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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

善を責むるは、朋友の道なり。

2014-10-31 10:59:19 | ブログ
第2134号 26.10.31(金)
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善を責むるは、朋友の道なり。父子善を責むるは、恩を賊(そこなう)の大なる者なり。『孟子』
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互いに善に励もうとして切磋することは、朋友間の道としてはまことに美徳である。しかし、父子の間は天然の恩愛を主とするものであるから、切磋のためといって互いに責め合うことはむしろ恩愛の人情にはずれて害をなすものである。121
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【コメント】 通常、善に励むことはよいことであると思います。ただ、それを相手に強引に逼るものであってはならないと思います。出きれば共通理解をもって事を進めることが望ましいと思います。
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『臥牛先生遺教抄』(第72回)
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七二、総じて実地に当れば執着するなり。執着すれば聡明は覆わるるなり。深切を勉むれば偏狭になり易し。偏狭なれば人を容るる事なし得ぬなり。勉めて引き離れて静かに深思風味せよ。大体に明らかなる時はよく人の言を聞き容れて用いらるなり。
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『論語』72
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七ニ、子曰はく、我は未だ仁を好む者不仁を悪む者を見ず。仁を好む者は以て之に尚ふるなし。不仁を悪む者は其の仁を為すや、不仁なる者をして其の身に加はらしめず。能く一日其の力を仁に用うるあらんか、我は未だ力の足らざる者を見ず。蓋し之有らん。我は未だ之を見ざるなり。
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孔子が言うには、「私は本当に仁を好む者又不仁をにくむ者をみたことがない。仁を好む者なら最上だが、不仁をにくむ者も、自らは仁を為し不仁者の影響を受けないであろう。それだけの事のできる者をも見ないのは、残念なことである。そしてそれが難しいことかといへば、決してそうではない。たとひ一日なりとも力を仁に用いようと志す人があるならば、それにも力が足りない者は見たことがない。世の中には力が足らなくて仁を行えないという者があるかも知れないが、私はまだそんな人を見たとがない。
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「礼節いろはことば」 「ぬ」
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濡れ衣を 着せられようが 義を通す
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あらぬ嫌疑をかけられても正義心を通そう
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短歌の紹介
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世に何が要諦なるか思考すに
 徳仁勤勉勝るものなし 6962 博庵語録
 

大逆無道。

2014-10-30 10:42:17 | ブログ
第2133号 26.10.30(木)
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大逆無道。『史記』(高祖紀)
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甚だしく人倫にもとり、道理を無視した行為。640
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【コメント】 ブログを書こうとしてインターネットを立ち上げました処、警察官をはじめ公務員の方々の飲酒運転事件が報道されています。逮捕され懲戒免職になってからでは遅いですので、お互い心したいものです。私たちの20代の頃は飲酒運転は大して厳しくなかったのですが、車が増えて、死亡事故等が増えてきたため、厳しくなってきました。道理道徳を無視することのなきよう配意したいものです。
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『臥牛先生遺教抄』(第71回)
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七一、遠藤先生(厚夫)中庸のお会ありし頃、夫子仰せらるるには、厚夫中庸の中を程好しと説かる。成程ほどよきの意味なきにあらねども、誤り聞けば害をなすぞ。汝にその弊あれば殊更に戒め置くなり。何事にも踏み込み弱き故、深入りして大過ちを出す勇気なく、いつも中途にして曖昧の間に消え失するは大失なり。道を学ぶには惟れ精惟れ一なるものなり。精一なれば必ず片それになり、過失も出ずるものなり。その時は充に厥の中を執れという所に立ち返り、幾度も過ち幾度も改め、段々錬磨して真の中を得るものなり。初めより程よき中を心掛けなば郷愿に陥るべし。戒めよと仰せられき。
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人心惟れ危うく、道心惟れ微なり。惟れ精惟れ一、充に厥の中を執れ。『書経』197
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 欲にくらみがちな人心にしたがうことは、危険のもとである。また道義の心は、その欲心のためにおおい隠されがちのものであるから、微かにして見がたい。だから、人心については危うきに陥らないように、道心についてはこれを明らかにするように専念して事に当たらなければならない。そこで、人としては精しくこれを察し、専一に雑念を去って、天から授かった中庸の道をとることにつとめなければならない。
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 これは、舜が禹に位を譲るときのことばであるが、『論語』には、堯が舜に位を授けるときのことばとして、「充に厥の中を執れ」の一句で出ている。中を執り守ることは、堯舜禹三代の政治の中心とされている。

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『論語』71
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七一、子曰はく、富と貴とは是人の欲する所なり。其の道を以てせずして之を得れば処らざるなり。貧と賤とは是人の悪む所なり。其の道を以てせずして之を得れば去らざるなり。君子仁を去らば悪(いづく)にか名を成さん。君子は終食の間も仁に違うことなし。造次にも必ず是に於てし、顛沛にも必ず是に於てす。
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孔子が言う、富貴は人情の欲するところだから、これを求めて悪いことはない。しかし、当然富貴になれる仁徳と地位にかなった方法によってでなければ、君子はたとえ富貴を得たとしてもそれに安んじない。
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 貧賤をにくみいやがるのは人情だから、それを去ろうとするのはよろしい。しかし、立派な行為をしているにもかかわらず貧賤となったのなら、それは天命で何とも致し方がない。君子はその命に安んじて、あくせくとして貧賤から去ろうとはしない。たえず仁を行って、貧賤にも安んずるのだ。君子が仁から離れたら、どうして君子たるの名があろうか。
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 君子は御飯を食べるくらいの僅かの間でも仁にたがうことはない。急がしく事のさし迫って心の落ち着かぬ時でも、艱難に遭って流浪して身の安全でない時でも仁を忘れることはない。

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「礼節いろはことば」「り」
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両親に 真心こめて 感謝しよう
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 生を得た喜び、真心こめ両親に感謝しよう。

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短歌の紹介
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旅立ちし後に余韻の残る人
 学びてそんな人になりたし 6961 礼節のすすめ 
先人の結びし交流鹿児島の
 友ら迎えて宴の楽しも 荘内 進藤郁子様より

容れられざる、何ぞ病えん。然る後に君子を見る。

2014-10-29 14:04:00 | ブログ
第2132号 26.10.29(火)
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容れられざる、何ぞ病えん。然る後に君子を見る。『十八史略』
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世に容れられないということは、なにも気にするにあたらない。こんな濁った世の中に容れられないところに、むしろ真の君子であることがわかる。(顔回のことば)
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 孔子が、士官すべき君主も求め得ず天下を周遊していたとき、門人顔回が慰めはげましたことば。588

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【コメント】 多くの人が共にすむ世の中は、味方によって分かれると思います。清廉な人はこれこそがいい、邪悪な人は私こそがいいのだと。
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だから生活態度は、ただ直向きに、誠心誠意すればいいのではないでしょうか。学歴・能力のないす私はそのようにしてきました。生を閉じるまでその姿勢は変わらないし、仲間にもそのように呼びかけていきます。
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 余生幾ばくも無い後期高齢者群に位置づけられている私は、世の為人の為生き抜くことこそが最高・最幸の生き方だと思っています。天はそういう人にご褒美を挙げるのだと信じています。
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 そして欲を申せば『南洲翁遺訓』の精神に悖らない生き方、そして臥牛先生遺教抄の教えを遵守して参りたいと思っています。

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『臥牛先生遺教抄』(第70回)
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 七〇、必死になれば事必ず一方に片寄るものなり。初めより程よしと言う事なきものなり。故に尚書にも「惟れ精惟一充に厥の中を執れ」とありて、何事も精一になれば必ず偏になる故、そこで己を顧み中を執るものなり。総て学ぶに精一こそ肝要なれ。篤志の人は過ちなきを願わず、却って過ちあるを願うならん。何となれば過たばきっと之を改めんとの気象盛んなればなりと。
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『論語』70
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子曰はく、筍に仁に志ざせば、悪なし。
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孔子が言うには、本当に仁にさえ志しておれば、悪の芽生える心配はない。
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「礼節いろはことば」 「ち」
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忠誠を 尽くすは親に 人様に
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先ずは親に、そして人様に真心を捧げよう。この言葉は上の『論語』にある「仁」に志すということでもありましょう。
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短歌の紹介
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戴きし尊き生命活かしつつ
 生きる恩恵今無き母へ 6960 礼節のすすめ52
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 拙著『礼節のすすめ』に、お近くに住む俳人・藤島洋子先生の句集『耳飾り』と題して拙文を書いてあります。容姿もお心も美しい人間の鑑的存在の洋子先生の御様子を上の短歌に綴ってみました。洋子先生の俳句に比べ私の短歌は極めて稚拙この上ないものですが、どうかご海容賜りたく存じます。
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母ありて かく癒え得たり 春着縫う

憧憧として往来すれば、朋のみ爾の思いに従う。

2014-10-28 14:03:23 | ブログ
第2131 26.10.28(火)
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憧憧として往来すれば、朋のみ爾の思いに従う。『易経』
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私心だけを基として他人に接していれば、きみの朋党だけがきみの考えに従うことになる。つまり、公平で正しく広い交際はできない。228
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【コメント】 『南洲翁遺訓』を改竄しようとしている人間の独善的な、偏狭な姿をいっているようです。私心の反対である無私とは西郷隆盛のような生き方をする人のことをいうのです。西郷隆盛を語って邪なことをするのがいますが、荘内南洲会様と日本空手道少林流円心会一門は、南洲翁と臥牛翁の教えのとおり邁進致しましょう。
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『臥牛先生遺教抄』 (第69回)
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六九、日々に新たなりというを請問せしに、学ぶ者は必ず進むべき筈なるに、毎日同じ所に止まり居るは、是れ勉強の足らぬ証なり。「惟れ精惟れ一充に厥の中を執れ」と舜ものたまえり。惟れ精惟れ一とは則ち必至の事なり。必至になりて寝食を忘るる程なれば必ず偏になるべし。そこでその中を執れという訓えをきっと思い出し、自ら反省して中に立ち復りその偏なる所を改めよ。先ずその中を執りて後に惟れ精惟れ一というには非ざるならん。
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『論語』69
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六九、子曰はく、惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む。
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孔子がいうには、好んだり悪んだりする心は誰にもあうるものだけれども、多くの人は私情を伴うから、好んだり悪んだりすることが道理に外れるのである。独り仁者は心が公平であるから、能く好む人を好み、悪むべき人を悪むのである。
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『礼節のすすめ』「と」
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徳と学 稲穂のごとく 実れかし
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徳性と学問が稲穂のごとく栄えて欲しい。この世に戦争がなく平和で安泰であることはいいことなのですが、精神的にはいつどういうことが勃発するかわかりませんので、絶えず学問を深め、万一に備えたいものであります。とにかく、平和ボケはよくないと思います。
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短歌の紹介
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早朝に髪に櫛入れ見送りし
 片平院の母親の様 6959 礼節のすすめ64

子と偕に老いん。

2014-10-27 10:03:24 | ブログ
第2130号 26.10.27(月)
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子と偕に老いん。『詩経』
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「子」は男、夫。あなたと一緒に共白髪になりましょうという夫への誓い。「偕老」という言葉の語源。168 結婚式などでは「偕老同穴」という言葉がよく紹介されます。夫婦仲良く、生きてはともに歳をとり、死んでも一緒に葬られましょう。
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【コメント】 昨日は「能」を見学するため、県民交流センターに行きました。素晴らしい能舞台が出来ているのをはじめて知りました。
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 会場に行く時は、雨が降り出し、道路はどこも渋滞でした。「谷山ふるさと祭り」が予定されており、出演されるお姉さま方もきれいな着物がビッショリ濡れていて大変お気の毒でした。

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『臥牛先生遺教抄』(第68回)
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六十八、道を学ぶは譬えば、舟に棹して急流を上るが如し。全力を尽くして遡れども陸上より見れば甚だ遅々たるものなり。暫時たりとも棹を止むればすぐ下流に押し流さるるなり。総て人は一所に止まり居るという事なきものぞ。進まざれば退くなり。是非一生止めず措かず心掛くべきものなり。
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『論語』68
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六十八、子曰はく、不仁者は以て久しく約に処るべからず。以て長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。
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孔子が言うには、不仁者は本心の徳を失っているから、しばらく貧賤の境遇にいると飢寒に逼られて悪事を行う。だから「久しく約に処るべからず」という。また長く富貴の境遇にいると覚えず知らず驕奢に流れるものである。だから、「久しく楽に処るべからず」という。ただ仁者は如何なる境遇にいても本心の仁徳を失わないし、知者は深く仁を好んでこれを得ようとしているから、久しく約(貧賤のこと)に処ることもできるし、永く楽(富貴のこと)に処ることも出来るのである。
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『礼節いろは言葉』「へ」
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返事とは 人の心を 伝うもの
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 気持ち良い返事は、貴方の心を伝えます。
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 因みに私は、どんな子供にも「ハイ」というお返事をしています。返事はいいつもりなのですが、土曜日の御稽古の際、4歳で入門した山口賢斗くんから、「話が長い」とお叱りを受けました。私は土下座して「ごめんなさい。有り難うございました」と頭を下げました。
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 子供たちちの教訓になるお話をしているのですが、幼児にはそれがわからず、厳しいお叱りを受けた次第でした。これからは、わかりやすく、簡潔にお話することに致します。
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南日本新聞ひろば
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「南洲翁遺訓」発祥の地訪ねて
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池田 芳宏(七十三)
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南洲翁遺訓は、西郷隆盛の偉大な仁徳と、庄内藩士・菅実秀たちの真の精神の交わりを通して、明治二十三年、山形県で刊行された。その背景には、戊辰戦争で、「庄内藩は王政復古の大旨が通ぜず敵となったが、ひとたび順逆を知って降服した以上は同じ日本の兄弟である」という薩摩士風の理念が流れている。
 今でも、人間修養のよりどころとして広く読まれている。
 現在、鹿児島県では、西郷南洲顕彰館ほかで遺訓の普及版が発行されたり、遺訓の学習が実施され、敬天愛人の啓発が進められている。
 鹿児島市は鶴岡市と兄弟都市盟約を結び、毎年、中学生を派遣し、友愛と親善を保持している。また、単独で鶴岡市と交流を進めている学校もある。さらに、県民の間にも酒田市の南洲神社を参拝された方々が増えつつある。
 錦秋の好日、私たち有志は荘内南洲会を訪問した。南洲翁と菅臥牛翁対話坐像の見学、人間学講座聴講の間に会員の真摯な徳風に接し感激した。別館には貴重な書籍や、西郷が沖永良部島で作製したイカ餌木が展示されており、驚いた。その後、小野寺前理事長の墓参を終え、歓迎会に招待された。
 詩吟の交歓に喝采し、最上川舟歌の合唱で閉会となり、平成の徳の交わりの余韻に浸った。(鹿児島市)
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今月12日、鹿児島・枕崎に上陸した台風19号が本土に来襲するとの予報もあったが、日本空手道少林流円心会関係者9人で荘内の地を訪問したのでした。新聞世論欄への寄稿は字数の制限もあり、割愛しなければならない部分もあったようです。
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 特筆すべきは、西郷隆盛が先生と言って漢詩を残されている菅臥牛翁のお墓詣りも致しました。そして、荘内藩藩主の先生方がお眠りになられている酒井家御霊屋 大督寺墓所に、酒井忠久先生の暖かいご配慮を賜りまして、名君忠徳公、そして西郷隆盛らの勧めもありドイツ留学した忠篤公の墓前に合掌でき万感胸に迫るものがありました。
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 ブログをご覧になられておられる方、学問の都、教えの國・荘内へ行ってごらんになりませんか。
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 高木先生、お手紙と新聞有り難う存じました。

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短歌の紹介
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行くたびに心あらわれ処世をば
 教え賜る荘内の風 6958 博庵語録