味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

仁人国を用ゆれば、則ち国は盤石よりも安し。

2015-07-12 11:00:48 | ブログ
第2387号 27.07.12(日)
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仁人国を用ゆれば、則ち国は盤石(はんせき)よりも安し。『荀子』
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 仁者が一国を支配すれば、国は盤石以上にきわめて安らかになる。389
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 【コメント】上にある〈一国〉を一組織、団体と置き換えてもよろしいかと思います。そこの責任者が幾ら仁者であっても、〈きわめて安らか〉でない場合もあるし、独特の家風・風習によって思考が汚染された人間によって、組織が引っ掻き回されることもあるものです。
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 そういう状態であっても、天に誓って正道だという道を選択すべきでしょう。細々としたことに煩わされないように。人格的に至らない者、未成長の人に幾ら云ってもわからない場合は、10年、20年のスパンで考えたいものです。
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 余程、おかしくない人間であれば、何時の日か、分かってくれる筈ですから。
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 昨日、暁の学問館で学修している時、「西郷南洲翁と菅臥牛翁の徳の交わりを広める会」の顧問の先生から、情報連絡がありました。
 この広める会の結成は、ある野心的な男が『南洲翁遺訓』を改竄しようとしたことが原因でした。『南洲翁遺訓』というのは一世紀前に、西郷南洲翁と荘内の藩士たちとの出会いにより、西郷南洲翁の訓戒を『南洲翁遺訓』として、荘内の菅臥牛翁を中心とした方々が、命に代えて記録し出版したものなのです。

 その妥当性について、昨年、鹿児島市議会、県議会において、行政当局に議員が質問したのでした。荘内(鶴岡・酒田)と鹿児島との兄弟盟約もあることから、その交流にヒビが入るようなことがあってはならないとして、行政当局も毅然とした答弁がなされました。
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 その時、件の人は、「-----広める会」が私を追放したというようなことを喧伝したらしいのです。その後西郷家の末裔の人が、広める会はけしからん、ということで、会長を仰せつかっている私にも声が聞こえて来ました。
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 それを聞いた顧問の先生が、「----広める会の設立趣意書」その後の経過等を記録した文書を持参し、西郷家の末裔の人に、こういう文書をご存知ですかと直接見て貰ったそうです。そこで末裔の方は何も知らなかったとして納得したとのことです。
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 この件の文書立案・発送は会長の私がしたものです。全国の西郷先生を敬慕している方々、組織宛100通ほど発送したのでした。
 この作業をして西郷隆盛という人間の異常なほどの人気、人望を再確認しました。これは偏に荘内の心ある人々の命がけの仕事だったのです。誰がいいとか悪いとかいうのではなく、西郷南洲翁は清貧に甘んじ、堯舜の世に魅せられ国家のためにつくされたのです。『南洲翁遺訓』冒頭に云う「皇道を興起し----王室を睠顧し、国威を顕耀するを以て己れの任とす。---」、これは日本国民の永続的な幸せを願っている西郷先生の言葉と胸の内を、菅臥牛先生が聞いたからこういう文言で紹介していることなのです。
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 荘内南洲会の先生方との20年来の交流をつづけて来て、その勤勉性、継続性、真摯性、ハガネの如き精神性と人格美を見せられ、魅せられ学ばされてきました。こういう土地柄の人々をこそ、大河ドラマで全国の人々に紹介しなければならないと私は何時も願っているのですが。
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 連日、安保法制問題でガタガタしていますが、当事者たちに『南洲翁遺訓』をしかと学んでくださいとお願いしたいです。

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『大学味講』(第224回)
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   味 講
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 (一) 以上のようなわけで、君子はまず第一に、慎んでその身に立派な徳を養うことに努めるべきであります。語を換えていえば、その「人がら」を立派にするための「身を修める」ことに努力すべきでありまして、「君子は先ず徳を慎む」であります。
 ところが、これに対して一方ではいうでありましょう。曰く「徳を謹むなどいったところで、国が貧乏では何も出来ぬではないか。もっと財(経済)のことを重く取りあげるべきである。とにかく道徳とか、学問とかいう面だけを重んじて、経済のことを軽視するのが、儒教者流の通弊であるが、そんなことでは国は治まらぬ」と。そして、現下の経済至上主義的な世状から、こうした一層高いものになっているのであります。

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『論語』(第324)
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子曰はく、中行を得て之に与(くみ)せずんば、必ずや狂狷(きょうけん)か。狂者は進みて取る。狷者は為さざる所あり。
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 孔子が曰には、「わしは天分もあり学力もあり過不及なき中道を行う人を得てこれに道を伝えたいと思うが、中道の人は容易に得られないとすれば、わしは必ず、狂者と狷者とを得てこれを教えよう。狂者は行いは伴わないが、志が極めて高くて進んで善を取ろうとする者である。狷者は知は足りないが節操を守ることは余りある程で、決して不善を行わない者である。わしはその過不及の処について、過ぎたるを抑え及ばざるを励まして中道に到らしめて道を伝えたいものである。
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『農士道』(第203回)
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 間者が感嘆した。面白い。私は樹を養ふことを問うて、人を養う術を得た。と----
 山村水廓にもこんな老爺共が一人か二人居て呉れたらどんなに農村も潤いを有つことであらう。何の仕事でも、其の道の達人、玄人と謂われる人は、其の玄堂、真理に達して居るが故に、恰度井戸を深く掘り下げて地下水に掘り當れば、すべての井戸の水と相通ずるように、すべてに通ずる原理を握るものである。植木屋は植木屋の哲学を持ち、田作りは田作りの哲学を有ち、米搗きは米搗きの哲学を有ち、深く其の事に専心することによって宇宙人生の玄秘を究め、天地に参(まじは)って之と與に悠々たる生活を楽しみ得るに至るものである。

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昨日は暁の学問館にはじまり、夕刻の空手指導の準備まで息つく暇もない多忙でした。そのためか、『論語』を書くのをすっかり忘れて先ほど3時間かかって昨日分の『論語』を書きました、大変申し訳なく存じます。だから今日は5時間半かかっています。それでも大変楽しいです。