第2831号 28.09.30(金)
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事は忽せにする所に起こり、禍いは無妄に生ず。『古文真宝』(張蘊古「大宝の箴」)
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大事はふだんのゆるみから起こるものであり、禍いは不測のゆだんから起こるものである。557
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【コメント】誠に仰せのとおりだと思います。日々に敬虔な祈りに始り、そしてあの世から見ている先生方にお叱りを受けないようにしたいものだと思っています。
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昨夜の空手道教室もにぎわいました。素晴らしい子供たちに囲まれ有難いと思っています。『南洲翁遺訓』の第一章、二十一章の長い文章を精力的に発表してくださる姿に感謝の念一入という所です。
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今朝の新聞広告にある「週刊文春」の見出しを見て、やっぱりそうか、と思った次第です。東京都豊洲市場の件で、当時の石原都知事とドンの癒着云々と書かれています。
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多くの国民がうすうす感じていたことであろうと思います。これは各メディアは徹底的に暴いて欲しいものです。今日のタイトルにある「ふだんのゆるみ」ではなく、意図的に儲かる為に仕組んだ芝居なのでしょう。
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何時も思うことですが、ブログでご紹介している菅臥牛翁、菅原兵治先生方は、人々を裏切る行為は絶対にしないと思っていますが、高木先生、中澤先生、そのようにお思いになりませんか。
幾らお金を摘まれても人の道に反することはしないという確乎たる信念が欲しいものです。
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中澤先生から戴いたお手紙によりますと、荘内地方の子供さんたちが元気がないとの由、何かのキッカケがあればと思っている処です。
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20年前のことでしょうか。小野寺先生から御願いされて、荘内の空手道の先生方と面会したことがあります。空手道修行に『南洲翁遺訓』を取り入れてくださいとのお願いをしたことがあります。
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四名の内、一人は迚も素晴らしい肌の先生でした。まだ空手道をされているかわかりませんが、残念でした。『南洲翁遺訓』そのものが難解であるだけに、キッカケが欲しいのです。
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昨夜も子供たちに紹介しましたが、『運命を拓く』と『南洲翁遺訓』こそは一生肌身離さず学んで欲しいとお願いした次第です。外にも素晴らしい文献はあるとは思いますが。
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『運命を拓く』より。
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大 偈 の 辞
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ああそうだ!!
我が生命は宇宙霊の生命と通じている。宇宙霊の生命は無限である。
そして、不健康なるものや不運命なるものは、宇宙霊の生命の中には絶対にない。そして、その尊い生命の流れを受けている我はまた、完全でそして人生の一切に対して絶対に強くあるべきだ。
だから、誠と愛と調和した気持ちと、安心と勇気とで、ますます宇宙霊との結び目を堅固にしよう。
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『臥牛菅実秀』(第366回)
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黒田清隆は明治十年二月十四日付で松平、菅に書翰を送った。その文面の大要は、今回の暴挙(私学校徒の弾薬略奪事件)は、島津久光父子は勿論、西郷、村田、篠原も一切、関係のないことであって、西郷は前から暴挙を迫る私学校徒を、江藤、前原(江藤新平は佐賀の乱を、前原一誠は萩の乱を起して、いづれも政府から抹殺された)と同じ道を踏むなと抑えてきた。その西郷がかかる不義無名の暴挙に組すべきはずのないことは、西郷の心事をよく知る貴殿がたに、今さら喋々する必要もないことであるが、従来、厚誼を受けてきた自分として一言お知らせするというもので、私学校徒の動きに西郷は無関係であることを強調して、暗に自重を求めたものであろう。
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『農士道』(第641回)
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今之を木に譬ふれば、農はその根であり、工はその幹であり、商はその枝葉の如きものである。先づ根が養分を地中から吸収して之を幹に送れば、幹は更に之を枝葉に送る。んくて枝葉はその供給せられたる養分によって繁茂する。その動向を一面的にのみ見れば、商のみが利を得て、農は損失のみを負担するということになるやうであるが、それは畢竟根と枝葉----即ち木と水----を対立的に見んとする非大和的な考へ方に堕するからである。
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事は忽せにする所に起こり、禍いは無妄に生ず。『古文真宝』(張蘊古「大宝の箴」)
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大事はふだんのゆるみから起こるものであり、禍いは不測のゆだんから起こるものである。557
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【コメント】誠に仰せのとおりだと思います。日々に敬虔な祈りに始り、そしてあの世から見ている先生方にお叱りを受けないようにしたいものだと思っています。
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昨夜の空手道教室もにぎわいました。素晴らしい子供たちに囲まれ有難いと思っています。『南洲翁遺訓』の第一章、二十一章の長い文章を精力的に発表してくださる姿に感謝の念一入という所です。
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今朝の新聞広告にある「週刊文春」の見出しを見て、やっぱりそうか、と思った次第です。東京都豊洲市場の件で、当時の石原都知事とドンの癒着云々と書かれています。
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多くの国民がうすうす感じていたことであろうと思います。これは各メディアは徹底的に暴いて欲しいものです。今日のタイトルにある「ふだんのゆるみ」ではなく、意図的に儲かる為に仕組んだ芝居なのでしょう。
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何時も思うことですが、ブログでご紹介している菅臥牛翁、菅原兵治先生方は、人々を裏切る行為は絶対にしないと思っていますが、高木先生、中澤先生、そのようにお思いになりませんか。
幾らお金を摘まれても人の道に反することはしないという確乎たる信念が欲しいものです。
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中澤先生から戴いたお手紙によりますと、荘内地方の子供さんたちが元気がないとの由、何かのキッカケがあればと思っている処です。
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20年前のことでしょうか。小野寺先生から御願いされて、荘内の空手道の先生方と面会したことがあります。空手道修行に『南洲翁遺訓』を取り入れてくださいとのお願いをしたことがあります。
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四名の内、一人は迚も素晴らしい肌の先生でした。まだ空手道をされているかわかりませんが、残念でした。『南洲翁遺訓』そのものが難解であるだけに、キッカケが欲しいのです。
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昨夜も子供たちに紹介しましたが、『運命を拓く』と『南洲翁遺訓』こそは一生肌身離さず学んで欲しいとお願いした次第です。外にも素晴らしい文献はあるとは思いますが。
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『運命を拓く』より。
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大 偈 の 辞
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ああそうだ!!
我が生命は宇宙霊の生命と通じている。宇宙霊の生命は無限である。
そして、不健康なるものや不運命なるものは、宇宙霊の生命の中には絶対にない。そして、その尊い生命の流れを受けている我はまた、完全でそして人生の一切に対して絶対に強くあるべきだ。
だから、誠と愛と調和した気持ちと、安心と勇気とで、ますます宇宙霊との結び目を堅固にしよう。
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『臥牛菅実秀』(第366回)
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黒田清隆は明治十年二月十四日付で松平、菅に書翰を送った。その文面の大要は、今回の暴挙(私学校徒の弾薬略奪事件)は、島津久光父子は勿論、西郷、村田、篠原も一切、関係のないことであって、西郷は前から暴挙を迫る私学校徒を、江藤、前原(江藤新平は佐賀の乱を、前原一誠は萩の乱を起して、いづれも政府から抹殺された)と同じ道を踏むなと抑えてきた。その西郷がかかる不義無名の暴挙に組すべきはずのないことは、西郷の心事をよく知る貴殿がたに、今さら喋々する必要もないことであるが、従来、厚誼を受けてきた自分として一言お知らせするというもので、私学校徒の動きに西郷は無関係であることを強調して、暗に自重を求めたものであろう。
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『農士道』(第641回)
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今之を木に譬ふれば、農はその根であり、工はその幹であり、商はその枝葉の如きものである。先づ根が養分を地中から吸収して之を幹に送れば、幹は更に之を枝葉に送る。んくて枝葉はその供給せられたる養分によって繁茂する。その動向を一面的にのみ見れば、商のみが利を得て、農は損失のみを負担するということになるやうであるが、それは畢竟根と枝葉----即ち木と水----を対立的に見んとする非大和的な考へ方に堕するからである。
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