味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

徳音を之れ楽と謂う。

2015-07-04 12:17:26 | ブログ
第2379号 327.07.04(土)
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徳音を之れ楽と謂う。『礼記』
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 道徳を伝えるような音楽、それが本当の音楽だ。風俗を淫靡にするようなものは本当の音楽ではない。279
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 【コメント】昨日は枕崎迄お墓参りに行きました。自宅出発が午前九時、そして自宅へ帰りつくなり、ブログを書いてその後、皇徳寺へ行きましたが、所要先が不在で3回行きました。かねても忙しいのですが、超多忙の日でした。所要が終わって帰りついたのが、午後九時でした。睡眠薬の白波が聞いたのか、今朝は元気よく起きて、学問館で学修しました。
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 学問館には三歳児・カナコ嬢もきてくださいました。終盤に『南洲翁遺訓』第三十章を拝誦しました。「命もいらず、名もいらず」と三歳児・カナコ嬢も元気よく拝誦しました。
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 明日は荘内南洲会会館で中澤今日子先生主催の『南洲翁遺訓』学習会が開催されるということを伺っています。これから荘内と薩摩で『南洲翁遺訓』の学修会を続けて参りたいと存じます。

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『大学味講』(第216回)
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  第三節  節たる彼の南山
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 詩に云く、節たる彼の南山、惟れ石巖巖たり。赫赫たる師尹、民具に爾を瞻ると。国を有(たも)つ者は、以て慎まざるべからず。辟すれば則ち天下の僇と為る。
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   註 釈
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 詩に云く=詩経小雅、節南山の篇。
 節=切りたてたように高く大いなるをいう。
 南山=周都の南にある終南山をいう。関中において最も高大の山にして、境内の鎮たり。故に周人はこの山に託して「南山之寿」等といろいろのことを歌っている。
 巖巖=名声の盛んにあらわれるをいう。
 師尹=大師(総理大臣)の位にある尹氏。
 瞻=仰ぎ見る。
 辟=かたよる。中正の道からはずれること。
 僇=戮に通ず。「殺戮」---ころす。「戮辱」----はずかしめるの意がある。

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『論語』(第316)
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 子曰はく、苟も其の身を正しくせば、政に従ふに於て何かあらん。其の身正しくする能はずんば、人を正しくするを如何せん。
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 孔子が言うには、もしその身の行いを正しくするならば、政(まつりごと)を行って國を治めるのに何の難いことがあろう。もし己の身の行いを正しくすることができなければ、人を正そうとしてもどうして正すことができよう。故に政に従う者はまず己の身を正しくしなければならない。

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『農士道』(第195回)
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 其処に「木鶏」の力があり、「老農」の徳があるのである。近来の学校に於ける講義のノートと、農場の実習と、それを試験の点数取りを目標に勉強して来た近代知識人の眼からは容易に窺われない玄堂かも知れぬが----。
 随って此の境地に至った老農の言行には、未だ此処に至らぬ者より見れば理解し兼ねるやうな事が往々にしてあるであろう。報徳記巻二第四章に二宮翁が茄子の味によって凶年を予知したことが書いてある。
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 「時に天保四癸巳年初夏時気不順にして霖雨止まず。先生或時茄子を食するに其の味常に異なり恰も季秋の茄子の如し。箸を投じて曰く、今時初夏に当れり。然して此物既に季秋の味をなすこと豈唯ならんや。是を以て考ふるに陽発の気薄くして陰気既に盛んなり。