味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

『南洲翁遺訓』「お」己れ其の人になるの心掛け肝要なり。

2010-01-31 19:57:21 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』「お」己れ其の人になるの心掛け肝要なり。第364号 22.1.31(日)

「己れ其の人になるの心掛け肝要なり。」

 この言葉は、南洲翁遺訓第二十章の後半に出て参ります。意訳は、「己自身がそういう人物になる心掛けが肝要なことである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 何をするにもすべて人物が第一である。人物こそが、制度方法を生かす宝である。すべては人間次第で立派に生きるか、無益の邪魔ものに終わるかがきまるのである。

 中庸の中で教えられておる如く、「文武の政(まつりごと)は布(し)きて方策にあり。その人存ずれば即ちその政(まつりご)と挙がり、其の人亡ずれば即ちその政(まつりご)と息(や)む」と全く同じ意味のことである。

 清朝の名宰相といわれた曽国藩が永い総理大臣の在任中に於いて最大の課題は人を得ることであり、その他のことは覚え止める程のことはなかったと反省して申された。(前掲書「人は第一の宝である。」)。

 ここで中庸をお読みになっておられない方もいると思われるので、意味を紹介します。通解「文王武王(ぶんのうぶおう)の行われた政治の方法は、今もなお明らかに方策典籍(書物)の中に敷き列なって存している。そこで文王武王のような政治が行われるか否かは、人材があるかないかによる。よく文王武王の遺法を運用すべき賢臣があれば、その政治はよく行われるけれども、その人がなければその政治は滅びて行われなくなる。」

 これはひとり政治だけでなく、世の事象は、それを預かり運営する人材の能力等々によって、よくもなれば悪くもなるということです。

 先般来、横綱・朝青龍の暴行事件のことで世論は喧しいが、これは当然でしょう。相撲協会が国の保護を受け、国技として興行をしているのであれば、世論を無視出来る筈がないし、してはならないであろう。

 横綱には「品格」という言葉を遣うことがしばしばあるが、横綱に限らず親方衆にも「品格、名誉」あるべしと謳われている由である。ところが、あの親方衆で品格ある御仁は誰であろうか。

 以前、日本総研・寺島実郎会長はテレビ出演の際、協会を預かる彼らの体質を、食い扶持温存のためではないか、と厳しく非難したことがあった。朝青龍問題を協会理事長は「示談が成立」したとして幕引きにする気らしいが、そういうことがあってはなるまい。国民は怒らなければならないし、怒っていい筈である。

 今日のサンデ-モ-ニングで張本勲氏も大変な憤慨ぶりであったが、これは当然であると思うのである。これは朝青龍自身が横綱としての自覚がなく、「己れ其の人になるの心掛け」もないし、的確性もないと言わざるを得ないと思います。相撲はただ強ければいいというだけのことではないのです。そこに武士道に比肩する相撲道文化が内在しているのです。


新渡戸稲造著『武士道』の紹介。----12

2010-01-30 12:36:44 | ブログ

タイトル----新渡戸稲造著『武士道』の紹介。 第363号 22.01.30(土)

 第十章 武士の教育および訓練

 武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、思慮、知識、弁論等知的才能は重んぜられなかった。美的のたしなみが武士の教育上重要なる役割を占めたことは、前に述べた。それは教養ある人に不可欠ではあったが、武士の訓練上本質的というよりもむしろ付属物であった。知的優秀はもちろん貴ばれた。

 しかしながら知性を表現するために用いられたる「知」という語は、主として叡智を意味したのであって、知識には極めて付随的地位が与えられたに過ぎない。武士道の骨組みを支えたる鼎足は知仁勇であると称せられた。武士は本質的に行動の人であった。学問は彼の活動の範囲外にあった。

 彼は武士の職分に関係する限りにおいて、これを利用した。宗教と神学は僧侶に任され、武士は勇気を養うに役立つ限りにおいてこれに携わったに過ぎない。イギリスの一詩人の歌えると同じく、武士は「人を救うは信仰箇条でなく、信仰箇条を正当化するは人である」ことを信じた。

 哲学と文学とは彼の知育の主要部分を形成した。しかしながらこれらの学修においてさえ、彼の求めたるものは客観的真理ではなかった----文学は主として消閑の娯楽としてこれを修め、哲学は軍事的もしくは政治的問題の解明のためか、しからざれば品性を作る上の実際的助けとして学ばれたのである。P86

新渡戸稲造は札幌の農学校時代、能力よりも品性を高めよ、といい続けました。この章では「武士の教育において守るべき第一の点は品性」とあるが、時代が代わっている今日、人の上に立つ人、いわゆる政治家、官僚、スポ-ツ選手等々に該当するとして書いてみることにします。

 特にここでは大相撲を取り上げてみることにします。平成22年初場所で二場所ぶり、朝青龍が優勝した。あろうことか、1月16日早朝、朝青龍が泥酔し、東京・西麻布の路地で知人を殴り負傷させたのだという。その件で師匠の高砂親方は協会の理事長のところに行き、被害者は関係者のマネジャ-であったと証言したという。

 ところが、これらのことは真っ赤なウソで、朝青龍が事件を矮小化しようとしたとのことである。このことについて高砂親方も知らんぷりである。前回の処置にしても、その辺の暴走族と似たような処置であり、こういう暴挙が許されていいことではあるまい。

 たしかに朝青龍は相撲は上手い。足腰は強く技術も最高ではある。だが、彼の土俵での振舞いを見て多くの国民は、顔をしかめているだろう。横綱である以上強いのは当然として、あの所作はどう贔屓目に見ても、国技としての横綱の振る舞いではないと思うのは私ひとりではないでしょう。

 前回も問題を起こし、二度とそういうことはしない、との念書を入れたやに報道されている。ここで彼に言いたいのである。このままぐずぐずしていると大変な事態に立ち至るであろうから、即刻自分から引退をすべきが筋であると。横綱の品格、品格と言うが彼の場合、品格と言う言葉はあてはまらないであろう。

 そして貴乃花問題も含め、あの親方衆は品格があると思っているのだろうか。国技であるということを自覚して貰いたいものである。国技である相撲界にはNHKからも毎年30億円の放映権料が支払われているというが、これは一種の税金から流れているのと同じであろう。

 相撲協会が心・技・体を標榜するならば、国民から心底愛される協会にしてほしいものである。ただ協会を温存し食い扶持のためだ、そして商業化していると言われない品位・品格ある相撲協会になって欲しいものであります。解体的出直しに近い位の善処策を講じて欲しいと念じているのは、私ひとりではないと思います。

 実は私が、ブログで『武士道』を綴っているのを見た女性からメ-ルを戴きました。この方は10年くらい前に私の道場で空手道に勤しんでいたのですが、相撲取りみたいな女の子にいじめられ、早々と道場をやめた厚地さんという方でした。

 いじめる人といじめられる人と、どちらが強くなるでしょう。いじめた人はすぐ忘れても、被害を受けた人はいついつまでも忘れないのです。そういったことが起爆剤となり、自分を奮起させるのです。スチュワ-デス志望でぁつたが適えられず、現在成田空港で働いているのだと聞き、喜び一入になった次第です。

 人間の一生で人が構築すべきは、「豊かな品性と至誠の情と謙虚さ」だと思います。これらを南洲翁遺訓が説いているのです。


『南洲翁遺訓』「お」己を尽くし人を咎めず。

2010-01-28 15:02:16 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』「お」己を尽くし人を咎めず。 第362号 22..1.28(水)

 「己を尽くし人を咎めず、我が誠のたらざるを尋ぬべし」

 この言葉は、南洲翁遺訓第二十五章の後半に出て参ります。意訳は、「自分の最善を尽くし、たとえ世に認められなくとも、人を咎めてはならない。すべて自分の誠意が足りなかった事を反省すべきである。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 南洲翁遺訓の教えは大きく二つに分けて考えることが出来ると思われる。一つは修己の教えであり、もう一つは治人の教えである。しかし分けることの出来ないものも当然あります。此の章は明確に、どういう立場の人に訓えようとされたのか分かりませんが、治人の教えとして考えれば、納得される感じがする。

 即ち政治を行う人に対する教えということになれば、多くの民衆を治めるということで良く其の意に応える必要がある。それには百人百論は必ずある。その方途の判断をすることに苦しむ事も多い、その場に臨んで迷わずに進むには、人間の声にこだわらず、天の立場で自信をもって対処する必要がある。 

 その為に精一杯誠をもって判断して進むことになる。その結果が他からは理解出来なくとも、決して他人のせいにはしないで、あくまでも己れ自身の誠意が足りなかったと省みる必要がある、と解すればこの章は政治を行う人のための根本理念を示されたものであると言えるのである。(前掲書「修己の教えか、治人の教えか」)。

 もの事は誠心誠意やっても失敗に終わることもある。そんな時には、他人のせいにしたいもので、又天意に不信を持ちたくなるものだ。それは天意を体して精一杯にやったと言う自信がなく、心が不安定な為であります。その時にあたり大事なことは、自らを省みる余力をもつことであり、それが新しい出発となるからである。(前掲書「人を咎めず、我が誠の足らざるを知る」)。

 大事な問題が発生したとき、それに対処・解決するとき、生命をかけて死をも辞さないという覚悟感をもってことに臨むというやり方は、古来大人物と言われた人々が用いてきたところであります。死をも辞さない、というような人物は、人生の生き方に原則を持ち、哲学を持っているからだと思うのです。

 命もいらず名もいらずという生命の覚悟感を持っていた西郷南洲翁だからこそ、「最善を尽くし、たとえ世に認められなくても」と言い切れる峻厳な態度で事に対処し、人の道を説いたのであろうと思われる。

 これは「治人」の前段である「修己」の有り方が、より信頼感が増幅し、「治人」へという広がりを見せていくということでしょう。死をも辞さないということは、無私・無欲の境地に達した人で始めて言えることではないだろうか。天下万民の声を聞き、自己犠牲を厭わず、世に処して行く、そこに天を語る資格があると思うのです。

 平成の今日、条理と不条理の区別がないように思われる為政者が多く存在する中で、この章で訓えている「誠を尽くす」ということが処世の要諦であると信じたいのである。

 政党助成金を不当に運用しているやに見られる政治家もいるようだが、仕事がなくその日その日の天露を凌いでいる人々からは、天文学的数字としての億の金を手にし、国民は理解してくれる筈だ、と豪語しているが、どういう神経をしているのだろう。

 そういう御仁に敢えていいたい。南洲翁遺訓を熟読せよ、と。


『南洲翁遺訓』「か」 我をとおすという滑稽な論理。

2010-01-19 16:14:02 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』「か」我をとおすという滑稽な論理。第356号 22.1.19(火)

『講学の道は敬天愛人を目的とし、身を脩するに克己を以て終始せよ。己に克つの極功は、「意なし、必なし、固なし、我なし。」と云えり。』

 この言葉は、南洲翁遺訓第二十一章の冒頭に出て参ります。意訳は、「学道講究の道は敬天愛人を目指すことである。即ち敬天愛人こそは人間の道である。これを完全に遂行することを目標にするのが学道の本筋である。そして自らを修めるためには克己を以て終始しなければならない。己に克つ為に大切なことは意なし、必なし、固なし、我なしと論語の中で孔子が申されている。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 南洲翁遺訓と出会って凡そ三十年。何回読んでも心に染み入る南洲翁の訓戒であります。この訓戒を見事に人々の精神に食い込ませるために、小野寺理事長のこの解説が一段と光輝いています。

 学問を目指し実践して行くと、普通の人に比べ知的にも優れてくるし、詳しくなるのは当然であります。その目指す学問は、人に見せるものではなく、己に克つためのものでなければならない、いわゆる人格の陶冶のためでなければならないという一語に尽きるでしょう。

 でも多くは、そういうことよりか自分が優先だ、と早合点し、道を外れて行く場合があるようです。

 人はどうあれ、我々南洲翁遺訓を座右の銘とするものは、一時的な事象に翻弄されることなく、南洲翁遺訓の真髄に迫って行かなければならないと思うし、他の人に先んじて、その教えを道として模範を示さなければならないと思います。

 本来ならば、政治家になる人々が、率先垂範して人々を導かなければならないのでしょうが、平成二十一年の政権交代以降、政治家という集団は、何れも同種同根だと言っても過言ではないように思えるのです。

 卑近な例が、鳩山総理の野党時代発言した言辞が、全くの詭弁であったことです。曰く、官房機密費の透明化、秘書が逮捕された時の議員の身の処し方等々、野党時代の発言は誰が言ったのかといわんばかりの態度である。

 そしてまた幾ら政権党の幹事長だからと言って、国民の象徴たるものを口先で操ることがあってはならないのです。田中、金丸親分でさえ言及しなかったことを平然と口に出し、自分のすることは至言だと言わんばかりの態度には、国民が納得する筈はないと思います。

 南洲翁遺訓は西郷隆盛が政治に携わった立場から、国政を運営するに当たり、そこに私心があってはならない、贅沢のかぎりであってはならない、国政は国民の為のものであるべきだと主張し、自らがそれを実践して見せた類希に見る政治家の訓戒であります。

 政治家は市井に生きる我々とは異なり、抜群の能力を有した人達だと思う。先に書いた「学道講究」、いわゆる学問の道を研究した人達でもある筈です。敢えてここで取り上げたいのは、「我なし」ということの「我を通さない」という問題です。

 平成二十二年七月には参議院議員選挙が予定されています。参議院選挙比例区には自民党では七十歳以上は公認しないという取決めがあったやに言われています。それを先の衆議院選挙に落選した人たちが、そういう取決めを撤廃して私を公認して欲しいということに対しての考え方の問題です。

 そういう人に対してメディアでは「意欲」があると書いているが、あれは「我欲・私欲」であって意欲ではないのです。自分達が決めたル-ルを自分の都合のいいように変更せよと平然という「我をとおす」、何と滑稽な論理であることか。

 そういう言い分を聞き、先に覚醒剤に手を染めた国民的アイドルと持て囃されたタレントの女の子と同次元だと思っている国民は少なくないでありましょう。

 議員バッジは麻薬なのだろうか、と思えてならないのです。


『南洲翁遺訓』「し」その時その場に臨んで(事事物物時に望みて)

2010-01-15 12:03:23 | 南洲翁遺訓

タイトル----『南洲翁遺訓』「し」 その時その場(事事物物時に臨みて)第353号 22.1.15(金)

 「己れに克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克ち居れよと也。」

 この言葉は、南洲翁遺訓第二十二章の言葉です。意訳は、「自分に克つためには、一つ一つその時やその場に臨んで、自分に克とうとするのでは、なかなか克てないものである。前々から堅い信念をもって己に克つことを固く鍛えておくことが大事である。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。

 人間には大小強弱の差はあるが誰にも自分なりの欲望がある。それが身を修する時の大きな障害となり易いので、古来より修行の中で一番大事なことは己に負けない心を持つこととされて来た。

 山中の賊は破るに易く、心中の賊は破るに難しと言われて居る通り自己心中の邪心ほど手強い相手が無いのである。克己とは、己の良心、良識を弱めておる自己に内臓されて居る邪心を押さえることである。それが修行であり、修業であった。(前掲書「克己とは」)。

 能力も学識もない一介の空手道武道家である私が、このような高邁な論に触れ、かねがね空手道場で門下生に説いているわけですが、南洲翁遺訓との出会いがあったからなのです。

 そして荘内南洲会・長谷川信夫二代理事長、小野寺時雄現三代理事長との出会いがあり、ご懇篤なる指導を賜ったからであります。そして学べ学べと私の弟からも激励されました。

 でも、最終的には本人が決断しなければならないことなのです。『南洲翁遺訓』、『菜根譚』、『言志録』、『論語』等々肌身離さず大きな鞄に入れ持ち歩いたものです。NHKの放送も数多活用しました。ギャンブルをする喜びよりも、このように学ぶ喜びの方が遥かに意義があると思うのだが、如何でしょう。

 とにかく連日ブログを書き、漢籍を読み、つづり方をすればエネルギ-が湧いて来るのです。一種の病気だと思っています。「病」は学問・修養のことであり、「気」は情熱のことです。

 私は、味園道場で学ぶ門下生に、この「病気」を感染させたいと思っています。能力向上のための教育機関は数多ありますが、荘内南洲会が説く「人間学」としての学問でないと意味がないのです。

 事事物物、その時その場でなく、日常的に己に挑戦する気概を持ちたいもりです。諦めなければ目的遂行は可能だと思うからです。