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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

事は忽せにする所に起こり、禍いは無妄に生ず。

2016-09-30 10:44:45 | ブログ
第2831号 28.09.30(金)
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事は忽せにする所に起こり、禍いは無妄に生ず。『古文真宝』(張蘊古「大宝の箴」)
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 大事はふだんのゆるみから起こるものであり、禍いは不測のゆだんから起こるものである。557
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 【コメント】誠に仰せのとおりだと思います。日々に敬虔な祈りに始り、そしてあの世から見ている先生方にお叱りを受けないようにしたいものだと思っています。
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 昨夜の空手道教室もにぎわいました。素晴らしい子供たちに囲まれ有難いと思っています。『南洲翁遺訓』の第一章、二十一章の長い文章を精力的に発表してくださる姿に感謝の念一入という所です。
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 今朝の新聞広告にある「週刊文春」の見出しを見て、やっぱりそうか、と思った次第です。東京都豊洲市場の件で、当時の石原都知事とドンの癒着云々と書かれています。
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 多くの国民がうすうす感じていたことであろうと思います。これは各メディアは徹底的に暴いて欲しいものです。今日のタイトルにある「ふだんのゆるみ」ではなく、意図的に儲かる為に仕組んだ芝居なのでしょう。
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 何時も思うことですが、ブログでご紹介している菅臥牛翁、菅原兵治先生方は、人々を裏切る行為は絶対にしないと思っていますが、高木先生、中澤先生、そのようにお思いになりませんか。
 幾らお金を摘まれても人の道に反することはしないという確乎たる信念が欲しいものです。
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 中澤先生から戴いたお手紙によりますと、荘内地方の子供さんたちが元気がないとの由、何かのキッカケがあればと思っている処です。
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 20年前のことでしょうか。小野寺先生から御願いされて、荘内の空手道の先生方と面会したことがあります。空手道修行に『南洲翁遺訓』を取り入れてくださいとのお願いをしたことがあります。
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 四名の内、一人は迚も素晴らしい肌の先生でした。まだ空手道をされているかわかりませんが、残念でした。『南洲翁遺訓』そのものが難解であるだけに、キッカケが欲しいのです。
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 昨夜も子供たちに紹介しましたが、『運命を拓く』と『南洲翁遺訓』こそは一生肌身離さず学んで欲しいとお願いした次第です。外にも素晴らしい文献はあるとは思いますが。

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『運命を拓く』より。
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  大 偈 の 辞
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 ああそうだ!!
 我が生命は宇宙霊の生命と通じている。宇宙霊の生命は無限である。
 そして、不健康なるものや不運命なるものは、宇宙霊の生命の中には絶対にない。そして、その尊い生命の流れを受けている我はまた、完全でそして人生の一切に対して絶対に強くあるべきだ。
 だから、誠と愛と調和した気持ちと、安心と勇気とで、ますます宇宙霊との結び目を堅固にしよう。

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『臥牛菅実秀』(第366回)
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 黒田清隆は明治十年二月十四日付で松平、菅に書翰を送った。その文面の大要は、今回の暴挙(私学校徒の弾薬略奪事件)は、島津久光父子は勿論、西郷、村田、篠原も一切、関係のないことであって、西郷は前から暴挙を迫る私学校徒を、江藤、前原(江藤新平は佐賀の乱を、前原一誠は萩の乱を起して、いづれも政府から抹殺された)と同じ道を踏むなと抑えてきた。その西郷がかかる不義無名の暴挙に組すべきはずのないことは、西郷の心事をよく知る貴殿がたに、今さら喋々する必要もないことであるが、従来、厚誼を受けてきた自分として一言お知らせするというもので、私学校徒の動きに西郷は無関係であることを強調して、暗に自重を求めたものであろう。
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『農士道』(第641回)
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 今之を木に譬ふれば、農はその根であり、工はその幹であり、商はその枝葉の如きものである。先づ根が養分を地中から吸収して之を幹に送れば、幹は更に之を枝葉に送る。んくて枝葉はその供給せられたる養分によって繁茂する。その動向を一面的にのみ見れば、商のみが利を得て、農は損失のみを負担するということになるやうであるが、それは畢竟根と枝葉----即ち木と水----を対立的に見んとする非大和的な考へ方に堕するからである。
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知を致すは物に格るに在り。

2016-09-29 09:35:25 | ブログ
第2830号 28.09.29(木)
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知を致すは物に格(いた)るに在り。『大学』
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 人間の良知を完全に磨きあげようと思うならば、事物に直接あたって、その中に流れている天理を調べるようにするとよい。
 宇宙間には常にある道理が流れている。植物や動物のなかに流れるものは物の性であり、人間のなかに流れているものは人の性である。だから人の性をきわめること、すなわち物にいたることを必要とするのである。146

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 【コメント】大事な教えだと思います。<---その中に流れている天理を調べるように>とありますが、これはすぐに理解することは無理であると思います。ですから、四書五経を読んだり書き写したり遊びのつもりでやって行けば、そのうちに理解できるようになると思います。
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 『運命を拓く』より。

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   言葉の誦句
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 私は今後かりそめにも、我が舌に悪を語らせまい。
 否、一々我が言葉に注意しよう。
 同時に今後私は、もはや自分の境遇や仕事を、消極的な言語や、悲観的な言語で、批判するような言葉は使うまい。
 終始、楽観し歓喜と、輝く希望と溌剌たる勇気と、平和に満ちた言葉でのみ活きよう。
 そして、宇宙霊の有する無限の力を我が生命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を建設しよう。

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『臥牛菅実秀』(第365回)
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 『おはん達にわたしのからだを差し上げよう』といった西郷を擁して私学校徒は明治十年二月十五日に南国には珍しい一尺余の春雪をけって鹿児島を立っていった。
 『西郷、蹶起す』の報が伝わると、西日本各県の士族は続々と鹿児島に参加し、全国各地でも戦況のいかんによっては、これに呼応して、有司専制、藩閥専横の打倒に立ち上がることも、充分に予想される事態になってしまった。

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『農士道』(第640回)
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 故にこの大和の原則に立つ農工商の関係は、それらの各業者が各々天皇に帰一奉仕するの一念から、各々其の本分を盡し、互に有無相通じて補ひ相ひつつ、日本国といふ全体の発達の為に貢献して行くことなのである。而して其の毛結果は、部分たる各個人個人も亦、御稜威の御恵みによっておのづからにして健全幸福なる生活に欲し得ることが出来るのである。
 然らば次に、農工商の分とは何か。それも已に述べた處であるが、真に「農本」-----詳しくいへば「農本商末」---の真義に立脚してその道を行ずることである。

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千人万人の情は、一人の情是れなり。

2016-09-28 10:23:07 | ブログ
第2829号 28.09.28(水)
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千人万人の情は、一人の情是れなり。『荀子』
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 千人万人の心は一人の心だ。人情に変わりはない。政治を行う者は、千万人の心を察して行わなければならないが、それには、自身の心に問うてみればわかる。自分が寒ければ人も寒かろう。自分が食べたければ、人も食べたかろう。このように思いやるのが忠恕の道であり、政治の要道である。387
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 【コメント】漢籍全巻を購入したのが20年前でした。それから、一通り拝読して参りましたが、再度こうして少しずつブログに書くことによって、生きている内に学べる喜びを噛みしめています。
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 40年前は、『論語』『孟子』の文庫本を購入し、トイレでも訳がわからないまま読んできました。そして会社でも昼時間食後、片っ端から書き写してきました。
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 安岡先生は、訳が分からずとも読んで行くうちに少しずつ理解できるようになると申していますが、まさしくそのとおりだと思います。
 それに拍車をかけてくれたのが、荘内南洲会の先生方との出会いでした。学問の都、荘内南洲会の先生方の人格美に触れ、『南洲翁遺訓』はじめ、漢籍がとても好きになりました。
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 それらの素晴らしさに魅了され、人格を修めるためには漢籍こそが適していると思って、空手道教室に来る子供たちにも勧めているのです。
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 ある老人団体が、子供たちを連れて会合に来てくださいと文書等を送ってくださいますが、得ること一つもないという観測で絶対行かないことにしています。
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 今朝のテレビ報道で、高校生らしき青年が、単車に乗り、デパートみたいな店に侵入し、店内を走り回り、それを撮影しインターネットに配信しているということを知りました。
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 当該子供たちは面白半分でやっているわけですが、そのことで人生は木端微塵に砕かれるという先のことがわからないのです。刑務所に収監されて初めてわかるのですが、時已に遅しということになるのです。
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 これらは私が度々書いている、平和・反戦・人権運動と平行した、体罰・躾け教育のなくなった日本社会の今日的現状なのです。こういう子供たちは50年、60年、生きて行く中で、世の人々から、尊敬され、慕われ、感謝されて生を閉じるでしょうか。答えは非です。
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 それに比べ、過去の大戦で、若くして死んでいった青年たちは確かに、不幸な面もありますが、国家の宝として人々に合掌を頂いているのです。
 私は喧嘩も戦争も大嫌いですが、平和主義者が唱える面だけでは、国家の崩壊につながるとはアーナルド・トインビー氏が指摘する処なのです。
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 とにかく大事なことは良書に触れるということです。そして我が物にするということです。でも、これらは他人様に誇るためではなく、身を修めるためにするということだけは忘れてはらないと思います。

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『臥牛菅実秀』(第364回)
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 ----内務卿大久保をにくむ反薩の政治家達は最も厄介な結果を招来する危険のある今日の全学連ならざる私学校干渉問題で大久保を窮地に追い込んで、遂に私学校に手を入れざるを得ないように仕向けた。
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 政治家のうちには教育者と生徒の間は、政策、否、奸策でたやすく引きはなせるものであると思う人もいた。
 政治家大久保は四十年来の親友、教育家肌の西郷を此の重大点で見損っていたのである。生徒を奸策で引きはなせば西郷は勢力の強い政府に味方して、生徒を見捨てるであろうと信じていた。     -----同 書---- 
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 このように西郷に対する誤解も疑惑も嫌悪も、すべては自分たちの持ち合わせている短い尺度で西郷を測ったことに起因するといわざるをえない。しかし西郷はそれに対して一片の自己弁明もせず、その偉大る生涯を断ってしまったのである。

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『農士道』(第639回)
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    大 和 の 原 則 に 復 れ
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 農工商の関係を本格に復す為に先づ大切なことはその関係を考ふるに対立的な見方を捨てて、大和的な見方を取るべきことである。然らば大和的な見方とは何か。それは已に本書に於て述べた處であるから、此処に再び繰返すの要はないであらうが、それを要約すれば、中心に帰一奉仕しつつ、各部分が各々其の本分を盡して互に補ひあって、全体の発達を図って行くことである。而してその中心とは何かといへば、日本國に於てはいふまでもなく、天皇にましますのである。 
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『天風瞑想録』より
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  人間本質自覚の誦句
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 人は万物の霊長として、宇宙霊のもつ無限の力と結び得る奇しき働きをもつものを、我が心の奥に保有す。
 かるがゆえに、かりにも真人たらんには、いたずらに他に力を求むるなかれである。
 人の心の奥には、潜在能力という驚くべき絶大なる力が、常に人の一切を建設せんと、その潜在意識の中に待ち構えているがゆえに、いかなる場合においても心を虚に、気を平にして、一意専心この力の躍動を促進せざるべからず。

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事に臨むに三つの難きあり。

2016-09-27 09:43:58 | ブログ
第2828号 28.09.27(火)
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事に臨むに三つの難きあり。能く見る、一なり。見て能く行う、二なり。当に行うべくんば必ず果決す、三なり。『宋名臣言行録』
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 われわれが事に臨んでこれを処置するには三つのむつかしいことがある。第一は、見通すことの困難であり、第二は、見通したならばそれを行うことの困難であり、第三は、その行うべきことは必ずやり通す果断の困難である。
 要するにわれわれは事に臨んだならば、まず見識を養い、実行し、その実行を成し遂げるという三つの困難にぶつかることを覚悟しなければならない。625

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 【コメント】難解でありますが、大事な要点だと思います。結果が、ただ個人一人のためだけではなくて、組織する国家に有益であり、人々の恩恵に資するものでなくてはならないと思います。そして大事なことは、それが長期的に人々の役に立ち、人々に生きる活力を与えると共に、歴史的な汚点になってはならないと思います。
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 平和と繁栄は迚も素晴らしいことでありますが、人々が生育して行く幼少においては、知的面のみではなく、厳しい試練に耐え忍ぶ肉体的精神的訓練も内在の哲学として構築させる術を身に着けさせることも大事ではないでしょうか。
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 戦後、労働団体を中心に、賃上げと並行して、平和・安全・人権等々の路線を進み、平和な今日であることは了とすべきことだと思います。然し、刑法に抵触する事件等々が増えて、人々の懸念材料になっていることは論を俟たないと思料します。
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 戦争が再来してはなりませんが、無謀な指導者がすぐ隣の國におり、何時、殺戮兵器が飛んでくるかわかりません。ですから、精神的には、そういう事も仮定しなければならないと思う私ですが、論理と思考に飛躍があるでしょうか。
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 連日私は、身を修めるべく、漢籍等々の言葉を学び、そしてこれから生きる子供たちに、生き抜く術も教えなければならないと思い、自ら老体に檄を飛ばしているのです。
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 人様の何倍も働き、後期高齢者の歳も忘却したかのように猛勉強をしている私は、この情熱こそが、生きる原動力になるということを修得しています。
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 これらは、決して人様に誇るものであってはならないと思っています。連日聖賢の書を学修していますが、『農士道』の著者・菅原兵治先生の訓戒に生きる喜びを感じています。
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 いみじくも前荘内南洲会理事長・小野寺先生が、日本一の学者なんですよ、と話してくれた言葉が脳裡に焼き付いているのです。そしてその菅原先生が検校(校長)として人々に訓戒する日本農士学校に、私の詩吟道師匠竹下一雄先生が門を叩いたということも因縁浅からぬものがあるように思われるのです。
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 そして大事なことは、自らの日常が、天の制裁を受けることのなきようにと、猛省もしつつ真摯なる日々であるよう努めたいと思っています。

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『運命を拓く』より、転載します。
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   思考作用の誦句
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 我は今、宇宙霊の中にいる。
 我はまた、霊智の力とともにいる。
 そもそも宇宙霊なるものこそは、万物の一切をより良く作り更えることに、常に公平なる態度を採る。
 そして、人間の正しい心、勇気ある心、朗らかな心という積極的の心持ちで思考した事柄にのみ、その建設的なる全能の力を注ぎかける。しかりしこうして、かくのごとくにしてその力を受け入れしものこそは、またまさしく力そのものになり得るのである。
 
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『臥牛菅実秀』(第363回)
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 当時の政府の常習では、この犯人達は死罪に値した。しかし暴行の原因は不正手段で生徒を怒らせた政府側にあるのに、生徒だけを死罪にされては黙認できない。両者に対して公正な裁判を求めて、それが承認されなければ、生徒の政府訊問の挙に自分の身を提供して運命の指図に従おうと思ったのであろう。
 大隅半島の狩から武村の自宅に帰りついた西郷は熟考のあげく、既に庭先に心配顔をして待っている生徒等に『おはん達にわたしのからだを差上げよう』と云った。-----同 書---
このときの西郷の苦悩は、怒り狂った私学校の幹部も生徒もおそらくは理解できなかったろう。まして政府の人たちは理解の外二いた。

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『農士道』(第638回)
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 それでは折角農工両全の対策が講ぜられたとしても、それは畢竟工業方面の困っている間の一時凌ぎのことに終って、戦争でも済んでその障害が無くなってしまえば、又元の農業蔑視に帰ることなしとしまい。米や野菜の足りない間のみの農民様々で、咽喉元過ぎれば熱さを忘る底な苦い経験をば、農民は過去に於て幾度か喫し抜いて来ているのである。どうせ農工両全といふならば、此の際農工の本質に深く切り込んで、根本的の本質の問題から真摯に考究すべきものであたいと念ずる。そしてそれが本当に、農も、工も、而して商も、共に永遠に本格に生きる道であると信ずるのである。そこで此処に、それらについての根本的原則となるべき事項の骨子を録することとする。
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賢を求むるに勤めて、人を得るに逸す。

2016-09-26 09:04:39 | ブログ
第2827号 28.09.26(月)
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賢を求むるに勤めて、人を得るに逸す。『文章軌範』(王褒「聖主の賢臣を得るの頌」) 
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 人君たる者は、賢者を求めることには一所懸命努力し、人物を得たならば、ゆっくり過ごす。527
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 時代を遡ること昔の訓戒なのでしょうが、現代では、人君を組織の責任者に置き換えてもいいと思います。ただ、<人物を得たならば、ゆっくり過ごす>とあるのは、人物を得たならなば、納得いく話し合いをして共に納得する組織運営にしたいものです。共に共に協力することが要諦だと思います。
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 昨日夕刻、スポーツランドに行きました。プールに入ったら、女子高生みたいな可愛い女の子が男の子と一緒に入っていました。目を凝らしてみたら、円心会の男・舞子さん森永礼弥君と母上様でした。
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 円心会技術研修会の際、空手の舞を演じた中島嬢の体調を慮って電話をして見ました。本人とお話したら、すっかり気分がよい、とのことでした。各師範の黒帯の先生方の前で、自信たっぷりの舞と型演武をして気が横溢し、精神豊かになったからだと思うことでした。
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 そして久々に稽古をした中島先生も風邪気分もあったのだが、すっかり良くなったということでした。一週間後、ノルウェー行きをめざし、セイサンの型を完全にマスターすべく10回位おけいこしたことが、風邪気分を吹き飛ばしてのだと思います。
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 研修会の懇親会でのことです。数日前、小学2年の子供が一時もじっとしていることができずにいるということを書きました。やがて、学校でいじめに合うということも書きました。
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 懇親会の際、当該子供は母親の膝にダッコしているような恰好でした。いわゆる母親が溺愛している姿を私は現認したのです。先に映画俳優で、強姦致傷で逮捕された男の子と同じであったわけです。
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 懇親会の際も母親の目の前で、このままだといじめられて殺されるか、飛び降り自殺をしますよと予言してあげました。円心会で修行した多くの子供の中で一番性質の悪い、甘えたおけいこ風なのです。
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 これらは核家族化にも遠因があるのでしょう。人間死んでしまったらどうすることもできません。私の警告を直接聞いた母親が子供の将来のためにと思って、修行だと思ってつれて来れば望みはあると思います。
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 自分がお腹を痛めて産んだ子供の将来を考え、どういう選択をするか、母親の賢明さが問われるのです。そのとき、『宋名臣言行録』に出てくる言葉も紹介しました。
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 曰はく、
<内に賢父兄がなく、外に厳師友なくして能く成る者なし>という言葉でした。
 まさしく、当該書籍が訓戒するとおりなのです。ところが、戦後、自由・平等・人権・平和思想が蔓延し、大和の国に培われてきた躾教育等々は壊滅の危機に至っています。
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 大家族で厳しい母に育てられ、自分で働いて苦学をしてきた私は、労働組合の先輩の指導は全くデタラメに映っていたものでした。それらを扇動した男は、一年前海に飛び込み自殺をしたのでした。20年間同じ職場で働いてきましたが、ヨシという所は全くありませんでした。
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 今日の読売新聞に川内地区の薩摩狂句入賞句が掲載されていました。
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 石野蟹篭作と紹介されています。
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 小(こ)の店も ママん色気で 禿が集(よ)っ
という句でした。小さい飲み屋なのだが、そこには頭の禿げたジイサンが集う、それは色気のある中年おばさんがいるからという意味なのでしょう。
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 この作者のエピソードをひとつ。
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 会社の昼食時、食堂で20人位が並んでいました。狂句の作者が次に御膳を受け取る順番でした。ところが横から来た男がそのお膳を持って行ったのです。そして、食堂のテーブルにそれを置いて、別の処に水をとりに行きました。それをみた狂句の作者氏が、先に自分の分だというのを持っていったそのお膳の処に行き、食べ始めたのです。
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 お水を汲んできた男はびっくりしました。それは俺が今先、ここにおいたものだぞ、と言ったのです。ところが狂句作者氏はこれは俺が取る分だったのをお前が横から持っていつたではないか、と怒鳴り合いとなりました。
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 同じ会社の職員が、刃傷沙汰を起すわけにも行かず、ものわかれになったのでした。この状況は狂句作者氏が書いた著書に紹介されていたものでした。

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『臥牛菅実秀』(第362回)
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 この政府の手によるスパイ活動は、西郷暗殺の陰謀として私学校徒を痛憤させた。さらにこのスパイ活動の指揮者中原尚雄警視が持っていた手帖によって、自分たちが政府からすでに敵扱いにされていることを知った生徒たちは怒り狂って、ついに弾薬庫を襲って弾薬を奪いとってしまった。大隅山で狩をしていた西郷は、この知らせを聞くと『しまつた』と叫んだ。
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『農士道』(第637回)
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 然し、現に行はれつつある農工両全論なるものを見るに、往々にして一時の彌縫的便論とも見らるべきものが少くないやうである。もっとありていにいえば、工業が、労力に於ても殊に食糧に於ても、「農」の力によって、従来以上の強度の救援を受けなければやって行けない状態に立ち至りつつあるが故に、その難関を打開すべく、さように唱え出したものであるとさへ見らるべきものなしとしないのである。要言すれば、その主張する處は一応尤もではあるが、どうも方便的分子が多くて、両者の関係の本質的心髄に触れていないような気がする。
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