味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

正道を踏み『南洲翁遺訓』

2012-01-31 11:58:00 | ブログ

タイトル----正道を踏み『南洲翁遺訓』。第1133号 24.01.31(火)

〈正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に委縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。〉(第17章)

 昨日の第1132号同様、特別の解説を致します。

 〔訳文〕 自分の行動・言動は正しくし、万一の事態が起こっても倒れてもやるぞ、という精神がなかったら、友人・知人との交際は順調に行きません。相手が強そうに見えそれに恐れ入り、ただ円満に事が進むことだけを考え、相手がいうとおりにしてペコペコすれば、相手に馬鹿にされ、親しい友の絆もなくなり、ついに相手のいうとおりになってしまう。そしてお金をむしられたり、と。

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〔コメント〕 要は腰をどっしりと据え、強固な信念で事に臨まなければならないということです。平和と安全はたしかに大事です。世の中には分けのわからない人間が多数います。こういった人種には毅然と対峙する必要があります。これは単なる個人的取っ組み合いだけを言っているのではありません。

 先日、円心会師範が警察官にシートベルト着用問題で、咎められたと聞きました。自分に非がない時は、文筆でもって国家公安委員長、県警察本部長、言論機関あたりに直訴できる文章作成能力も身につけなればならないと思います。

 かく申す私は青年時代、そういう学問的技術は持っていませんでした。だから道場に集う子供たちには生きる術を伝授したいのです。悠くんママ、こういう考えはおかしいですか。

 人を陥れることをしてはならないが、人から陥れられてもいけないと思います。濡れ衣を着せられ刑務所で過ごす人もいるやに聞きます。尤も、無実の人を蹂躙する人は、後々、本人が、家族が天の罰を受けることになるのです。

 自らに厳しくし、そして勤勉に日々を過ごし、仕事には体当たりし、人様には親切にしたいものです。昨日は五時から空手の舞を指導しました。女児二人がやって参りました。一人は半年くらいになるので大分うまくなっています。もう一人は昨日で二回目でした。

 同道した父親様に言いました。単なる空手の舞ではないのです。こういうお稽古ごとを通じて、人の道を学ぶのです、と。新しく稽古を始めた女児と対面し、師匠の私に礼をさせます。そして先輩の女児の方を向いて、うやうやしいお辞儀をさせるのです。

  同級生であっても、先輩後輩のけじめをつけさせるのです。今は男女同権とかで、いいたい放題、したい放題です。なんでも言って委員会に出てくる日本一美女の口の悪いこと、このババ様は、あの世でおしおきされるでしょう。

 母親様方にお願いです。夫婦喧嘩は大いに結構だと思います。でも、言葉のやりとりは出来るだけ敬語・丁寧語を使ってください。ご主人に問われたら、ハイと素直に答えてください。夫婦喧嘩でムシャクシャし、気にいらないからと言って、横柄な言葉遣いをしたら、子供に不幸が来るのです。仕事にありつけない、結婚できない人間になるのです。

 呼ばれたら、素直に「ハイ」と答えましょう。それは、貴方がしあわせになることなのです。


富の力でくるならば『菜根譚』

2012-01-29 12:25:26 | ブログ

タイトル---富の力でくるならば『菜根譚』。第1131号 24.1.29(日)

 『菜根譚』 42

〈彼は富もてせば我は仁、彼は爵もてせば我は義もてす。君子は固(もと)より君相の牢籠(ろうろう)するところとならず。人定まれば天に勝ち、志一なれば気を動かす。君子もまたむ造物の陶鋳を受けず。〉

〔訳文〕 彼が富の力で来るならば我は仁の徳をもって対抗するし、彼が爵位でくるならば我は道義をもって対抗する。そこで仁義をもって立つ君子は、もともと、富や爵位によって君主や宰相に籠絡されるものではない。人は一念を通せば天にも勝ち、志が専一であれば気を率い動かすことができる。そこで君子たるものは、君主や宰相にはもとより、造物者にも、型に入れられて意志の自由を束縛されるものではない。

〔コメント〕 訳文の「一念を通せば天にも勝ち」とありますが、一念を通せば、天が微妙に応酬し功徳をあたえるということです。これは天風師の言うところです。後半部分の意思の自由を束縛されるものではない、というくだりは、天の道に反せば、自由を束縛されるのです。

 解説者は天の論理を理解するまで修行したのであろうか。20数年、天風を学び研究してきた私はこのように解釈します。


誇り高ぶる『菜根譚』

2012-01-06 10:37:55 | ブログ

タイトル----誇り高ぶる『菜根譚』。第1105号 24.01.06(金)

 『菜根譚』 25

〈矜高倨傲(きょうこうきょごう)は、客気(かっき)にあらざるはなし。客気を降伏し得下(えくだ)して、而る後に正気は伸ぶ。情欲意識は、尽(ことごと)く妄心を消殺し得尽(えつく)して、而る後に真心は現わる。〉

〔訳文〕 誇り高ぶったり、他を見下して威張ったりするのは、すべて勝心客気の仕業(しわざ)でないものはない。この空元気をすっかり押さえつけてしまうことができて、そこで初めて真の元気が伸びてくる。愛憎欲望、利害打算の知恵などは、すべて盲心の仕業である。この盲心をすっかり消滅させてしまうことができて、そこで初めて真心が現れてくる。

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〔コメント〕 この「盲心をすっかり消滅させてしまうことができて」と解説してあるが、その処方箋を書いていません。解説を書いた人が知らないのでしょう。

 それは『南洲翁遺訓』他、漢籍を日々に繙くことなのです。『南洲翁遺訓』を毎日毎日読んで行くうちに、性格の従順な人は、盲心を消滅させることが出来るようになる筈です。

 ただし、功名心を流行るような人間には、それは出来ません。『南洲翁遺訓』を改竄しようととんでもないことをする人間には、です。

 私の場合、母に、毎日毎日、「人には自分から頭を下げなさい、よい言葉を遣いなさい、掃除は進んでしなさい、自ら身体を動かしなさい」と幼少時代に、徹底的に教育されたものです。ただし、漢字を書きなさい、勉強しなさい、とは言わなかったような気がしています。

 今みたいに勉強をしていたら、もっとましな生き方が出来たのではとも思いますが、詮無いことです。

 でも母からしつけられたお蔭で、勉強嫌いな子供、ヤンチャな子供に、勤勉で、辛抱づよくて、仕事好きにならせるコツを教えることはできます。これは、どこの誰にも負けないでしょう。ただし、両親が精神的に協力をしていただかないとダメです。

 それは子供たちが、『南洲翁遺訓』を絶叫する処をみればおわかりになる筈です。今は、天風師の教えもやや会得したと思うので、健康にして長生きをするコツも教えることができると自負しています。その教えの本は80歳過ぎてから書くことにします。

 今朝のテレビをみて「食べログ」という言葉を知りました。何処のお店が美味しいと呟いたりするのだそうです。それにはインチキもあり社会問題化しているとのこともありました。

 なぜ、軽軽に騙されるのでしょう。自ら確認すればいいことを、です。ピーコというおじさんは、贅沢をせず、自ら食べて確認するのだ、と発言ました。歳を重ねた所為もあるのでしょうが、ピコさんを見直し、好きになりました。

 しっかりしましょう。自分の人生なのです。他人に、振り回されるということは、自覚が足りないのです。


人の悪を責める『菜根譚』

2012-01-04 10:36:44 | ブログ

タイトル----人の悪を責める『菜根譚』。第1103号 24.01.04(水)

 『菜根譚』 23

〈人の悪を攻むるは、太(はなは)だ厳なることなかれ、その受くるに堪えんことを思うを要す。人を教うるに善を以てするは、高きに過ぐることなかれ、当(まさ)にそれをして従うべからしむべし。〉

〔訳文〕 他人の悪を責めて善に向かわせようとするとき、あまり厳しすぎてはならない。その人が、それを受け入れられるかどうかの程度を考える必要がある。また、人を教えて善をさせようとするとき、あまり高すぎてはならない。その人が、それを実行することができるかどうかの程度を考えて、実行できるようにしなければならない。

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〔コメント〕 悪にもいろいろあります。例えば、してはならない悪というものです。『南洲翁遺訓』の改竄がそれです。こういう場合、足腰立たないくらい責め立てないと、張本人はなめているのです。俺は西郷隆盛研究家なのだと。昔なら壮士が首を刎ねていたでしょう。

 その御仁の日常の素行を知りたければ、南洲神社のお墓で説明をされている森田様に聞いてください。少し、自分だけ話すきらいがありますが、この方の言はまさしく正論です。刑事事件の匂いがするようなことも大声で話してくれます。

 通常は余程のワルでない限り、穏やかに、導けば改めるものです。私はそのようにしてきました。100%聞いてくれました。それはまず、相手に名誉を与える事です。そして導く人が、奢りたかぶる言葉遣いてをしないことです。