味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

樂は中より出で、禮は外より作る。

2018-08-15 09:32:24 | 日記
第3515号 30.08.15(水)

樂は中より出で、禮は外より作(おこ)る。楽は中より出づ、故に静なり。禮は外より作る、故に文なり。大樂は必ず易(い)に、大禮は必ず簡なり。樂至れば、則ち怨無く、禮至れば則ち争はず。揖譲(いうじょう)して天下を治むとは、禮楽の謂なり。暴民作らず、諸侯賓服(ひんぷく)し、兵革試(へいかくもち)ひず、五刑用ひず、百姓患無く、天子怒らず、此の如ければ則ち楽達す。父子の親を合せ、長幼の序を明らかにし、以て四海の内を敬(つつし)ましむ。天子此の如ければ則ち禮行はる。『礼記』564

 音楽は人の内面から出て来るもの、礼儀は外面に着くものである。音楽は内面から来るものであるため、平静を主とするのであり、礼儀は外面に着くものであるから、必ず手足の動かし方や服装の規定などが重要とされる。しかし優れた音楽は必ずその曲節が平易であり、重大な礼儀は必ずその作法が簡単である。従って音楽の感化が行き届けば人びとに恨む心がなく、礼儀のしつけが行き渡れば、人びとは争うことがない。古人の言葉に「揖譲によるのみで天下が治まる」とあるが、それは礼楽の効用をさすのである。暴民が起こらず、諸侯が心服し、戦争が用いられず、刑罰が行われず、人民に憂いがなく、天子が怒ることない、という世の中であれば、それが音楽の感化の行き届いた世の中である。親子が好く親しみ、長幼の順が好く守られ、その結果として天下の人みな好く天子に敬服する、という世の中であれば、それが礼儀のしつけの行き渡った世の中である。

 【コメント】どんな気の荒い人間であっても、穏やかで気分よく過ごしたいと思っているでしょう。ですから少しぐらいカチンときても、怒ることなく、笑って相手に名誉を与え譲歩させる心のゆとりを持ちたいものです。
 そのような配慮が出来ず、怒りをそのまま人にぶつければ、天からの警告を受けることになります。80年生きて来てそういう局面を数多く見てきたものです。短気なため怒って相手を殴ればスカッとするかも知れませんが、天からの称賛を受けることの方がはるかに生きている意義があるのです。

 その辺は中村天風師の『成功の実現』『盛大な人生』『心に成功の炎を』『いつまでも若々しく生きる』を読んでください。私はこれらを自分で録音し何回も聞いてきました。そのテープをダビングして荘内の中澤先生にも贈呈しています。

 人生の意義ある生き方は、『南洲翁遺訓』を学ぶこと、漢籍を学ぶことに尽きると思います。そして人間の生き方も荘内の先生方に学ぶことです。

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『文芸春秋』九月特別号より

 「反軍演説」の昭和十五年そっくりになってきた


 安倍総理よ、命を懸けて私は闘う
 石破 茂
 自民党はなぜ物言えぬ党になった。総裁選で堂々と政策論争しよう
 ご購入しお読みください
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 『善の研究』
 「第一編 純粋経験
 第一章 純粋経験

 経験するというのは事実其儘(そのまま)に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような者のないのみならず、この色、この音は何でもあるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である。


 昨日、西田幾多郎氏の話をラジオで聞き、30年前に読んだのを思い出すために、ブログに書いてみたいと思い、書くことにしました。

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論語・孟子は、只剰読し著くれば、便ち自ら意足る。

2018-01-04 09:58:30 | 日記
第3292号 30.01.04(木)

論語・孟子は、只剰読(じょうどく)し著くれば、便(すなわ)ち自(おのずか)ら意足る。學ぶ者は須らく是れ玩味すべし。若し語言を以て解し著くれば、意便ち足らず。某(それがし)始め此の二書の文字を作り、既にして之を思へば 又剰(あま)れるに似たり。只些(いささか)の先儒の錯會(さくかい)せし處有らば、卻(かえ)って與に整理し過ぐるを得たん。『近思録』192

 論語や孟子は、くどいほどに読みさえすれば、その精神は自然に充足される。学ぶものは内容を玩味すべきである。もし言葉で文義を解釈するなら、書かれた精神は充足しない。わたしは、はじめこの二つの書物の注を書いたが、後から考えると、余計なことに思える。ただ、多少とも先儒の誤解があれば、整理してあげる必要がある。192 

 【コメント】論語・孟子に限らず、漢籍は只管(ひたすら)読み続けることが大事だと思います。安岡正篤氏も訳が分からんでもとにかく読み続けなさいと諭しています。

 私は『南洲翁遺訓』との出会いを契機に漢籍を読み書きしだしたのですが、今は大変楽しいの一言です。昨日は元空手マンの樋高さんが挨拶に来てくれました。

 その時の世間話で警察官の不祥事が多いので、警察学校でも漢籍を学ぶ教科も取り入れて欲しいものだとお話した次第でした。この處、スマホなどで、女性の下半身を撮影する人が多発しているらしいのです。

 下半身を撮影しても女性の裸体は見えもしないのですが、何故そんなくだらないことをするのでしょうか。それよりか漢籍を繙くことをお奨め致します。

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『不動心』(第155回)

 生活の垢を洗い浄めてくれるもの

 めぐりゆく星を、その軌道に自分も乗っているようなつもりで観察すること。また、元素がさまざまに変化していく舞踊のような光景を心に描いてみなさい。こういう想像は、世俗にまみれたわれわれの生活の垢を洗い浄めてくれる。

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「日本の婦道」---第10回

 氷の様な守銭奴も其の子の為には師に物を運ぶことを厭はない。忠臣は其の君の為には命だも惜しまぬのである。是の如く愛は人間の理想我の発動であるから、必然に愛は自己を内省的ならしめ、人にもいや高い人格的価値を想望して止まない。恋を知った女が何故に身じまひを謹むか。下世話にも「誰に見しよとて紅かねつけようぞ」といふが、そは明らかに恋が其の女性を内省的ならしめ自ら少しでも美しく善くなりたいといふ強い衝動を発するからである。
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先般、写真家・津田さんが、婦人画報で郷中教育の一貫とされる修行内容を見学したいとして、写真撮影し画報に掲載してくれました。

 その際、家庭画報と婦人画報の名称を間違いブログに記載したため、御親切な方から間違いを指摘して頂きました。当事者にとっては重要なことであったと思い、深謝いたします。コメント有り難うございました。

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以て君臣を正し、以て父子を篤くす。

2017-08-09 16:51:25 | 日記
第3145号 29.08.10(木)

以て君臣を正し、以て父子を篤くし、以て兄弟を睦まじくし、以て上下を齊へ、夫婦所有り。是を天の祜(さいはひ)を承くと謂ふ。『礼記』(礼運第九)333

 礼というものは、君臣の別を明らかにし、父子の情を厚くし、兄弟の仲を睦まじくさせ、上下の差を示し、夫婦の間にもけじめを付ける。このようにして平和な社会の実現することを、天の福が授けられたというのである。

 【コメント】礼の役割が行き届いた時、「天の福が授けられたという」とありますが、お互い天の福を頂けるよう真摯なる日々を営みたいものです。

 今先、大阪維新の会を除名処分された衆議院の上西譲がテレビ出演し、いいたい放題、傍若無人ぶりを露呈してくれました。サッカー競技に一言申したら、ネットが炎上しているとのこと、聞いていて図太い神経に吃驚した次第でした。

 同時に上村太蔵氏も出ておられましたが、上西女史の弁舌対応にあきれていました。上村氏は武部氏に相当厳しい指導をされたとのことで、大変物わかりのよい、真面にして素的な紳士に変貌していました。

 少なくとも国会議員として、国から給与を貰っている人間は、それに相応する人格を構築しなければならないでしょう。上西女史の人間像に対して殺すというネットへの書き込みがあったらしいですが、身辺の覚悟はしなければならないと思います。

 国会議員はそれなりの品位・品格がなければならないのです。新宿界隈で遊びまくっている不良女子中学生を連想したことでした。


 先程、豊田衆議院の秘書をしている青森町議の松森俊逸氏が東京と青森では500キロの距離があるが、自分的には何も問題はないと発言しました。

 松森氏は町議の選挙の際、ご自分に投票してくれた人々にどう釈明をするでしょうか、応援した人々は豊田議員秘書については首を傾げるでしょう。

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『不動心』(第13回)

 家族への愛、真理への愛、正義への愛

 一〇 兄弟セウェルスからは、家族への愛、真理への愛、そして正義への愛を学んだ。トラセアス、カトー、ヘルウィディウス、ディオーン、ブルートスという哲学者を知るようになったのも、あるいはまた平等と言論の自由に基礎を置く共同体や、臣民の自由を第一に尊重する君主制の概念を得たのも彼を通じてである。
 彼はまた、哲学を公平かつ正当に評価しなくてはいけないこと、善行に励み、もの惜しみせず、常に楽天性を失わず、友人から愛されているという自信を持たなくてはいけないことを教えてくれた。彼について今でも思い出すのは、譴責を受けるべき人間に対しては情け容赦もなく、また友人には好き嫌いをはっきりいい、あれこれの詮議だてをさせなかったことである。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第90回)

 「県庁からの別途借入金はでないことになった。そうはいうものの気の毒だから金は貸すが、公債を抵当に差し出せという県庁の話だったと、代表の林源太兵衛が報告する。これを一同に相談すると、みな異口同音に、開墾事業は私(生計)のためではない。何で他人の金を借りてまでこれを維持する必要があろうか、という。そこで松ヶ岡開墾地をそっくりお上(山形県)に返そうということになる」
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欺くこと勿かれ、

2017-07-21 09:34:35 | 日記
第3125号 29.07.21(金)

子路君に事(つか)ふることを問ふ。子曰く、欺くこと勿かれ、而して之を犯せ、と。『小学』(明倫第二)87

 子路が国君に事える心得を尋ねた。孔子は「君を欺かないこと、君の顔色を犯して正しい主張をすること」と答えた。

 【コメント】君主に仕えるためには、第一義は欺かない事であり、次は、正しいと思うことは君主であっても、その威に逆らってでも主張することは勇気のいることであると思います。

 君主のためを思って主張するだけの気概が欲しいものです。現在のわれわれは君主という存在は無いわけですが、自分の周囲にいる仲間、友人、知人も君主と捉えて、かくありたいものです。人に差をつけるのはよくないからです。

 尤も誠心誠意尽くそうと思っても、対応する人が臨まない場合は、無理強いすることは控えてもよいのではないかと考えます。

 昨夜は第二道場での御稽古でした。大暑にもかかわらず、子供たちが集ってくれるということは有難いことです。優秀な中学生君は風邪をひいたとかでお休みしました。

 6歳児・カナコサマも元気で集ってくれました。私は78歳、カナコさまは6歳ですので、何歳ちがいますかとお尋ねしましたら、72歳の年齢差があると即答しました。

 一緒に来ていた小学2年生君は引き算が出来ず、答えられませんでした。空手道も『南洲翁遺訓』発表も元気よくできました。

 第二部は田上青年とおけいこしました。田上さん用に小冊子をプリントし、それを基に学びました。お心の優しい田上さんと空手道教室でおけいこすることが出来て、光栄です。

 田上さんを詠んだ漢詩を作成していましたので、それに詩吟の節調を付け、吟じました。田上ご両親の血を引いた青年は迚も素晴らしい限りです。

 御稽古が終った頃、荘内の中澤先生から電話を頂きました。お元気なお声を拝聴し私も元気を頂きました。私の拙いブログも見てくださっておられるとのことで有難い限りです。

 『南洲翁遺訓』の読み方・拝誦等々につき、高木先生は荘内南洲会方式が気に入っているということでした。私も荘内南洲会方式は好きなのですが、空手道教室では現代風でないと子供が戸惑うと思って、大声で絶叫させているのです。

 その方が暗記をするのに都合がいいと思ってのことです。

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『人としての生き方』(第79回)

   小人の過つや、必ず文(かざ)る。

 『論語』子張篇にある子夏の言葉です。「文る」というのは、取り繕うことです。ああだこうだと言訳をして取り繕うことをしたり、頑迷となって過ちを認めないような度量の無い人間もいます。松平先生にはそうしたところがありませんでした。
 諫言をする者も、そしてこれを受け入れる者も、互いの信頼関係があって、はじめて補佐役の仕事も全う出来るんです。そうした意味では、議員と秘書というよりは、むしろ主君と家老といった関係だったのかもしれません。
 考えてみますと、世の中に補佐役でない人は誰もいないと思います。事業のトップであっても、やはり天の補佐役であると思います。佐藤栄作(第六十一~六十三代内閣総理大臣)さんが伊勢神宮に参拝された時に新聞記者から「何をお祈りしたのですか」と聞かれて、「私には相談する相手がいないから神様に御願いしたんだ」と答えたといいのます。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第70回)

 その翌日の日記には、
「夜分、開墾隊の隊員はご殿や藩首脳部の邸に押し掛ける。折しも参事の邸では首脳部が集まっておられたが----」
 とあり、首脳部では政府褒賞の真意とその対策を協議したのでしょう。しかし政府の疑惑の筋を明からさまに「隊の少年」たちに告げるわけにいきません。黒崎の日記は続けて
 「隊の少年は酔って走りまわり、門を押し開けて闖入し、杯盤狼藉、踵を返して隊長の家に押しかけ、酔を尽くし、歓を極め、意気ますます盛んに、勢いあたるべからず、ついにぶっ倒れてそのまま眠り、障子の白むのを知らなかったという」
 こう黒崎は書いていますが、狂気した開墾の「組の少年」たちの行動は、〔国家に報いるという開墾の目的〕が、政府に認知されたとと信じての行動であったのです。開墾の真意はごく小数の首脳部の胸中にだけあったことが分かります。  

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大相撲が佳境に入ってきています。優勝は白鵬になるのでしょうが、相撲の取り口が悪い。朝青竜は低次元であったが、白鵬は性質が悪いと思います。
 
 対する相手は横綱に対してハリテは失礼だと思ってあまり使っていませんが、白鵬はデタラメに使用している感があります。協会の理事長は注意しなければならないのに、何も言わないのは片手落ちだと思います。これは人格の欠陥以外の何物でもありません。

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新春のお慶び、めでたく申しあげます。

2017-01-01 09:51:22 | 日記
第2924号 29.01.01(日)
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新春のお慶び、めでたく申し上げます。昨年に引き続き、本年も何卒、よろしくお願い申し上げます。
 稚拙な文言でございますが、後期高齢者には、読み書きが一番よろしいかと存じます。念を入れているつもりですが、文字の過誤がございましたら何卒ご海容賜りたく存じます。
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 私の周囲にいる小学生の子供たちに、西郷先生が菅先生にお勧めしたという『書経・詩経』を、そして安岡先生がお勧めしている『礼記』も少しずつ、ご紹介して参りたいと存じています。
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 何が楽しいといって漢籍を繙き、人生に活かすことほど楽しいことはないと思います。テレビをつけたら、パチンコなどギャンブルの勧めばかりです。
 私が勉強し始めた当初、40年前のNHKなどの映像は迚も素晴らしい限りでした。今は天と地です。

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 西郷南洲翁の漢詩「庚午元旦」をご紹介し、新春のご挨拶と致します。
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 庚午元旦

 暁を破る鐘声に 歳月更(あらたま)り、
 軽烟暖を帯びて 柴荊(さいけい)に到る。
 佳辰(かしん)先づ祝す 君公の寿、
 起って朝衣(ちょうい)を整えて 鶴城(かくじょう)を拝す。

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『臥牛菅実秀』(第458回)
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 これは額と頭の境を示せというのと同じ難問で、これには検事も苦りきってしまった。それに困ったことには、地主はこの境界を明示してくれない限りは、一切の訊問に応じないというのである。
 そして、ついに検事をして、
「こんな強情な人は見たこともない。」
と、すっかり悲鳴をあげさせてしまったという逸話の持主である。

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新しい年が明け、今年も昨年に続き、西郷先生のこと、菅先生のこと、そして『南洲翁遺訓』に関することも書きつづけて参りたいと存じています。
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 舌たらずの所はご叱正賜りたく存じます。
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 1月22日、講演会の責任者・伊牟田先生の早期のご回復をお祈り致します。

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