味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

己に克ち礼に復る。『論語』

2012-08-31 13:58:25 | ブログ

タイトル---己に克ち礼に復る。『論語』。第1346号 24.8.31(金)

.

 学問館で『論語』も学び、丁度冊子の半分まできました。書棚には『論語』の本が10種類ほど保存されています。それぞれの本を過去四、五回は読んできました。顔淵第十二の最初の部分を少し紹介します。

.

顔淵仁を問う。子曰く、己に克ちて礼に復るを仁と為す。一日己に克ち礼に復れば天下仁に帰す。仁を為すこと己に由る、人に由らんや。」

[訳文] 顔淵が仁とは何かをおたずねしたのに対して、孔子は「己の私に打ち克って、天の与えた礼の大法則に立ち返るのが、すなわち仁である。一旦「己に克ちて礼に復る」ことができれば、天下が其仁徳に帰服することになるであろう。而して仁を為すか為さぬかは、克己復礼をするかせぬかの自分次第のことである。他人事ではないのだ。

.

 別項で書いた「主人公」となり、人生を謳歌したいものです。結論は、ずっと後後出て来ると思います。華やかな世界にいる政治家たちだけが、人生を謳歌しているのではないのです。民主党には、若手の元官僚たちが数多いますが、彼らは自民党は層が厚く、すぐ大臣等のポストが回ってこないから、民主党に行ったのだというのを読んだことがあります。

 これは国民を愚弄している論理と言わざるを得ないでしょう。名誉と地位と金が欲しい、何と次元が小さいことでしょう。全ては天が観ているのです。

.

 富める人貧しき人も幸福は 

      心(しん)健全とペスタロッチー言う   1161 幸福論


肝・腎臓、病いを受くれば。

2012-08-28 12:01:56 | ブログ

タイトル---肝・腎臓、病いを受ければ。第1343号 24.8.28(火)

 『菜根譚に』次の言葉があります。

〈肝、病いを受くれば則ち目視ること能わず、腎、病いを受くれば則ち耳聴くこと能わず。病いは人の見えざるところに受けて、必ず人の共に見るところに発す。故に君子は罪を昭々に得ることなきを欲せば、先ず罪を冥々に得ることなかれ。〉  (『菜根譚』48)

〔訳文〕 肝臓を病むと目が見えなくなり、腎臓を病むと耳が聞こえなくなる。このように、病いというものは、まず人に見えない体の内部に起こって、やがて必ず誰にでも見える体の外部に現われてくるものである。それ故に君子たるものは、人目につくところで罪を得ないようにしたいと思ったら、まず人目につかないところで罪を得ないように心掛けるべくである。

.

〔コメント〕 ここのところは8月5日の学問館で学んだところです。私はこの訓戒は『論語』だとばかり思っていましたら、仲間の先生が『菜根譚』48にあると教えてくれました。

 学んだその時、次の短歌を詠みました。

.

肝臓を病むと眼がみえぬなり 腎臓病めば耳聞こえぬなるぞ 1041

 昨日は小学5年生の海江田さんが次の短歌を創ってきてくださいました。

.

ありがたい温愛の光母親は 家庭の輝太陽のよう

携帯やインターネットは便利だが はがきにこもる愛語の一語

. 上の作品は小学5年生の短歌なのですが、世の保護者の皆様、お子様の感性を豊かにされるよう配慮なさいませんか。斯く申す私は幼いころ、勉強をせよ、偉くなれと言われたことはなかったような気が致しますが、老い先短くなってから、過去の分まで取り返さねばと学んでいるのです。

 そのことは、これからの人生を間違いの無きよう子供たちに、人の道を教えなければならないと痛切に思うからなのです。男の子は幼少の時は問題ないとしても、長ずるにつれて多くの問題が発生してくるのです。それは学校の先生方では、教えることは出来ないと思います。なぜなら、社会経験が少ないからです。そして勉強ばかりしてきて、教師という栄冠を手にした先生方は、世の薄汚れた世界を知らないからです。

 子供が成長して、取り返しがつかない事件等々の当事者になってからでは、どうしょうもないのです。そういうのを「手遅れ」というのです。子供の成績向上も大事だが、健康で素直な人間に育つことの方が、はるかに意義があると思います。


天はこれを知る

2012-08-24 17:20:32 | ブログ

タイトル----天はこれを知る。第1340号 24.8.24(金)

.

 寺田一清編『二宮尊徳一日一言』、8月23日をご紹介します。

.

 丹誠は誰しらずともおのづから 秋のみのりのまさる数々(二宮翁道歌)

.

【略解】 百姓が農事に精魂を傾け、耕作し、手入れをしたならば、誰れ知る者がなくても、天は彼の行いを知るゆえに、秋の収穫において歴然たる差がみられることは明らかである。これは農業だけの問題でなく、世上百般、みな同様のことであるという理を示されたものです。

.

〔コメント〕 今日の学問館で137回となりました。今朝は小学3年生・木場学都君が、『南洲翁遺訓』第1章、7章、21章を一人で、本を見ないで堂々と発表してくださいました。

 難解な『南洲翁遺訓』は本を手にするきっかけが入ると思いますが、出来るだけ前向きにやられたら如何でしょう。

 今日のテレビ報道で、老人の痴呆が予想を上回る勢いで増加していると発表されました。その原因の一つとして、他力本願があると私は議論しました。

 痴呆になりたくなかったら、出来るだけ主人公になって欲しいと思います。テレビを見るということは、他力本願だと思うからです。大した勉強もしていない子供たちが、朝から晩まで、映像で「みてくれ」をしています。それよりか、自らが本を読む、筆写するなどの方がはるかに楽しみもあり、意義もある筈です。二度とない人生なのです。

 年老いて痴呆と認定され、自らの動きを自ら制限する、何と憐れな人生ではないかと私は思います。

.

日々のらりくらりと過ごし奮起せぬ 者は生涯進歩せぬなり 1139 菜根譚77


丁丑公論緒言

2012-08-21 07:37:53 | ブログ

タイトル---丁丑公論緒言。第1337号 24.8.21(火)

.

 福沢諭吉著『丁丑公論』をご紹介します。

.

 丁丑公論緒言

.

 およそ人として我が思うところを施工せんと欲せざる者なし。すなわち専制の精神なり。故に専制は今の人類の性と云うも可なり。人にして然り。政府にして然らざるを得ず。政府の専制は咎むべからざるなり。

 政府の専制咎むべからずといえども、これを放頓すれば際限あることなし。またこれを防がざるべからず。今これを防ぐの術は、ただこれに抵抗するの一法あるのみ。世界に専制の行わるる間は、これに対する抵抗の精神を要す。その趣は天地の間に火のあらん限りは水の入用なるがごとし。

.

 名誉地位楽しみなるは知るなれど  これなき方が真の楽しみ  1122

 ハゲはハゲいかに泣いてもわめいても 取り返すことできないものだ 猛女奈

 

  (これは、やがて女流作家として、頭角を現すであろう、猛女奈さんが詠んだものです。こういうどっしりとしたユーモアがあれば、今時のいじめには無関係となるでしょう。)


欲路上のことは。

2012-08-18 15:55:28 | ブログ

タイトル---欲路上のことは。第1335号 24.8.18(土)

 .

 欲路上のことは、その便を楽しみて姑(しばら)くも染指を為すことなかれ。一たび染指せば、便(すなわ)ち 深く万仞に入らん。 『菜根譚』40

.

 欲望上のことは、手っ取り早くついでだからといって、かりそめにも手を出してはいけない。一度、手を出したが最後、(その味を覚え、一度その味を覚えてしまうと、それに溺れていき)、ついには万仞の深みに落ち込んでしまう。

.

〔コメント〕 こういうことは常識的に知悉している筈なのに、欲が先行するのでしょうか、深みに溺れる人もいるようです。近くのバチンコ屋さんには、朝早い内から、顔色を紅潮させた若くて、きれいなお姉ちゃんたちが車で入って行きます。お気の毒にと思わずにはいられません。それよりも『南洲翁遺訓』を口ずさんだ方が、およろしいのにと思う次第です。

.

欲の事手っ取り早く手を出すな 

         味をしめたら万仞の底 1109

盃交わす楽しみ共にするもので 

         分量超えても乱及ぼさず 1112