味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

天知る。地知る。子知る。我れ知る。

2013-11-30 10:53:13 | ブログ

タイトル----天知る。地知る。子知る。我れ知る。第1800号 25.11.30(土)

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 天知る。地知る。子(し)知る。我れ知る。『十八史略』

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 だれも知らないと考えてはいけない。天が知っている、地も知っている、君も知っている、わたしも知っている。(だれも知りませんからといって賄賂を贈ろうとした者に対し、それを拒否したときの陽震のことば)(諸607)

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【コメント】

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 学問館595回。今朝は相方が仕事で休みました。そのかわり山師範がおいで下さいました。

小野寺時雄著『南洲翁遺訓』の跋文、意訳、あとがきを拝読しました。西郷南洲翁 跋文の原文を拝読し、菅臥牛先生の学問の深さに魅了されつづけています。

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 南洲翁の人物観については、多くの方々が論評していますが、荘内発の文献を読むことが先決だと思います。

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 それは荘内と薩摩の交流を通じて、荘内の菅臥牛翁を中心とした人々が、西郷南洲翁のことについて詳述した上に、西郷隆盛の大人物を世に知らしめることを目的とし、当時の経緯を書籍としてまとめているのです。

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 そこには如何なる人と雖も介入出来ないのです。このことを真に理解したければ、小野寺時雄著『南洲翁遺訓』、そして加藤省一郎著『臥牛 菅実秀』を熟読玩味してください。かく申す私は、小野寺先生との心の交流をして十数年が経つのです。

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 今日は、《森信三の世界》 第一回 鹿児島 はがきに学ぶセミナーが開催されました。会場は、鹿児島市勤労者交流センター 7階会議室でした。

 講師と講演内容は、① 福永道子さん 「ハガキでつむぐ 私の人生」 ② 寺田一清先生 「家庭の活力」 ③ 宮下亮善先生 「いのちをいだくの意」 というお話を拝聴しました。

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 講演を拝聴して、とにかく素晴らしかったの一言でした。出来る者なら、全国の方々にお聞きして貰いたかった次第です。

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 人間は、年老いて死ぬまでの間、病気をしたくない筈です。怪我・事故等もしたくない筈です。人から憎まれたくない筈です。出来れば人から尊敬されるか、親しみを持って接したい筈です。あの世に旅立つまで、健康で明るくこの世を謳歌したい筈です。家庭内が和につつまれていたい筈です。

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 ならば、まずは権利の前に義務を果たすことだと思います。男は男としての、女は女としての、です。

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短歌の紹介

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濃くのある寺田師話術大和心

                  人を惹き付け息も出ぬ程 6161 博庵語録 

寺田師が道子氏送るハガキ数

                  一千枚を数えるという 6162 博庵語録 

四十人子どもに毎日三通の

                  ハガキを書きて誉め称ゆなり 6163 博庵語録

思い立ちやり始めたら石にでも

                  かじりついてもやり抜く決意 6164 博庵語録

ハガキとは置土産なり豊かなる

                  人生証真心こめて 6165 博庵語録

福岡や長崎熊本より来る

                  清きセミナー想いを寄せて 6166 博庵語録

歌会に先師に寄せる思い込め

                  投函したが採用如何 6167 博庵語録

食事とは飯菜別食咀嚼法

                  長命秘訣信三教え 6168 博庵語録

寺田師は平凡極まること教ゆ

                  これが師というものなりと説く 6169 博庵語録

回転のレシーブ佐々木小次郎の

                  秘剣に勝る森信三はいう 6170 博庵語録

偉大なる人は艱難辛苦嘗め

                  それを土台に人生挑む 6171 博庵語録

三歳で森家貰われ才能を

                 開化し西田幾多郎に師事 6172 博庵語録

その昔野球選手で東大に

                進みし友は今手押し車で 6173 博庵語録

有能と万能誇り見下げたる

                友はヨチヨチ隔世の感  6174 博庵語録

一日に「ハイ有り難うございます」

                三百回を唱え修行せ 6175 博庵語録

挨拶の一言命賭けぬ師は

                教育者ではないと知れよと 6176 博庵語録

眼閉じ咄嗟に親の祈り心

                察知する者第一等の人 6177 博庵語録

不登校原因夫婦のハイ返事

                何日目から学校行くか 6178 博庵語録

夫婦の和そやなそやなで和む気で 

               肯定肯定絶対肯定 6179 博庵語録

あすこそは挨拶スマイル腰骨を

               立てて掃除とハガキに挑め 6180 博庵語録

嬉しいと楽し面白いツイテイル 

               メチャメチャハッピー今日最幸 6181 歯庵語録

 りり


礼義は人の大端なり。

2013-11-29 12:21:41 | ブログ

タイトル----礼義は人の大端なり。第1799号 25.11.29(金)

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 礼義は人の大端なり。『礼記』

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  礼儀は、人の最も大切なものである。(禮運)

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 【コメント】

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 「礼儀」とは、敬いつつしむ気持ちを形の上に正しく表す動作のしかた。礼の作法。「礼義」とは、①礼と義。②人のふみ行うべき礼の道。〔孟子、梁恵王上〕奚ぞ礼義を治むるに暇あらんや。(大修館書店『漢語林』)

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 上を総括して「人が踏み行うべき、人としての健全な動作」と解していいでしょう。

 これは今時の人権屋がいうものではないのです。参議院の一票の格差是正にしても、高裁が大上段に無効としたのに対して、読売社説は、言語道断と言っていいような論を展開しています。

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 格差が同等であることは望ましいのです。でも、各政党の存続にもかかわる問題も包含しているので、高裁がいうようには行かないでしょう。仮に、高裁が言うようにした場合、国内での内乱・暴動が起きたらどうするのでしょう。高裁の判事たちが責任をとることができるのでしょうか。

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 確かに憲法は遵守しなければならないでしょう。でも行間にある国民の永遠の幸福論がなければならないでしょう。穏やかに何回も書きましたが、この半世紀で平和主義者らが言う施策で子どもたちの健全性は皆無に帰した感が否めないのです。教鞭を執っていた人間が、未成熟であるから止むを得ないことではありますが。

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 今朝の学問館で594回になりました。『言志後録』、『一生の静坐』等々を学修後、詩吟朗詠を致しました。詩吟朗詠が終わった頃、指宿から電話があり、電話回線を通じて初の詩吟朗詠をやりました。

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 体調が悪いと言っていた大師範の声が、美しく轟きわたりましたので、学問館の相方が仮病ではないのかな、というほどでした。これを契機に完全回復していくだろうと思います。

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 人間は悪意がなくても、知らず知らずのうちに過ちを犯してしまうものです。そこで、私の短歌を諳んじてください。ブログ第1798号 25.11.28日の分です。短歌6156号。

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精神が.健全ならば病来ぬ 

          総てを謝して合掌合掌 6156 博庵語録

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 学問館で私と相方は、何時も、昨日は『南洲翁遺訓』の精神に反したことはしなかったかと云って、合掌、合掌をしているのです。過ちがなかったとしても、病がなくなればいいではないか、というのが私の主張なのです。円心会を引っ掻き回す人には、やがて明智光秀が成敗するであろうとも話しています。

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短歌の紹介

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東洋の哲学触れたケネディが 

                頷き感動会談長し 翫習 『知命と立命』161-163 

集団が個人に与える影響が 

                強い場合に堕落は必至 翫習 『知命と立命』161-164堕落した集団意識が侵害す 

               個人の偉大さ倫理的価値性 翫習 『知命立命』161-165

  ---------翫習翁の巻-------- 

艱難を共に為し得る者にして

              国家の大業為し得るものぞ 6158 『臥牛 菅実秀』

西郷の言に聞き入り実秀は

              それはきっと(必ず)行いうると 6159 『臥牛 菅実秀』

実秀の言葉を聞きて西郷は

              さもうれしそう頷いて見せ 6160 『臥牛 菅実秀』 

西郷隆盛


道を修むる之れを教えと謂う。

2013-11-28 11:50:18 | ブログ

タイトル----道を修むる之れを教えと謂う。第1798号 25.11.28(木)

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 道を修むる之れを教えと謂う。『中庸』

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 人間の当然踏まなければならない道を修めるのが教えである。だから、教えとは決して単に知識を広め、見聞を広くするだけのものではない。

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【コメント】

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 今日、学校教育現場で行われているのは、単なる知識を広め、そしてテストの解答技術を教えているに過ぎないと私は思っています。30年間、教育の専門家と云われる人々の文献を私は読んできているのです。

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 『中庸』が訓戒する〈人間の当然踏まなければならない道を修めるのが教え〉ならば、青少年が荒れる筈はないのです。進歩的な先生方が純粋な気持ちでした戦後教育が、人を育てる分野から逸脱していたと言えるのではないでしょうか。

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 ある学校に、子どもが成績が悪いと怒鳴り込んで来た中年の父親がいたそうです。少なくとも私たちが子どもの頃は、先生に向かって保護者が怒鳴りたてるということはなかったものです。人を育てるから知識偏重、偏差値向上のみに偏り過ぎてきたからだと思われてならないのです。

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 昨晩銭湯に行きました。知人の方と久しぶりにお会いしました。そこで、秘密保護法案の成立について聞いてみました。遅きに失した感が否めないと厳しい口調でいいました。反対派の人々は、我々の主張こそが、正当なのだと思っているでしょうが、多くの国民は賛成なのです。国家を護ることに繋がるからです。

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 今朝の学問館で593回になりました。『言志後録』、『一生の静坐』を学修しました。

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 心と身を養うには

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 礼義を以て心を養うは、即ち体躯を養うの良剤なり。心、養を得れば則ち身自ずから健なり。旨甘を以て口腹を養うは、即ち心を養うの毒薬なり。心養を失えば、則ち身も亦病む。

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 「人は立居振舞をもって、(ただ外面にあらわれる形式的のものとしないで)精神修養の手段とすることは、身体を養う良薬である。(何故ならば、)精神を修養するならば、身体が自ずから健全になる(からである。)

 反対に、うまいもので、口腹を養うことは、精神修養の毒薬である。(何故ならば)精神が修養を欠けば、身体が衰弱して遂に病気になる(からである)。

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 英語ではよく「健全な身体に、健全な精神が宿る」というが、これは間違いだ。

 寧ろ、「精神が健全であれば、病気をしないで、長生きする」ということが本当であろう。(言志後録)38頁

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 オリンピック柔道で優勝するような人は、健全な身体であると思います。ところが、強姦罪で服役するということは、「健全な身体」には健全な精神は宿らないことの証明でもありましょう。

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 とにかく先哲が訓戒した教えを学修しなければならないと思います。

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 短歌の紹介

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栄作がケネディ会談余談こそ 

               終戦話題で示す教養 翫習 『知命と立命』161-162 

栄作が教養示せばケネディが

              態度改め敬虔な姿勢 翫習 前掲書 161-163

 -----------翫習翁の巻-----------

病とは天がくださる長生きの

             ための道程気を引き締めるべし 6152 博庵語録

毎朝の学問館で相方と

             天に誓って昨日生きたかと 6153 博庵語録

病来も健康なるも合掌し

             天道背かず生き抜く信念 6154 博庵語録

病来もお前は生きているだろう

             病忘れて師は生き続けろと 6155 博庵語録

精神が健全ならば病来ぬ

             総てを謝して合掌合掌 6156 博庵語録

この身には病は無きが過ぎし日を

             謝して子どもら命賭して導 6157 博庵語録 


有れどもなきが若く。

2013-11-27 11:09:52 | ブログ

タイトル----有れどもなきが若く。第1797号 25.11.27(水)

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 有れどもなきが若(ごと)く、実つれども虚しきが若く、犯さるれども校せず。『論語』 (泰伯)

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  学問知識があっても、ない者のように、実力に満ちていても、無力な者のように謙虚に、また、理由もなく他人から犯されても、それは無法者であるから、あえてそのものとは争そわない。そうありたいものだ。(顔淵を評した曾子のことば) (「校」は張り合うこと。)

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【コメント】

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 『論語』を読みながら、『南洲翁遺訓』を読みながら、かくありたいものだ、と心掛けて参りました。そういう心掛けでいると、精神のよい多くの方は調和よく協力してくれますが、たまに思想のひん曲がった男は、自分こそが正しいとして、引っ掻き回すのです。一寸したことで、怒鳴り返すなんて言うのは、どういう神経なのでしょう。

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 思うに、昨日特別秘密保護法案に反対している人たちに、そういうタイプが多いのではないでしょうか。俺の云うことは正しいのだ、と肩いからせているジャーナリストの男がいますが、国民の多くは信頼していないでしょう。あの人好きですかと聞けば、即大嫌いという言葉が返ってきます。

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 ご自分の意見を主張したいなら、穏やかに云うことが肝要でしょう。少なくとも私は、子どもたちにも、そのように、穏やかに話かけて参りました。上に書いた曾子のようでありたいものです。

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 昨日の法案に対して先のブログで、「治安維持法」みたいなものではない筈だ、と書きました。反対派は集結して反対の気勢を上げていますが、ペンクラブに入っていなくても、聡明な国民は多いのです。気勢を上げている人たちの論だけが正しい訳ではないのです。

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 平和だ、安全だ、人権だ、と主張して半世紀、礼儀作法も弁えない、言葉遣いも知らない、無法者みたいな子どもたちを育てて来たのは、反対派に属する人々だと指摘する識者もいますが、どうなのでしょう。

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 済んだことは仕方ないとして、これからは全うな子どもたちを育てたいと思わないのでしょうか。今朝の学問館で学修した『一生の静坐』に次のくだりがありました。

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〈神性の開発は体育、知育、徳育を含めたものである。私の望む所は、今行われている内容でなく、普通教育より下の、幼稚園で人格の土台をしっかり作ることである。〉頁31

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 幼児たちに古典の言葉等々を教えることが、なぜ「いつかきた道」になるのでしょうか。前途ある子どもたちにこそ、人の道としての生き方と言葉を教えなければならないのです。私は、そのようにしています。その是非は30年後に答えとして証明されるのです。

 今朝の学問館592回

 今朝は『言志後録』、『一生の静坐』、『菜根譚』を学修しました。最後に「日本空手道少林流円心会を詠ず」、西郷南洲作「菅先生を送る」を吟じました。指宿にも聞こえたことでしょう。

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 そこで提案です。吟を創める前に電話をしますので、受話器を足元において吟じましょう。双方電話回線を通して詩吟をやりましょう。やがては荘内の先生方ともそのように出来ればと思います。2分あればできますので。

 静坐をして、西郷先生と菅先生と会話をするようにして取り組めば、圧迫骨折は必ず治癒します。これは医者の範疇を越えた天の意で通じるのですから。信じなければ病は快復しません。

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短歌の紹介

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学校の教科書だけで勉強し

               本を読まずば一流なれず 華麗 修身教授録 478 

学校で教わる事を土台にし

               読書で立派な人生歩む 華麗 修身教授録 479

  ------------華麗の巻------------

終戦と同時に祈るシュバイツァー

               老子に学ぶ人道思想 翫習 『知命と立命』160-160

遊説の佐藤に進言「天皇は

              敗戦国へも死を悼まれるもの」と 翫習 前掲書 160-161

  ------------翫習の巻-------------

仲人の墓に詣でて結納の

              顛末わびて合掌をする 6146 博庵語録

静坐とは如何なる境地あるときも

              天地の恵み感得かなう 6147 『一生の静坐』20

静坐にて生きる喜び知ることが

              出来る大安楽の門なり 6148 『一生静坐』20

道元も禅は正座と同様に

              菩提を究尽するの修証と 6149 『一生静坐』20

言の葉は剣と同様身を護り

              そして我が身を傷つくことも 6150 『言志後録』23

言の葉は人それぞれの智の有無を

              顕わすなれば人我れ活かせ 6151 『言志後録』24


俯して之れに就く。

2013-11-26 11:26:29 | ブログ

タイトル---俯して之れに就く。第1796号 25.11.26(火)

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 俯して之れに就く。『近思録』 (教學類)

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 教育をする場合には、自分を低くひきさげ、被教育者に近づけて、その心から離れないようにするがよい。(程伊川のことば)

 これを「俯就」(ふしゅう)といい、教える立場にある者の心得とする。「俯す」は身をかがめること。(諸302)

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【コメント】

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 今朝の学問館は591回になりました。『言志後録』『一生の静坐』を学修しました。今月三十日土曜日に、寺田一清先生らの講演会があるため、空手道のお稽古をお休みさせていただく旨の葉書を25通投函しました。

 なお、お葉書は昨年度の年賀はがき、また、暑中見舞い用に発売された旧のお葉書を使用させて戴きました。ご海容賜りたく存じます。

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 お昼過ぎ、指宿在住の師範の先生が、さつま芋を持参してくださいました。一寸体調を崩されているとのことでしたが、お顔も言葉もとっても美しく、元気な私よりも力強さを感じさせてくださいました。

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 『一生の静坐』を手作りで作り贈呈しましたので、半年すれば、元気で空手道の指導に来てくださることと思います。前後して福岡の範士も元気なお姿を見せてくれると信じています。

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 なんとなれば、病にかかったとは申せ、諸事万事人様から後ろ指差されるような、大和の民族精神を否定するような、左翼的邪さは微塵もないからです。

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 寧ろ、大和の同胞と共助しあい、そして他国の人々とも懇ろな交流をすべく今まで修行これ勤めたきたのです。

 口では平和主義を唱え、上司に食って掛かるような精神のいびつさはないからです。

 

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短歌の紹介

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各々に邪心がなくて懸命に 

              なりおる時の美しき顔 6134 『言志後録』12

孔子学自ら修養これ勤め

              人には敬い慎む心 6135 『言志後録』13

これ広め天下万民安んじて

              処世豊かに処する実学 6136 『言志後録』13

書を学び学んだ事を実践し

              真心つくし偽りなきに 6137 『言志後録』13

常の言詩経、書経の精神で

              礼記のとおり礼守ること 6138 『言志後録』14

古の学を修めた人々は

              器を大成可能ならしむ 6139 『言志後録』14

後世の学は堕落し芸となり

              知識暗誦学を逸脱 6140 『言志後録』14

孔子学修めた人は行欠ける

              者はなきなり学と実践 6141 『言志後録』14

智慧磨く事は忘れて知識のみ

              現今風潮悲しかりけり 6142 『言志後録』14

我がなりは人が見るもの言の葉は

              人の信用得るものであり 6143 『言志後録』16

幼少に父母に養い育てられ

              抱いてくれたり恩は死すまで 6144 『言志後録』19

幼少の恩を忘れて親なじる

              娘あの世で地獄の底へ 6145 『言志後録』19