第3673号 31.01.31(木)
詩に云ふ、於戯、前王忘れられず、と。君子は其の賢を賢として其の親に親しみ、小人は其の楽しみを楽しみて楽しみて其の利を利とす。此を以てよを没するも忘られざるなり。『大学』56
詩には「ああ、先生を忘れることができない」とある。これは、その治世には、盛徳の君子はそのうちの賢者を尊び用いて礼儀をさかんにして親族のものたちを和合させ、庶民はその礼儀に安んじて、その楽しむべき本業に楽しんで精を出して、その正当な利益をうけ、上下よく治まった。さればその君子が世を去った後も永く人民に追慕されて忘れられないことをいっているのである。
【コメント】解説にあるように生きている時も、死去した後も人々に慕われるようりありたいものです。その為には表面だをつくろうようなことはいけません。出来れば南洲先生みたいにありたいものです。そのお手本が荘内南洲会の先生方です。日々に語らい、日々に学び、人々の範たる存在をお手本にして、生きて行きたいものです。
余を見渡せば、ワルのし放題ですが、兎に角天が観ているのです。只今、31日、午前11時30分、行方不明になっていた19歳の女子が殺された後、遺棄されていたとの由、可哀想なことだと思います。
思うに教育内容に『南洲翁遺訓』の精神を浸透すべくお願いしたいものですが、どうにかならないのでしょうか。これを書いている間も三面記事のオンパレードです。
兎に角政治家がワルスギルと思います。
私が3500回以上にブログ発信した漢籍の訓戒を参考にしたら参考になると思うのですが、手っ取り速くは『南洲翁遺訓』を題材とすべきだと思います。
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『善の研究』第138回
我々が個人なる者があって喜怒愛欲の情意を起すと思うが故に、情意が純個人的であるという考も起る。しかし人が情意を有するのでなく、情意が個人を作るのである、情意は直接経験の事実である。
万象の擬人的説明ということは太古人間の説明法であって、また今日でも純白無邪気なる小児童の説明法である。
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『菜根譚』153
節義は青雲に傲り、文章は白雲より高きも、若し徳性を以てこれを陶鎔せざれば、終に血気の私、技能の末とならん。
〔訳〕その主義主張は高位高官の人々をはるかにしのぎ、その文章教養は白雲の名曲よりも高尚であっても、道義的な徳性で練り上げていなければ、結局は、その主義主張も血気にはやった私行となり、その文章も手先の小細工になってしまうのである。
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詩に云ふ、於戯、前王忘れられず、と。君子は其の賢を賢として其の親に親しみ、小人は其の楽しみを楽しみて楽しみて其の利を利とす。此を以てよを没するも忘られざるなり。『大学』56
詩には「ああ、先生を忘れることができない」とある。これは、その治世には、盛徳の君子はそのうちの賢者を尊び用いて礼儀をさかんにして親族のものたちを和合させ、庶民はその礼儀に安んじて、その楽しむべき本業に楽しんで精を出して、その正当な利益をうけ、上下よく治まった。さればその君子が世を去った後も永く人民に追慕されて忘れられないことをいっているのである。
【コメント】解説にあるように生きている時も、死去した後も人々に慕われるようりありたいものです。その為には表面だをつくろうようなことはいけません。出来れば南洲先生みたいにありたいものです。そのお手本が荘内南洲会の先生方です。日々に語らい、日々に学び、人々の範たる存在をお手本にして、生きて行きたいものです。
余を見渡せば、ワルのし放題ですが、兎に角天が観ているのです。只今、31日、午前11時30分、行方不明になっていた19歳の女子が殺された後、遺棄されていたとの由、可哀想なことだと思います。
思うに教育内容に『南洲翁遺訓』の精神を浸透すべくお願いしたいものですが、どうにかならないのでしょうか。これを書いている間も三面記事のオンパレードです。
兎に角政治家がワルスギルと思います。
私が3500回以上にブログ発信した漢籍の訓戒を参考にしたら参考になると思うのですが、手っ取り速くは『南洲翁遺訓』を題材とすべきだと思います。
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『善の研究』第138回
我々が個人なる者があって喜怒愛欲の情意を起すと思うが故に、情意が純個人的であるという考も起る。しかし人が情意を有するのでなく、情意が個人を作るのである、情意は直接経験の事実である。
万象の擬人的説明ということは太古人間の説明法であって、また今日でも純白無邪気なる小児童の説明法である。
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『菜根譚』153
節義は青雲に傲り、文章は白雲より高きも、若し徳性を以てこれを陶鎔せざれば、終に血気の私、技能の末とならん。
〔訳〕その主義主張は高位高官の人々をはるかにしのぎ、その文章教養は白雲の名曲よりも高尚であっても、道義的な徳性で練り上げていなければ、結局は、その主義主張も血気にはやった私行となり、その文章も手先の小細工になってしまうのである。
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