味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

厚くすべき所の者に於て薄くするは、薄くせざる所なし。

2015-05-31 10:14:43 | ブログ
第2345号 27.05.31(日)
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厚くすべき所の者に於て薄くするは、薄くせざる所なし。『孟子』
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 人倫関係において、当然厚くしなければならないもの、たとえば父子の関係、夫婦の関係などにおいて薄く取り扱うような人は、いかなる場合にも必ず人情の薄い仕打ちをするであろう。138
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 【コメント】〈人倫関係において、当然厚くしなければならないもの、たとえば父子の関係、夫婦の関係〉と解説にありますが、私も当然厚くしなければならないものであると思います。
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 今朝の読売新聞広告もありましたが、元NHKアナウンサーのオバサマが「家族の絆」について、厳しい所見・偏見を述べておられますが、何時の時代でも幾らかは事象としてあったでしょうが、ここ半世紀の間に様変わりしたのではないでしょうか。それらは権利意識の問題から派生したのではないかと私は思うのです。その制裁が教諭になって七割が退職するという事象にも表れていると私は思うのです。
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 同じ両親から生まれて、子供は母親の同じお乳を飲んで育ったのに、何故こういう結果になったのか。そこを掘り下げて昔から伝統的に存在してきた日本的美風を取り戻す必要があるのではないでしょうか。
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 今日、ものづくり、食べ物等々、外国からの旅行者が日本の生活文化に大変興味を示されています。それらと歩調を同じくし、昔ながらの日本的美風まで取り戻したら、世界中の至る処で発生している争いごを緩和する意味で参考になるのではないかと思うのです。
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 そういうこともあり、私は『南洲翁遺訓』に勝るものはないと力説しているのです。
 昨夜の空手道指導の際もそういうことを背景にして子供たちと『南洲翁遺訓』を拝誦しました。
 特別支援学級在籍で会話が出来ないN君も昨夜はきてくれました。入門した当時は、キャーキャー言って道場内を走り廻っていたのですが、きれいに静坐ができるようになりました。この指導には、体罰にも似た厳しさが必要なのです。そういう指導をしなかったら、何時まで経ってもわからないのです。憎しみを交えた体罰はいけないけれども、人格を尊重し、万一不幸な事態になった時、自分を守る術を教えなければならないのです。

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『大学味講』(第182回)
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 (三) 以上は育児の事であるが、これを家政や国政の事についていえばどうなるか。私は現下の時運に即してこのことを考える時、古人のこの把握に、今更ながら新たなる敬仰の念を禁じ難いものを覚えるのであります。というのは、現下の激動の世相には、従来の経験や知識だけではどうにもならぬものが生じて来つつあるからであります。
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 例えば、米の過剰からくる米作の大規模減産の問題にしても、または円高からくる、予想もしなかつた通商産業上の難題にしても、官民共に「未だ子を養ふことを学びて、而る后に嫁する者はあらざるなり」で、いまだかつてその経験のなかったことなのであります。

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『論語』(第282)
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 司馬牛仁を問ふ。子曰はく、「仁者は其の言や(しの)ぶ。」曰はく「其の言やぶ、斯れ之を仁と謂ふか。」子曰はく、「之を為すこと難し。之を言ふことぶ無きを得んや。」
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 〔訳〕司馬牛が仁を行う方法を問うた。孔子「仁を行おうとするならば、仁者の行いを観るがよい。仁者は言を発するのに発し難いようであって決して軽々に言を発することはない。このようにするのが、仁を行う道である。」司馬牛はこれだけでは至大の仁道を尽すには足りないと思ったから、反問していうよう、「口を閉じて軽々しく言を発しなければそれで仁と謂われますか。」孔子「言語と実行とは一致すべきものである。実行の難いことを思えば言語を軽々に発しないようにしないわけにはゆかないではないか。」
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『農士道』(第161回)
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    山澤健兒の歌

 一 渾沌死して幾年か     世は軽薄の都ぶり
   日々にあまねく蔓りて   わが国民をみだるとき
   やまと心のやみがたく   起てり山野の益荒男ら
 二 わが世を永久に望月の   圓(まど)けきものとひたすらに
   思ひ上がれる公卿輩を   鎧の袖の一ゆりに
   うち亡ぼせし鎌倉の    武士こそわれ等の相なれ
 三 すめらぎの代の安けくは  身は花もりとなりけむを
   みことかしこみ大君の   へにこそ死なめと争ひて
   死せし維新の志士の後   進むぞわれ等の覚悟なる
 四 いざなぎの神いざなみの  神の末なる我等いざ
   天の瓊矛(ぬぼこ)をふりかざし  国の礎いやかため
   世界の民をさしまねく   わが皇道を翼けなん
 

神は仁に福いして、淫に禍いす。

2015-05-30 11:26:32 | ブログ
第2344号 27.05.30(土)
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神は仁に福(さいわ)いして、淫に禍いす。『左伝』
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 天の神は、仁者にはしあわせを与え、悪人には禍いを与える。254
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 【コメント】76年間生きて来て言える事は、上の『左伝』の言葉は本当だと私は思っていまする。そんな事があるもんか、という人は、ご自分でしたい放題していいでしょう。
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 昨日の口永良部島の爆発的噴火には、日本国中の人々が吃驚したようでした。先の東北地方の地震と津波同様災害に遭われた人も遭わなかった人も、我がことのように心配したと思います。有難いことに死者が出なかったことが何よりでした。
 地球は生きていますので、思い上ることなく、最悪の事態も考慮し、謙虚に生きたいものです。
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 現職時代、電電の外線の安全責任者を長年してきたこともあり、こういったことには敏感になっています。
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 今朝の暁の学問館は1075回目でした。教材は、
 1.『幻の講話』第三巻 第十七講 育児と家計
 2.『西郷南洲手招言志録』を読む
 3.この大地震は「もっと謙虚に生きよ」とのメッセージ
 4.獨りを慎む
 5.日本民族どっこい生きていた
 6.生気湧出
 7.試練を超える
 8.リーダーの器量
 9.新生 
 10.漢字 寿し
等々でした。参加者は7名でした。円心会の師範たちも二か月に一回は出席して欲しいものです。資料つくり、ブログ書き、学問等々に明け暮れている私は超多忙ですけど、楽しくてたまりません。

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『大学味講』(第181回)
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 論語に「学んで而して時に之れを習ふ」とありますが、本当に「学ぶ」ということは、「習う」こと---即ち実習、実行---を伴うことなのであります。そこでこの一節は、嫁にいこうという女子(娘)が、嫁ぐ前に、子を孕み、子を産み、その子を養育することを実行し、実習して、「私はこの通り子を産み子を育てることを実行した経験ずみの者ですから----といって、而る后に嫁にいくものはない」ということになるのであります。
 しかし、それでも嫁いで、誠からこれを求めれば、ちゃんと子を産み、子を育てるではありませんか。

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『論語』(第281)
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 仲弓仁を問ふ。子曰はく、「門を出づれば大賓を見るが如くし、民を使ふには大蔡を承くるが如くせよ。己の欲せざる所は人に施す勿れ。邦に在りても怨みなく、家に在りても怨みなし。」仲弓曰はく、「雍不敏と雖も、請ふ斯の語とせん。」
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 〔訳〕仲弓が仁を行う方法を問うた。孔子が曰われるには、「わが家の門を出て他人に接する時は高貴の客人を見る時のように敬(つつ)しみ、人民を使役する時は重大な祭を、承る時のように敬しめ。己が他人から仕かけられることを欲しない事は、他人も欲しないと思って他人に仕かけてはいけない。己の行いを敬しみ、他人の上を思いやれば、私意が雑(まじ)/font>わることなくて心の徳が全く、その結果として邦に居れば上下の人の心を得て怨まれることがなく、家に居れば父母兄弟から悦ばれて怨まれることはない。」仲弓「雍(仲弓の名)は愚かな者でありますが、御教訓の語を行うことを己の任務と致しましょう。
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『農士道』(第160回)
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 平安の公卿たちも江戸の旗本御家人共もかくして滅んだ。匡房も嘆じ、吉宗も定信も焦ったが、終に如何とも出来なかった。かかる時国家の新生命を発揚した者は必ず頽廃文化の中毒を承けずに純潔な生活と確乎たる信念とを持った質実剛健な田舎武士である。今日も真底の道理には変化はない。この都会に群がる学生が軽薄な学問をしていて何になろうか。国家の明日、人民の永福を考える人々は、是非とも活眼を地方農村に放って、此処に信仰あり、哲学あり、詩情あって、而して鋤鍬を手にしつつ毅然として中央を睥睨し、周章ず、騒がず、身を修め、家をと斉へ、余力あらば先づその町村からして小独立国家にしたてあげてゆかうといふ士豪や篤農や郷先生を造ってゆかねばならぬ。是れ真自治(面白く言えば新封建)主義とも言うべき真の日本振興策である。
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王臣蹇騫たり。躬の故に匪ず。

2015-05-29 09:54:17 | ブログ
第2343号 27.05.29(金)
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王臣騫騫(けんけん)たり。躬の故(こと)に匪ず。『易経』
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 臣たるものは、艱難にたゆむことなく、身命をかえりみず、一所懸命に主君に仕え、努力して事を処していく。それは、決して自分一人の身のためにするのではない。
 「賢騫」は困難を処理することに努めること。
 「匪躬の節』(一身をかえりみない忠節)の語源。230

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 【コメント】〈臣たるもの〉に限らず、各自一人一人が主君、いわゆる家族の為に命がけで尽くさなければならないと思います。
 実は、昨夜、32歳の青年にその事を話した次第でした。万一、母親が、姉上が拉致される危険が出てきた時は、命がけで助けなければなりませんよ、と話した次第でした。
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 平和運動が半世紀以上続いてきた関係で、多くの青年たちを含めた人々が、万一の時は逃げますと平気で言っています。日本には逃げる所はないのです。そのくせ、文句だけは一人前に言うのです。
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 只今午前11時です。先ほど、鹿児島県の口永良部島で大爆発がありました。全員退避の為大変なことになっています。たえず、万一に備えなければならないのです。平和ボケを煽るテレビコメンテータらに煽られてはいけないのです。
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 昨夜も76歳の老体に鞭打って空手道の指導をした次第でした。気力・体力は青年たちにも負けないと自負しています。自分の健康と、処遇はかねてから気を引き締めてやらなければならないのです。

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 先ほど、荘内南洲会の大先生から難題を承りました。『「老去間思多舊事 客来清話半新聞」南洲』の出典と作者を調べて報告せよとの指示がございました。
 書斎には多くの漢詩が掲載されている書籍が多量ありますのて、一時間位探しましたが、お尋ねの解答に辿りつきませんでした。こらからも探したいと思います。漢字の専門家である家内も大きな辞書を繰っていましたが、これは西郷先生の作ではないのと言いながら、一所懸命、解明するため頑張っています。しばらくの時間を賜りたく存じます。
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 27日、28日のブログで『論語』278をご紹介しましたが、これは文字数が多いため、二回に亘って書いた次第でした。一つの漢字を探すのに一時間かかったのがありました。大変楽しいです。健康と長生きをするには之に勝るものはないのではと思っています。

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『大学味講』(第180回)
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 (二) そしてこの書経の一節を引用した後に、大学の著者は次の一句を添えております。
  「未だ子を養ふことを学びて、而る后に嫁する者はあらざるなり」
と。これを今の若い人達が読んだなら、恐らく「それは昔のことで、私どもは育児のことは、学校でちゃんと学んでいる」というでありましょう。
 しかしちょっと待ってください。ここでいう「学ぶ」とは、単に学校の教室で講義を聴くというだけのことではありません。

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『論語』(第280)
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 顔淵仁を問ふ。子曰はく、「己に克ち礼に復るを仁と為す。一日も己に克ち礼に復れば天下仁を帰す。仁を為すこと己に由る、人に由らんや。」顔淵曰はく、「其の目を請ひ問いふ。」子曰はく、「礼に非ざれば視ること勿れ。礼に非れば聴くこと勿れ。礼に非ざれば言ふこと勿れ。礼に非ざれば動くこと勿れ。」顔淵曰はく、「回、不敏と雖も、請ふ斯の語を事とせん。」顔淵第十二
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 顔淵が仁とは何かをおたずねしたのに対し、孔子が『おのれの私に打ち勝って先王の定め置かれた礼の大法則に立ち帰るのがすなわち仁である。一旦「己に克ちて礼に復る」ことができれば、天下が其仁徳に帰服するであらう。而して仁を為すか為さぬかは、克己復礼をするかせぬかの自分次第のことじゃ。他人事であろうや。』といった。そこで顔淵がさらに進んで、『どうぞ其細目をうかがわせてくださりませ。』とお願いしたので、孔子が『礼にかなわぬことを視るな。礼にかなわぬことを聴くくな。礼にかなわぬことで動くな。』と教えられた。顔淵が感激して申すには、『回はおろか者ではありますが、どうか此御言葉を一身一生の仕事にしたいと存じます。』
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 (この所は24.8.31 ブログ第1346号でご紹介しました。) 
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『農士道』(第159回)
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   日本農士学校趣旨
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  人間に取って教育ほど大切なもののないことは言うまでもない。国家の運命も国民の教育の裡に存すると古人も説いて  ゐる。真に人を救い世を正すには、結局教育に須たねばならぬ。然るに教育も常に深省しないと風俗と共に頽廃の危険が多い。由来なまなか文化が爛熟して、人間に燃える様な理想と之に伴ふ奮闘努力とが消滅し、低級な享楽と卑怯な苟安とを貪って、四の五の言う様になってしまうと、かかる階級は救済不可能なるを常とする。

謀夫孔だ多し、是を用て集らず。

2015-05-28 10:15:37 | ブログ
第2342号 27.05.28(木)
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謀夫孔(はなは)だ多し、是(ここ)を用(もっ)て集(な)らず。『詩経』
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 現在、あまりにも議論をして、意見を述べる人が多すぎる。そのためどんな仕事もできない。「船頭多くして船山に上る」の類。175
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 【コメント】詩経にこういう言葉があるのですから、孔子の時代も、仕事はせず、議論ばかりする人間がいたのですね。私の会社でも仕事はせず、ペチャクチャ人間がいたものてす。会社では後輩が仕方なく聞いてくれますが、退職した後は、世間の人は相手にしてくれませんので、一人寂しく過ごすことになるのでしょう。
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 それよりも一人黙って漢籍を書き写す方がいいと思うのですが。

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『大学味講』(第179回)
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 (一) 即ち本文についてこれを見ますと、書経の康誥篇に次のようにいっておるのであります。「家を斉えるとか、国を治めるとかいっても、それはあたかも、母親が赤ん坊を保育するようなもので、赤ん坊は口もきかず、ただ泣いたり、笑ったりだけなのだが、母親が、「誠」を以てそれに対すれば、その泣声やそぶりによって、赤ん坊が何を欲し、何を求めているのか、大体の見当がつき、お乳をやったり、そして病気になった時には、手当をしたり、医者に見てもらったり等々のことをするのであるが、それが「中らずといえども遠からず」で、大体は間違いのない処置が出来るものである」といっているのであります。
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『論語』(第279)
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 「赤、爾は如何。」対へて曰はく、「之を能くすと曰ふに非ず。願はくは学ばん。宗廟の事如しくは会同に、端章甫し、願はくは小相とならん。」「点、爾は如何。」瑟を鼓(ひ)くこと希なり。鏗爾(こうじ)として瑟を舎きて作(た)ち、対えて曰はく、「三子者の撰に異なり。」子曰はく、「何ぞ傷まんや。亦各(おのおの)其の志言ふなり。」曰はく、「莫春には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂(き)に浴し、舞雩(ぶう)に風し、詠じて帰らん。」夫子喟然(きぜん)として歎じて曰はく、「吾は点に与せん。」三子者出づ。曾後る。曾曰はく、「夫の三子者の言如何。」子曰はく、「亦各其の志を言ふのみ。」曰はく、「夫子何ぞ由を哂へるや。」曰はく、「国を為(をさ)むるに礼を以てす。其の言譲らず。是の故に之を哂ふ。」「唯求は則ち邦に非ざるか。」「安(いづく)んぞ方六七十如しくは五六十にして邦に非ざる者を見ん。」「唯赤は則ち邦に非ざるか。」「宗廟会同は諸侯に非ずして何ぞ。赤や之が小とならば、孰か能く之が大とならん。」
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 〔訳〕孔子は更に公西華に向って、「赤、汝はどうだ」と問われた。公西華「礼楽は君子の行うことで、私にこれが能く行えるとは申しませんが、どうか礼楽の事を学習致したいと思います。かの宗廟でする先祖の祭祀やあるいは諸侯が天子に見える会同の儀式のようなことは、礼楽の大きなもので、諸侯がこれに当るのでありますが、もし私の才能を知って用いる諸侯があるならば、このような場合には、私は玄端の服を著(き)、章甫の冠をかぶって、君を助ける役の下役となって働いて、君をして神に対し天子にら対して礼を失わせないようにしたいと思います。」
 孔子は更に曾皙に向って「点、汝はどうだ」と問われた。曾皙は他の三人と孔子との問答を聴きながら、ぽつんぽつんと間遠に瑟を鼓いていたが、孔子から問いかけられて、がらんと推しやって瑟を舎いて起って対えていうには、「私のは三人の者の心掛けてる所とはちがいます。」
 孔子「ちがっても差支えはない。また各その志を飾りなく言ったままである。汝も遠慮なく申すがよい。」曾皙「私は暮春の長閑で暖かい時、春服(はるぎ)が既に新調されたので、成人した者五六人童子六七人と共に、沂水の浜に浴し、舞雩の上で涼風に吹かれ、歌をうたいながら帰ろうと思います。」孔子は曾皙が能く道を楽しんで、他人の知ると知らぬとに拘わらず、時と処とに安んじてることをほめて、喟然と声を発して歎息して曰われるには、「わしは点に賛成しよう。」三人の者は退出して曾皙は後に残った。曾皙は「かの三人の者の言葉はいかがでございますか」と問うた。
 孔子「また各々その志を言ったまでである。」曾皙「三人が各々志を申しましたのに、先生はなぜ由(子路の名)をお哂いになったのでございますか。」
 孔子「国を為めて上下を別ち民心を定めるのには礼譲が大切であるのに、由は少しも遠慮することなく思う所を述べて、その言語に礼譲が欠けているから、哂ったのである。」孔子は子路の才能は認めてその不遜の態度を哂ったのであるのに、曾皙は孔子が子路を哂ったのは、遠慮なく邦を治めることを言ったためであると誤認し、冉有もまた國を治めようとしたのに哂われないのは何故かと疑って、問うて曰うには「ただ求の志は民を足らせるのですから、邦を為めるのではありませんか。」
 孔子「どうして方六七十里もしくは五六十里で邦でないものがあろうか。求の自ら任ずるところはもとより邦を為めることである。」曾皙「赤が小相となることを願うのもまた邦を為める事ではありませんか。
 孔子「宗廟の祭祀や会同の儀式は諸侯の事ではなくてなんであろう。赤は小相となりたいというけれども、赤が小相となるならば、誰が赤より優れて大相となることができよう。赤の自ら任ずるところももとより邦を為(おさ)めることである。」
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『農士道』(第158回)
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 現代の世相は幕府当時に於けるよりも、むしろ藤原氏末期に於ける中央の爛熟と、地方の武士勃興との時相、若しくは足利末期に於ける中央の暴力革命的闘争状態(応仁の乱)と、地方に於ける群雄割拠の時相等に類似し、現下の時弊改新の新勢力は地方三澤の間に深く培はるべきものと思ふ。此點に関し農村人の使命を明らかならしむへく、日本農士学校趣旨の一節と、山澤健兒の歌とを次に載録することとする。

事は強勉に在るのみ。

2015-05-27 11:22:24 | ブログ
第2341号 27.05.27(水)
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事は強勉に在るのみ。『十八史略』
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 何事も、ただ勉強することによって、成否は決定する。601
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 【コメント】『十八史略』にふさわしい言葉だと思います。だが、勉強・学問し世の為人の為に尽くさなければ、大した意味はないのではないでしょうか。
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 勉強し学歴は一流を取得し、借りた金は返さないという人がいるのだと聞いたことがありました。長い政治家生活で心の中を見透かされ、落選する人もあるやに聞いています。
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 いろいろ考えてみて、矢張り貧しくても正直がいいと思っています。

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『大学味講』(第178回)
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   第二節  赤子を保んずるが如し
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  康誥に曰はく、赤子を保んずるが如しと。心誠より之れを求むれば、中(あた)らずと
  雖も遠からず。未だ子を養ふことを学びて、而る后に嫁する者はあらざるなり。

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 味講
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 この一節は、家を斉えるにも、国を治めるにも、結局は「誠」から発してその事に当たれば、道は開けるものであることを教えたものであります。
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『論語』(第278)
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 子路・曾・冉有・公西華侍坐す。子曰はく、「吾が一日爾より長ずるを以て、吾を以てする毋れ。居れば則ち曰はく、『吾を知らざるなり』と、如し爾を知るものあらば則ち何を以てするか。」子路率爾として対(こた)えて曰はく、「千乗の国、大国の間に摂(はば)まれ、之に加ふるに師旅を以てし、之に因るに鐖饉(ききん)を以てせんに、由や之を為(をさ)めて、三年に及ぶ比(ころ)、勇あり且つ方を知らしむべし。」夫子之を哂ふ。「求、爾は如何。」対えて曰はく、「方六七十、如しくは五六十、求や之を為めて、三年に及ぶ比、民を足らしむべし。其の礼楽の如きは以て君子を俟たん。」
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 子路と曾と冉有と公西華との四人が孔子の側に座っていた時、孔子が四人にその志す所を言わせようとして、これを誘びいて、「わしが汝らより少し年長者であるからといってわしに対して遠慮はいらぬ。汝らは常に『己は世に用いられるに足る才能があるけれども、人が己を知って用いてくれない。』と曰っているが、もし汝らの才能を知って用いる者があるならば、いかなる事をもってこれに応じようと思うか。」と曰われると、子路が無遠慮にもにわかに対えて曰うには、「今兵車千乗を出す程の諸侯の国が、二大國の間に介まっていて独立が困難であるのに、更に軍隊を出して他国と戦争をつづけており、なおその上に飢饉があって五穀や野菜がとれないというような状態にありましても、由(子路)が用いられてこれを治めるならば、善政をもって民の生活を安んじ、善教をもって民の志を定め、三年に及ぶころには、民が皆勇敢で闘えば勝ち攻めれば取り、その上に義に向うことを知って上に親しみ長者のためには喜んで命を棄てるようにすることができます。孔子がこれを聞いて微笑された。
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 そして冉有に向って、「求、汝はどうだ。」と問われた。冉有「私に治められるのは千乗のような大国ではなく、方六七十里かあるいは方五六十里の小國であります。私が用いられてこれを治めるならば、民が富んで衣食が足り、父母に事え妻子養って遺憾のないようにすることができます。しかし、これは民の生活上の不安を除くだけでありますが、更に民を教育して、礼をもって民の行いを程好くし、楽をもって民の心を和合させ、良風美俗を作るようなことは私の力の及ぶ所ではありませんから、才と徳との完備した君子を俟とうと思います。

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『農士道』(第157回)
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 従って時勢挽回の原動力たるべき使命に覚醒せる農民----農士は、徒に時流によって動かさるることなく、毅然として猶與の心を抱き、独醒の志を存せねばならぬ。
 近来頻りに「昭和維新」といふ聲を聴く。而して多くの人々は其の指導規範として明治維新に之を求めんとしてゐる様であるが、私は明治維新と来るべき第二維新とは、其の重要なる諸点に於て相異る處が存すると思う。