味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

其の睹ざる所に戒慎す。

2014-01-31 11:03:39 | ブログ

タイトル----其の睹ざる所に戒慎す。第1863号 26.01.31(金)

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 其の睹ざる所に戒慎し、其の聞かざる所に恐懼す。『中庸』

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 他人の見ていないところにいても、わが身を慎み戒め、他人の聞いていないところにいても、恐れ懼れて身を慎む、これが君子の行いである。

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【コメント】

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 己れを慎むということは大変有益なことであります。若い時は何もわからず、無謀に日々を過ごすこともありますが、長ずるに従っていろいろ分かってくるわけでありますが、それでは遅いということもあります。

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 要は「学問をするに如かず」ということです。学校の勉強はただ、知的向上のみを主としていますが、それだけでは駄目なのです。

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 人の摂理として、人は健全に育つ筈なのですが、昨年、学校の先生方凡そ5000人が精神科に入院したとの新聞報道記事を目にしました。それは、過去半世紀に亘り、学校教育現場で道徳を教えなかったことに起因しているのです。

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 道徳を教えたら、いつか来た道に進むとは何と馬鹿げた論理なのでしょう。そういう教育を受けた子どもたちが、今日親となり、先生方にクレームを投げつけ、先生方がその犠牲者となっているのです。

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 空手道界に身を置いてきた私は、多くの先生方と接触してきました。その中で、素晴らしい先生と云う人は、中学校の校長を歴任した、ごく数人なのです。

 二年前、私の道場に入門した方も、これが先生だ、という生き方をしています。とにかく天が観ているのだ、という厳粛な姿勢を貫き通したいものだと思っています。

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 今朝の学問館で656回になりました。毎朝読み書きができるなんて、なんと素敵でしょう。高齢化社会到来で、病気のこと、独り暮らしのことで大きく喧伝されていますが、年老いてから学問をしなければならないのです。老いては子に従えといいますが、従う必要はないのです。凄まじい生き方をこそ見せなければならないのです。お手本を見せなければならないのです。

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 長年生きてきた人々は、それなりの知恵がある筈なのです。私はぶっ倒れるまで、空手道と学問をし続けるつもりです。

短歌の紹介

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南洲は腐敗せる政府見限りて

                閣議席上辞表投じる 6512 『臥牛 菅実秀』

西郷の辞職とともに西郷の

               積極政策すべて終焉 6513 『臥牛 菅実秀』

内村が痛論するに西郷と

               他の大官の文明観の差 6514 『臥牛 菅実秀』

西郷の使命感文明観も

              時適わずとし葬りさられ 6515 『臥牛 菅実秀』

実秀は西郷文明使命感

             国家建設尽力したいと 6516 『臥牛 菅実秀』


字を写すは、此れ是れ学なり。

2014-01-30 12:16:17 | ブログ

タイトル----字を写すは、此れ是れ学なり。第1862号 26.01.30(木)

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字を写すは、此れ是れ学なり。『近思録』

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  写字の業、それ自身がすでに修養の学である。

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 明道曰わく、其字を写す時甚だ敬す。是れ字の好からんことを要するに非ず。只だ此れ是れ学なり。

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【コメント】

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 永年、字を片っ端から書き写して来た私も、これほど良い学問はないと思っています。先ず第一に大変なエネルギーを戴きます。そして書くことに役立ちます。次に思考力に役立ちます。次に呆け防止にも役立ちます。

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 今朝の学問館で655回になりました。相方の成年師範がいうには、字は難解ですが、『荘内藩の徳業を語る』はいいですね、と云いました。私もとにかくすごいと思っています。

 西郷隆盛を西郷隆盛たらしめたのは、荘内の学問故なのだと思います。

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短歌の紹介

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友情の最も深く感じるは 

               同門の友の間柄である 『修身教授録』 華麗 486

尚友と語り合うのは世の中の 

              情勢でなく道の問題 『修身教授録』 華麗 487 

               -----------華麗の巻-------お久しぶりでした。--------      

岩倉と大久保それぞれ動機持ち 

             激しく西郷対立をせり 6502 『臥牛 菅実秀』

西郷ら意見収拾苦悩した

             三条発狂精神錯乱 6503 『臥牛 菅実秀』

明治六西郷決然政府去る

            副島板垣江藤ら続く 6504 『臥牛 菅実秀』

西郷の下野を知りたる薩摩人

            桐野篠原多数も帰郷 6505 『臥牛 菅実秀』

大久保ら陰険不純な手段にて 

            西郷傾倒内村(鑑三)はいう 6506 『臥牛 菅実秀』

臆病な三条公卿ども遣り口に

            対し西郷激昂をせり 6507 『臥牛 菅実秀』

一斎は心眼開き書を読みて

            修養資せと言志録言う 6508 『言志後録』138

行間を読みて眼光紙背徹す

            続けばやがてその域に立つ 6509 博庵語録

謙虚なる祈りを捧げ合掌す

            さすれば天は病癒すと 6510 博庵語録

人世にて何が尊きこと問わば

            謙虚・学問傲ることなく 6511 博庵語録


知を好みて学を好まざれば。

2014-01-29 11:21:25 | ブログ

タイトル----知を好みて学を好まざれば。第1861号 26.01.29(水)

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 知を好みて学を好まざれば、其の蔽や蕩なり。『論語』

 知識を好む人が単なるもの知りにおわって、学問を好まず、真の識見を身につけないならば、結局、とりとめのない結果になってしまう。

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【コメント】

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 今朝の学問館で654回になりました。『言志後録』等々を学修しました。真面目についてくる若手師範に荘内南洲会様からご恵贈賜りました文献を多量贈呈しました。

 32歳の鍼灸師が60歳になった頃、今の私がやっているように、後を継いでくれると信じています。

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 今朝私が申し渡したことは、30年後、病が襲っても、病を忘れて立ち向かって行けといったことでした。「死ぬ時は死んでいいんだよ」と云ってしまいました。そうすれば、病は引っ込んでしまうのです。

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 私の所に来たある方に、脳外科で手術を要するといったとか。ところが私の一言で病が引っ込んでしまったのです。天風著には、俗人が不思議だ、と思うようなことが、一杯紹介されています。だめでもともと、真似をして、日々の生活が快適になった方がいいではありませんか。

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 私は信長の言葉、「死のうは一定」を何時も心に収めています。

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 連日、荘内南洲会様からご贈呈賜りました文献を拝読していますが、それはそれは凄いです。円心会の師範たちも「暁の学問館」に来て学んでください。生命力が漲り、蘇ってきます。

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 藩主・忠徳公の生き方、菅臥牛先生の生き方、赤沢源也先生の生き方、流石は荘内だと唸っています。

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短歌の紹介

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大久保ら二年で百万国費使用 

                 欧米巡るも目的は不 6496 『臥牛 菅実秀』 

不平等条約改正使命無に

                 帰朝し西郷主導権に非と 6497 『臥牛 菅実秀』

韓国の問題西郷主導権

                握られること大久保は不可 6498 『臥牛 菅実秀』

二年後に内治の急務主張して 

                大久保台湾遠征断行 6499 『臥牛 菅実秀』 

静坐の功気をば定めて神凝らし 

                呼吸調え姿勢正しく 6500 『言志後録』136

書を読むに活きた書物を読むのだと

                自覚し活眼学問の益 6501 『言志後録』137 


黙して之れを成す。

2014-01-28 11:55:22 | ブログ

タイトル----黙して之れを成す。第1860号 26.01.28(火)

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 黙して之れを成し、言わずして信あるは、徳行に存す。『易経』

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 黙して語らずとも、成績が上がり、ことばを発しなくとも、人の信任を受ける。それはその人の徳行によるものだ。

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【コメント】

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 「徳行」とは、道徳にかなった立派な行いということであるが、構えずとも自然に行動化できるようになりたいものです。

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 電電公社の外線で働いていた私は、身体を鍛えたいとの一念で、それこそ死にもの狂いで働いたものです。そして現場監督の時は、下請・孫請けの方々が、重たいケーブルを引くときは現場の人々にまじってはたらきました。何も点数を挙げようと思ってしたわけではなかったのですが、結果的には信頼される存在となったようです。

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 思うに、仕事等で立場的に上にあるからといって威張りちらした人間、見下した言葉で叱りつけたような人間は、悉く早死にするか、ヨイヨイになっているようです。私の近くに住んでいる元検査官も体力が弱っているようです。それはそれは威張りちらした人間でした。天網恢恢疎にしてもらさず、とよくいったものだと思います。

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 今朝の学問館で653回になりました。『言志後録』、『菜根譚』、『一生の静坐』を学修しました。相方の成年は鍼灸治療の合間に『南洲先生と臥牛先生』も拝読しているとのことでした。

 32歳で三人の子どもの父親である成年は、まさしく死にもの狂いで働いています。私自身、若い当時から死にもの狂いで働いてきたので、根を挙げるなよと檄を飛ばしています。この私についてこれるし、私が吃驚するほどの熱心さですから大したものだと思っています。

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短歌の紹介

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実秀は赤沢処刑を心配し

             西郷依頼死刑免る 6488 (6413) 『臥牛 菅実秀』

政府では解隊された藩士らが

             団結していることに疑惑の目 6489 (6414) 『臥牛 菅実秀』

大隈や井上馨荘内の

             動向注目解除させよと 6490 (6415) 『臥牛 菅実秀』

身心を砕いて領民安寧に

            苦心せられる公にまた難 6491 (6416) 『名君忠徳公』17

 上の短歌の末尾にある( )内の番号は、重複していたため、新たに番号を付けたものです。

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帝鑑の間は十萬石以上

           譜代大名控室なり 6492 『名君忠徳公』22

忠徳公英邁なるは三十歳

           諦鑑の間席頭となる 6493 『名君忠徳公』22

諦鑑の間にて俗事の喧噪に

           忠徳公の一言で静 6494 『名君忠徳公』22

西郷の遣韓大使大久保も

           内地急務と方策に反 6495 『臥牛 菅実秀』


礼は節を踰えず。

2014-01-27 09:32:43 | ブログ

タイトル----礼は節を踰えず。第1859号 26.01.27(月)

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 礼は節を踰えず。『礼記』

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 礼儀は節度を越えてはいけない。鄭重がよいといっても、度を越えた丁寧さは、むしろへつらいに近くなり、ときには失礼にさえなる。

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 【コメント】

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 貴重な訓戒であります。でも、何事も経験。実践して行くうちに、本当の教えがわかるものです。

 歳若い人たちが、物書きをしていますが、分かっていない部分が多分にあるのです。年輪と共に精神も筆致も練られて行くのです。そういうことがあるものか、と若気のいたりで反論する青年がいたら、そしてそのまま壮年を迎えたら、何も成長していないということなのです。

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 連日、『名君忠徳公』はじめ荘内の先生方から戴いた文献を拝読していますが、20歳の藩主が驚くような采配をしています。これらは、3歳、4歳の頃から生死の限界に挑戦してきたからこそ、明哲な判断が出来たのです。平和と繁栄は人々をなまくらにするのです。

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短歌の紹介

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明治維新迎え国家の基礎作り

              天皇御聖徳高む第一 6483 『明治天皇、西郷忠誠心』8

宮中の大改革の断行は  

              公卿ら権力弊害が多 6484 『明治天皇、西郷忠誠心』8

筆頭の参議西郷同郷の

             吉井推薦改革案を作 6485 『明治天皇、西郷忠誠心』8

誠とは誠の正諦道破して

             真に為さずにおられぬを言う 6486 『荘内藩徳業』16

素行言う已むこと得ざる之れ誠

             聖教要録いみじくも書す 6487 『荘内藩徳業』16