味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

『南洲翁遺訓』一日一言。

2012-03-31 12:59:02 | ブログ

タイトル---『南洲翁遺訓』一日一言。第1198号 24.03.31(土)

 寺田一清先生の学道に勤しまれる姿に触発され、味園博之編『南洲翁遺訓一日一言』を書き始めました。ブログをご覧になられた方、厳しい評を提供してくださるようお願い致します。

 解説は基本的に普通に書きますが、【略解】は、極端に異なり、道場で解説するような文言も出て参ります。政治経験のない空手指導者が、分けの分からぬ幼児たちに、如何に南洲翁遺訓を理解させるか、精神に食い込ませるか、浸透させるか、ということの種明かしともなります。ただし、原文は一言一句たりとも、替えるものではありません。思い上がった男が原文を改竄したりして全国的に話題になっていますが、そういうことをしてはならないのです。

 

 一月一日  廟堂に立ちて

 

 廟堂に立ちて大政を為すは天道を行うものなれば、些とも私を挟みては済まぬもの也。(第一章)

 

 「政府の中にあって、国のまつりごを行うということは、天の道即ち天地自然の道を行うことである。したがって、いささかなりとも私心をさしはさんではならない。」

【略解】 廟堂とは、今いるところが廟堂である。家庭も学校も、そうである。そこでずいことをしてはいけない。人は、天道に則っている生き方をしているかどうかで、禍福が分かれるのです。

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〔コメント〕 初めて味園博之編『南洲翁遺訓一日一言』を書いてみました。賛否両論お待ちしています。何故、幼児期から『南洲翁遺訓』を教えるか、ということです。今の政治家は、国家国民のためにしているのではなく、自分のためにしかやっていないと断ぜさぜるを得ないと思います。

 現政権は、以前、解散しろ解散しろと吼えづけていました。今日、世論を気にして自分らに都合がよい結果が゜出てくるのをまっています。それは国民のためではなく、自分らの利害のみが先行しているて言われても仕方ないでしょう。外国語の前に国語が先なのです。『南洲翁遺訓』こそが一番いいでしょう。

 この戒めは、特定の政党だけでなく、すべての政党に共通することだと思っています。ただし、橋下市長率いる維新の会は別です。


無限の恩恵。

2012-03-28 10:45:35 | ブログ

タイトル---無限の恩恵。第1195号 24.03.28(水)

 寺田一清編『二宮尊徳一日一言』より、3月28日の言葉をご紹介致します。

 3月28日 無限の恩恵

 天(あめ)の日の恵みつみおく無尽蔵

    鍬で掘り出せ鎌でかりとれ   (二宮翁道歌) 

 【略解】 これは天地無限の恩恵を詠まれた一首です。無尽蔵ともいえるその功徳を、鍬や鎌を使って勤労耕作を重ねて、その大地の宝庫から掘り出し、刈りとらねばならぬとの意。

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 物事を要求し、腕づくで奪い取ろうとする集団が多いやに聞きます。会社がぶっつぶれてでも我々は勝ち取りさえすればいいのだ、と演説した全国組織の偉い方がおられました。

 そういう方々の生き方に比べ、尊徳翁の和歌は、何と謙虚で真面目な、ひた向きな考え方なのでしょう。この歌は自然を冒涜せず、調和よく生きたい、生きなければならないと人々を啓蒙しているのでしょう。

 かくありたいものです。


無字の経文。

2012-03-26 11:00:24 | ブログ

タイトル---無字の経文。第1192号 24.03.26(月)

 

  3月26日 無字の経文。

  音もなく香もなく常に天地は

     かかざる経をくりかえしつつ  (二宮翁道歌)

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 【略解】 文字に書いた経文は、神儒佛といろいろその教えを異にしていますが、文字に書いていない経文は、天地の法則そのもので、肉眼では見えず、心眼をもって見ないと見えないものです。たとえ見えても見えなくても厳然としてその循環運行をくりかえしております。

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〔コメント〕 冒頭の和歌は『古典の叡智』でも紹介されており、20年前からに知っていました。そういうことで出来るだけ自然に逆らわないように、自然に順応した生き方をしたいものだと考えて日々を生きてきたつもりです。

 昨日、枕崎にお墓詣りに行きました。帰りに、以前駅があった近くにタイヨーがあるものですから、そこに買い物に行きました。私は車に乗ったままでした。凡そ15分間くらい駐車していました。その間、自家用車での買い物客がひっきりなしに入ってきました。200台以上でした。

 私どもが子どもの頃は、自宅から歩いて駅まできたものでした。車はない時代でしたので。思うに、快適な人生を送りたいから、文化的生活を送りたいからという、人類優先の生き方が、結果的に自分の足腰を弱くし、身体を弱くしている部分がないでしょうか。そしてガソリンなどのムダ遣いにつながっていないでしょうか。

 寺田一清著『森信三のことば』に、次のように書かれています。

「2011年3月11日、国難とも言うべき東日本の大災害をうけ、しかも原発問題をひき起こし、日本民族への一大警告が発せられました。これを機に、日本民族のもつ礼節敬愛の良風美俗に目覚める転機となり、勤勉力行、相互扶助の精神が発揮せられるのではないかと思われてなりません。

 これ正に日本の生んだ先哲、二宮尊徳の至誠・勤労・分度・推譲の原理と実践に還るべき機運の到来を感じますと共に、森信三先生の教示せられる、生き方の基本ともいえる実践の着手点を見直し、この地点から日本の復興再生の一歩を打ち出したいと念願しております。」

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  かねがねこのような事を口にしていた私は、まさしく正論だ、として溜飲が下がった思いでした。世界中を見てきたとされる作家の曽野綾子氏も、日本人ほど贅沢をしている国民はいないというようなことを書いています。同感です。


忠勤と忠信。

2012-03-24 12:09:13 | ブログ

タイトル---忠勤と忠信。第1190号 24.03.24(土)

 昨日に引き続き寺田一清編『二宮尊徳』一日一言、23日をご紹介します。ブログに目を通されている方は、ただ一回だけサラッと読むだけでなく、5回くらいは読んで欲しいと思います。お読みになり咀嚼した分だけ、貴方の処に果報が届くと思います。ただ、戦後教育にかぶれた人にはそのご縁はないかも知れません。人間に素直さがなく、偏狭な過信があるように思われてならないからです。

 私と同じ会社に勤めていた御仁と年賀状のやり取りをしていたのですが、人間に謙虚さがないのです。賀状の空白に書いているヒトコトが常軌を逸していると何時も思っていました。

 23日 忠勤と忠信

 忠勤を尽くしてその弊を知らざれば忠信に至らず。

 忠勤を尽くして其の弊を知るあれば必ず忠信に至る。   (金言集)

 忠勤と忠信との違いはどこにあるかと言えば、忠勤は相対的で俺が、俺がの我意をまぬがれぬところがある。ではその差はどこにあるかと言えば報恩の一念の有無に存する。

 

 〔コメント〕 上に「戦後教育」云々とかきましたが、何事も権利を優先・主張する人にはその意図するところが理解できないのではないかと思われるのです。

 昨日、寺田一清先生からご著書・寺田一清編『森信三のことば』他二冊をご恵贈賜りました。今朝当該著書を拝読し、次の言葉にひっかかりました。曰く、

「2011年3月11日、国難とも言うべき東日本の大災害をうけ、しかも原発問題をひき起こし。日本民族への一大警告が発せられました」と。

 私も同様の事を考えていました。私の思考論理と符号したのです。今、国を預かっている為政者の人々には、それは分からないでしょう。全てに、日本民族がよしとしたものが喪失しているような気がしてならないからです。これほど罪深いものはないのではないかと憂慮しています。

 責任者が言う、「不退転の決意」とは、国家国民の幸せの永遠性がなければ不毛の論理に思えるのですが。


真実の道。

2012-03-21 11:54:29 | ブログ

タイトル---真実の道。第1187号 24.03.21(水)

 朝食後、森信三著『修身教授録』を少しく拝読しました。十数年前購入し、二回ほど通読はしていたのですが、寺田一清先生とのご縁で、両先生のご著書を精読しはじめた処です。標題の「真実の道」のところをご紹介します。

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 では真実の道は、一体いかにして興るものでしょうか。それには、「自分が道をひらくのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、このわが身わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」によってのみ、開かれるのであります。

 が同時にそれだけに、この誠の境地には容易に至りがたく、実に至難なことだと思うのです。と申すのも、お互い人間の誠には、「もうこれでよい」ということはないからです。すなわち、「もうこれくらいならよかろう」と腰を下ろしたんでは、真の誠ではないからです。真の誠とは、その時その時の自己の「精一杯」を尽くしながら、しかも常にその足らざることを歎くものでなくてはならぬからです。------(中略)---

 要するに誠に至るのは、何よりもまず自分の仕事に全力を挙げて打ちこむことです。すなわち全身心を堤げて、それに投入する以外にはないでしょう。かくして誠とは、畢竟するに「己れを尽くす」という一事に極まるとも言えるわけです。(森信三著『修身教授録』)

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 『南洲翁遺訓』にも同様の言葉がありますね。西郷南洲翁と菅先生の共通した人生観世界観でもあったのでしょう。