タイトル----『南洲翁遺訓』「お」己れ其の人になるの心掛け肝要なり。第364号 22.1.31(日)
「己れ其の人になるの心掛け肝要なり。」
この言葉は、南洲翁遺訓第二十章の後半に出て参ります。意訳は、「己自身がそういう人物になる心掛けが肝要なことである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。
何をするにもすべて人物が第一である。人物こそが、制度方法を生かす宝である。すべては人間次第で立派に生きるか、無益の邪魔ものに終わるかがきまるのである。
中庸の中で教えられておる如く、「文武の政(まつりごと)は布(し)きて方策にあり。その人存ずれば即ちその政(まつりご)と挙がり、其の人亡ずれば即ちその政(まつりご)と息(や)む」と全く同じ意味のことである。
清朝の名宰相といわれた曽国藩が永い総理大臣の在任中に於いて最大の課題は人を得ることであり、その他のことは覚え止める程のことはなかったと反省して申された。(前掲書「人は第一の宝である。」)。
ここで中庸をお読みになっておられない方もいると思われるので、意味を紹介します。通解「文王武王(ぶんのうぶおう)の行われた政治の方法は、今もなお明らかに方策典籍(書物)の中に敷き列なって存している。そこで文王武王のような政治が行われるか否かは、人材があるかないかによる。よく文王武王の遺法を運用すべき賢臣があれば、その政治はよく行われるけれども、その人がなければその政治は滅びて行われなくなる。」
これはひとり政治だけでなく、世の事象は、それを預かり運営する人材の能力等々によって、よくもなれば悪くもなるということです。
先般来、横綱・朝青龍の暴行事件のことで世論は喧しいが、これは当然でしょう。相撲協会が国の保護を受け、国技として興行をしているのであれば、世論を無視出来る筈がないし、してはならないであろう。
横綱には「品格」という言葉を遣うことがしばしばあるが、横綱に限らず親方衆にも「品格、名誉」あるべしと謳われている由である。ところが、あの親方衆で品格ある御仁は誰であろうか。
以前、日本総研・寺島実郎会長はテレビ出演の際、協会を預かる彼らの体質を、食い扶持温存のためではないか、と厳しく非難したことがあった。朝青龍問題を協会理事長は「示談が成立」したとして幕引きにする気らしいが、そういうことがあってはなるまい。国民は怒らなければならないし、怒っていい筈である。
今日のサンデ-モ-ニングで張本勲氏も大変な憤慨ぶりであったが、これは当然であると思うのである。これは朝青龍自身が横綱としての自覚がなく、「己れ其の人になるの心掛け」もないし、的確性もないと言わざるを得ないと思います。相撲はただ強ければいいというだけのことではないのです。そこに武士道に比肩する相撲道文化が内在しているのです。