味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

仁は過ごすべし、義は過ごすべからず。

2015-07-06 10:05:37 | ブログ
第2381号 27.07.06(月)
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仁は過ごすべし、義は過ごすべからず。『文章規範』
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 仁においては過度であってよく、義においては過度であってはならない。
 仁と義とは道徳の最大なものだが、仁は情けだから、多少度が過ぎても差支えはない。しかし義は、宜しきに従う裁断だから、きびし過ぎると残忍に陥る。523

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 【コメント】何事も程度問題だと思います。昨日開催された、中澤今日子先生率いる、荘内南洲会開館での『南洲翁遺訓』勉強会は如何でございましたでしょうか。 
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 世界中を沸かせた女子サッカー大会が今先終わりました。日本のなでしこジャパンはアメリカに敗れ、準優勝でした。迫力満点の試合をしてくださった選手の皆様、大変ご苦労さまでした。

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 試合をテレビで拝見して見事なプレーに感動しました。我々場末に生きる高齢者もさわやかな日々であるよう努力したいものです。まかり間違っても、酒を飲みながら、家庭で、妻にクダを蒔くようなことがあってはならないと思います。
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 晩酌の度に父親が、酒癖の悪い醜態を見せたら、子供に遷り、いわゆる精神汚染し、子供の家庭生活を破壊することになるのです。家庭では夫と妻の人権は同じだと思います。昭和初期時代からの男尊女卑という概念・風習はなくなっているのです。
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 つい最近、亭主関白の「人権蹂躙・人権弾圧」を思わせる凄い文書を拝見しました。週刊誌記者がこれを見たら、これを喧伝し日本中の人が注目すると思います。書かされた妻がこれを問題視し、告発したら当該本人は即逮捕されることでしょう。追い詰められた妻が包丁を握り刃傷沙汰に及ぶようなことが起こってからでは遅いのです。
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 お互い、穏やかに、相手を慮り労りあいながら日々を過ごしたいものてす。そして修身・修養に心掛けたいものです。そのために『南洲翁遺訓』とか漢籍を日々に繙くのです。偏狭な亭主関白であってはならないのです。

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『大学味講』(第218回)
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 (二) ところで、その首相尹氏はどんな人であったのか。このことについては、この詩の後半に次のように歌っているのを見ればわかるでありましょう。
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 「憂心惔(や)くが如し、敢えて戯論(けろん)せず、国既に卒(つい)に斬(た)えんとす、何を用(も)ってか監せざるや」
 この章は、「尹氏の政治はよくない。それで国民は、燃えるような憂いの心を抱いている。しかしうっかりそれをいうと罰せられるので戯の論も口にしない。こんなことでは周の国もついに亡びてしまうであろうのに、どうしてこれを監視せずにおられるか」というのであって、このことを頭において、前の詩を読めば、当時の国情が察せられるでありましょう。
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 そこで、大学の著者がこの詩を引用して、「だから国を持つ者は、慎まねばならぬ。もし怠って正しい道からはずれることをすれば、天下万民の悪む所となり、はずかしめを受け、殺戮されることもなしとせぬものである」と戒めているのであります。
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 (三) 思うにこの事は古今の歴史を見れば極めて明らかなことであり、殊にも支那興亡の歴史に徴すれば、その例は数えるにいとまなしというほどであります。そしてこれはまた、あえて天下国家のことだけではありません。一家においても、一郷においても、一事業体においても、今も現に、どこにでもあることではありませんか。

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ギリシャの国民投票は反対派が勝ったようです。これから先、暴動が発生しないよう、冷静な日々であって欲しいものです。
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 ギリシャの公務員が定時出勤すれば手当がつくというのを見て唖然としました。私が勤務していた頃と似たような事が起こっていたようです。私の会社は国民世論によって、民営化されました。甘い汁を吸って贅沢と思われる生活風景をヨシとしたら、後々子孫にも悪影響が起こるのです。さて、ギリシャがどういう風になっていくか、見守りたいものです。

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『論語』(第318)
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 定公問ふ。「一言にして以て邦を興すべきものこれありや。」孔子対えて曰はく、「言以て是の若く其れ幾すべからず。人の言に曰はく、『君たること難し、臣たること易からず』と。如し君たるの難きを知らば、一言にして邦を興すを幾せざらんや。」曰はく、「一言にして邦を喪ぼすものこれありや。」孔子対えて曰はく、「言以て是の若く其れ幾すべからず。人の言に曰はく、『予君たることを楽しむなし。唯其れ言って予に違ふ莫きなり』と。如し其れ善にして之に違ふ莫くば、亦善からずや。如し不善にして之に違ふなくば、一言にして邦を喪ぼすを幾せざらんや。」
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 魯の定公が孔子に問うには、「一言で邦を興すような善い語があるか。」孔子が応えていうには、「僅か一言で邦を興すという程の大きな効果を必ず期待することはできません。しかし、当時の人の言葉に『君となるのはむずかしい。臣となるのもやさしくない。』といっています。その「君たること難し」ということがわかれば大したものですから、これなどは一言で国家を興隆させ得るに近い言葉ではないでしょうか。」
 「それでは一言で国家を滅亡させ得るほどの悪い言葉が、あるか。」孔子が応えていうには「僅か一言で邦を喪ぼすという程の大きな禍いを期することはできません。しかし、当時の人の言葉に『わしは君となって他に楽しいことはないが、ただ何を言ってもわしに反対する者がないのは愉快じゃ。』と申します。善いことをいって反対する者のいないのが愉快だと云うのなら結構ですが、悪い事をいっても反対する者のないのが愉快だということになると、あぶない話ですから、これなどは一言で国家を滅亡させ得るに近い言葉ではございませんか。」

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『農士道』(第197回)
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 之を背ば必ず令を用いざるの咎めあらんと。巳むことを得ずして俄かに稗を作り、無益の事をなせりと怨望するものあるに至る。然るに盛夏と雖も、降雨多くして冷気行はれ終に凶歳となり、関東奥羽の飢民枚挙すべからず。此の時に至り三邑の民稗を以て食の不足を補ひ、一民飢に及ぶものなし。始めて先生の明鑑予め凶荒を計り、下民を安ずるの深意を知り、我が知の浅きを悟り、曾つて無益の事となし活命の令を嘲りたるを悔ひ、大いに其の徳を称す。云々」
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