳の先生が後ろから女の子に抱き付き、オッパイに触ったとして懲戒免職になったと報じられています。
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 とにかく、人の道を誤らない事なのです。だから竹之内君に、『南洲翁遺訓』を贈呈し、この「本」の教えを裏切らず、この本と離れないことを誓ってくださいとお話しました。
 竹之内君は10歳未満です。今は分からずとも、これから100歳になるまで、90年間、『南洲翁遺訓』と離れなければ、素晴らしい人生が展開されると信じます。天風師の本も大人になってから読んでくださいとお願いしました。これらは勉強ではなく、人生を誤らない処方箋なのです。
 そして性教育もお話としてしました。最近、警察官、公務員、自衛官等々、一寸した気のゆるみから女の子のスカート内を撮影したとして検挙されています。勿論、こういう器具を作る会社も悪いわけですが、老人はじめ大人の方々が、子どもたちにお話しして上げることが大事ではないでしょうか。
 人間教えれば七割は分かるのです。
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『大学味講』(第119回)
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 では両者の関係をどう見たらよいのか。「親民」は「新民」に至る過程である。「民に親しむ」という「過程」を経てこそ、始めて「民を新たにする」ことができるので、その意味からいえば、「新民」は「親民」の「結果」であるというべきである。明徳を明らかにした君子が、民に親しむところから、自然の結果として民が新たになってくるのである。かくて両者は二にして一であると会得するのであります。
 このことは、民を単に人のみに限らず、稲を作り、家畜を飼い、物を研究し、製造するところまで拡大していけば、おのずから明らかになってくるでありましょう。----「親しむ」から「新しい」ものが生じてくるのであると----。

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『論語』(第219)
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 子曰はく、吾衛より魯に返り、然る後楽正しく、雅頌各其の所を得たり。
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 孔子が言うには、『わしが衛から魯に帰って以来骨折ったかいあって、乱れていた音楽が是正され、朝廷の舞楽なる雅、宗廟の舞楽なる頌、其他それぞれ正しい音楽が正しい場合に演奏されるようになった。』
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百人一首
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有馬山 猪名の笹原 風吹けば
 いでよそよ人を 忘れやはする 【大弐三位】58


尺蠖の屈は、以て信を求むるなり。

2015-03-27 10:34:52 | ブログ
第2281号 27.03.27(金)
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尺蠖(せきかく)の屈は、以て信を求むるなり。『易経』
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 尺取り虫がからだを曲げるのは、伸びようとする準備である。
 「信」は伸に通じる。つまり、人間もまた一時の不遇は、他日の発展の基礎づくりとなるものだ。239

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 【コメント】人間万事塞翁が馬というように、いろいろな行き違い、失敗、所謂不遇は経験した方がよろしいでしょう。 長い人生では、想像だにしなかった問題が生じて参ります。そういった試練を乗り越えて、不動の人生が確立されて行くものと思われます。
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 大事なことは、どんな目にあってもズルイことはしてはならないと思います。まかり間違っても『南洲翁遺訓』を改竄しようなどということは、歴史に対する無謀な挑戦なのです。
 新学説が出てきたとかなんとか言い、人々を怯えさせて自分の名誉慾につなげることはしてはならないと思います。
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 だから私は、子どもたちに『南洲翁遺訓』を教えることのみを生涯の仕事としたいと何時も思っています。
 昨夜は第二道場で、人数は少なかったが『南洲翁遺訓』を熱唱しました。

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 『南洲翁遺訓』こそが人々に人生の意義を教え、幸せを与え、学んで良かったという実感を与えてくれるのだと信じています。
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 それは菅臥牛先生を中心とし、荘内の藩士の先生方が国家日本のためにと、数奇な人生経験から得た叡智を練りに練って命に代えて出版したものだからであります。
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 これは西郷先生の思想の範疇を陵駕し、教えの國・荘内の処世の要諦としての訓戒だと思います。
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 『南洲翁遺訓』の真の意味が解れば、改竄なんて出来ないのです。

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『大学味講』(第118回)
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 これに対して陽明学では、大学の眼目は「親」の一字にありとして、「民に親しむ」と訓んでいるのであります。随って「親民」とか「新民」かは、兩学派の論争の焦点になっているのでありますが、私は古本大学によって味読してきたので、このことに関しては最初から取りあげないできたのであります。
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 がしかし、親民はやはり「親民」でよろしいと思っている。では「新民」を否定するのかというと、そうではない。やはり「民を新たにする」ことは大事なことである、と思うからであります。

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『論語』(第218)
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 子九夷に居らんと欲す。或人曰はく、「陋(いや)し、之を如何。」子曰はく、「君子之に居らば何の陋しきことか之あらん。」
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 孔子が東夷の國に住もうと望んで居られると聞いた或人が、「九夷は風俗が陋しい所ですから、どうにもならないでしょう」と言ったのに対して、孔子が言うには、「君子が行って住めば、その感化によって風俗は善く成る筈である、何の野蛮下等なことがあろうか。」
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『農士道』(第99回)
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 第五 田畑が荒れて来た。即ち毎日田圃に出て汗と泥土にまみれて働くよりも、朝晩汽車で通って、時々は亭主にかくれて活動写真でも見ながら金が澤山取れるというのであるから田畑作りなど馬鹿馬鹿しくなる。遂に自分の家の田畑を棄てて、近処の青物市場から仕入れた野菜を背負ってまで出かけるやうになる等々。
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百人一首
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めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
  雲隠れにし 夜半の月かげ 【紫式部】57

南洲の 遺訓は 王道天の訓
 南洲臥牛 両雄の道 【博庵】