第2134号 26.10.31(金)
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善を責むるは、朋友の道なり。父子善を責むるは、恩を賊(そこなう)の大なる者なり。『孟子』
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互いに善に励もうとして切磋することは、朋友間の道としてはまことに美徳である。しかし、父子の間は天然の恩愛を主とするものであるから、切磋のためといって互いに責め合うことはむしろ恩愛の人情にはずれて害をなすものである。121
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【コメント】 通常、善に励むことはよいことであると思います。ただ、それを相手に強引に逼るものであってはならないと思います。出きれば共通理解をもって事を進めることが望ましいと思います。
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『臥牛先生遺教抄』(第72回)
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七二、総じて実地に当れば執着するなり。執着すれば聡明は覆わるるなり。深切を勉むれば偏狭になり易し。偏狭なれば人を容るる事なし得ぬなり。勉めて引き離れて静かに深思風味せよ。大体に明らかなる時はよく人の言を聞き容れて用いらるなり。
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『論語』72
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七ニ、子曰はく、我は未だ仁を好む者不仁を悪む者を見ず。仁を好む者は以て之に尚ふるなし。不仁を悪む者は其の仁を為すや、不仁なる者をして其の身に加はらしめず。能く一日其の力を仁に用うるあらんか、我は未だ力の足らざる者を見ず。蓋し之有らん。我は未だ之を見ざるなり。
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孔子が言うには、「私は本当に仁を好む者又不仁をにくむ者をみたことがない。仁を好む者なら最上だが、不仁をにくむ者も、自らは仁を為し不仁者の影響を受けないであろう。それだけの事のできる者をも見ないのは、残念なことである。そしてそれが難しいことかといへば、決してそうではない。たとひ一日なりとも力を仁に用いようと志す人があるならば、それにも力が足りない者は見たことがない。世の中には力が足らなくて仁を行えないという者があるかも知れないが、私はまだそんな人を見たとがない。
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「礼節いろはことば」 「ぬ」
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濡れ衣を 着せられようが 義を通す
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あらぬ嫌疑をかけられても正義心を通そう
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短歌の紹介
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世に何が要諦なるか思考すに
徳仁勤勉勝るものなし 6962 博庵語録
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善を責むるは、朋友の道なり。父子善を責むるは、恩を賊(そこなう)の大なる者なり。『孟子』
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互いに善に励もうとして切磋することは、朋友間の道としてはまことに美徳である。しかし、父子の間は天然の恩愛を主とするものであるから、切磋のためといって互いに責め合うことはむしろ恩愛の人情にはずれて害をなすものである。121
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【コメント】 通常、善に励むことはよいことであると思います。ただ、それを相手に強引に逼るものであってはならないと思います。出きれば共通理解をもって事を進めることが望ましいと思います。
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『臥牛先生遺教抄』(第72回)
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七二、総じて実地に当れば執着するなり。執着すれば聡明は覆わるるなり。深切を勉むれば偏狭になり易し。偏狭なれば人を容るる事なし得ぬなり。勉めて引き離れて静かに深思風味せよ。大体に明らかなる時はよく人の言を聞き容れて用いらるなり。
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『論語』72
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七ニ、子曰はく、我は未だ仁を好む者不仁を悪む者を見ず。仁を好む者は以て之に尚ふるなし。不仁を悪む者は其の仁を為すや、不仁なる者をして其の身に加はらしめず。能く一日其の力を仁に用うるあらんか、我は未だ力の足らざる者を見ず。蓋し之有らん。我は未だ之を見ざるなり。
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孔子が言うには、「私は本当に仁を好む者又不仁をにくむ者をみたことがない。仁を好む者なら最上だが、不仁をにくむ者も、自らは仁を為し不仁者の影響を受けないであろう。それだけの事のできる者をも見ないのは、残念なことである。そしてそれが難しいことかといへば、決してそうではない。たとひ一日なりとも力を仁に用いようと志す人があるならば、それにも力が足りない者は見たことがない。世の中には力が足らなくて仁を行えないという者があるかも知れないが、私はまだそんな人を見たとがない。
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「礼節いろはことば」 「ぬ」
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濡れ衣を 着せられようが 義を通す
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あらぬ嫌疑をかけられても正義心を通そう
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短歌の紹介
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世に何が要諦なるか思考すに
徳仁勤勉勝るものなし 6962 博庵語録