味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

徳に周き者は、邪世も乱すこと能わず。

2015-07-11 12:37:49 | ブログ
第2386号 27.07.11(土)
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徳に周(あまね)き者は、邪世も乱すこと能わず。『孟子』 
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 徳にあまねきもの、すなわち十分に徳を備えた者に対しては、いかに邪世であっても、その人を乱すことはできない。
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 【コメント】まさしくその通りだと云えましょう。何事かを成そう、世の為人の為を願っている人は、することが数多あり、いろいろ関わり合う時間がないのです。それぞれの世界で幸せを願えばいいということです。
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 今朝の学問館は大人3名、子供1名でした。
 教材は、
 1.幻の講話 『幻の講話』第三巻 第二十二講 しつけと家庭学修
 2.永平寺への参禅の旅
 3.水到れば渠成る
 4.石坂泰三の生き方
 5.我が 中村天風論
 6.人生は心一つの置きどころ
 7.人物を創る
 等々でした。

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 上の教材で特筆すべきは、「水到れば渠成る」の所で、伊与田覚氏の論に次のようにあります。〈かつて私は、あるものをつくろうと思い随分苦心をしたことがあります。ちょうどその時、久しく親炙を賜っていた安岡正篤先生が私の地元、大阪に来られたので、厚かましく助言を求めに参りました。「先生、私の思うものはどうしたらできるでしょうか。一句で成るような言葉はございませんでしょうか」と尋ねると、先生はすぐに筆を執られて、「水到渠成」の四文字を半切に揮毫してくださいました。「水到れば渠成る。あまり深く考えずとも、水が来れば自然に溝ができるものだよ」とおっしゃいました。
 報いを求めずに積み上げていくものこそが、本当の徳に繋がるということです。

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 次に石坂泰三の生き方の所で、「人間須(すべから)く正道を歩け、という信念をそのまま貫いた方でした。」とあります。
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 そして、「晩年の石坂さんは、数々の古典の書写を通して自分を見つめるのが日課でした。」とあります。

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 ある若い青年が、家庭のゴタゴタで私に文句をつけてきました。世の中を知らない人がガタガタ文句をいうということは、天に唾している行為なのです。二度とない人生、大好きな晩酌を辞めて漢籍を繙くことをお薦め致します。ただ、酒を飲んでグチャグチャといつまでも言うのは、賢明な人のすることではありません。
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 今朝の学問館も大変有意義でした。

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『大学味講』(第223回)
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   第五節  君子は徳を慎しむ
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 以上の数節において、治者は身を修め、徳を養うことを忘れてはならぬことを、繰り返し力説しているのでありますが、この節においては、その活用ともいうべき「徳」と「財」について述べております。
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 是の故に君子は先づ徳を慎む。徳有れば此に人あり。人有れば此に土あり。土有れば此に財あり。財有れば此に用あり。徳は本なり。財は末なり。本を外にして末を内にすれば、民を争はしめて奪ふことを施す。
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『論語』(第323回)
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 子貢問うて曰はく、「如何なる斯れ之を士と謂ふべき。」子曰はく、「己を行うて恥あり、四方に使ひして君命を辱めざる、士と謂ふべし。」曰はく、「敢えて其の次を問ふ。」曰はく、「宗族孝と称し、郷党弟と称す。」曰はく、「敢えて其の次を問ふ。」曰はく、「言必ず信、行ひ必ず果、硜硜然として小人なるかな。抑亦以て次と為すべし。」曰はく、「今の政に従ふ者は如何」子曰はく、「噫、斗そうの人、何ぞ算ふるに足らんや。」
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 子貢が「どういう人物を士と申すべきでありますか。」とお尋ねした。
 孔子は、「平素は自分の行いを反省して常に及ばないのを恥じる人物、すなわち、学問も修養もこれでよいと満足することなく、いつもまだ足らないと恥じて孜々として努力し、一旦、人に用いられたならば、四方の国々に使節として使いするような重い任務でも、よく使命を果たして君主の命令をはずかしめず、国威を挙げるような才能がある人物であり、平素は学徳を磨いて修養にこれ努め、使命を及びてはその重圧を果たすことのできる人を士というのである」と答えた。
 子貢はこれは大した人物でなくては士といえないものと思って、「第二流の士がありましたら、どうぞ教えてください」と尋ねた。
 孔子は「一族の間で孝行者といわれ、生まれ故郷で、悌順な者であると称賛される人物は、学徳・才能は足らなくても、第二流の士といえようか」と答えた。
 子貢は、「なお一つ推してお尋ねしますが、その次はどんな人でしょうか。」と。
 孔子は、「一旦言ったことは必ず実行しようとし、一度やりかけたことは、必ず成し遂げようとする。いわゆる、信義を守り、果断実行の人物で、これは堅い石がぶつかるような音のする融通性のない人物だが、まあまあその次の士といっていいだろう。」
 子貢は、----最初から、士とは大臣のような人物と思っていたらしいが、孔子の答えがなかなかそれに触れてこないのて、たまりかねたのだろう、----「今の政治に従う大臣などはどうでしょう。士とはいえないのでしょうか。」と尋ねた。
 孔子は、「ああ、あの一斗枡や一斗二升箕のような人物か、あのマスやミは、ただ物を入れる器量で、しかも器具としても小さいもので、どうして士として数えることができようや。あれは士として数える値打ちがあるものではない」と答えた。
 
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『農士道』(第202回)
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 感心した問者は、それではお前さんの道を政治に適用したらどうだといふと、彼は答えた。私は植木のことならわかるが、他のむずかしいことは私の能くすることではない。然し私は郷にゐて人の長となって居る人達を見るのに、好んでその命を煩しくしてゐる様だ。あれでは大変下々を憐んでゐる様で、實は結局禍している様なものだ。朝となく晩となく役人が来ては、それお上からのお達しだから田はかう耕さねばならぬ。田植はかうせねばならぬ、稲刈りはかうせねばならぬ、蚤く糸を繰れ、縷を織れ、子供の衛生に注意せよ、鶏や豚を殖やせ-----と、鳴物入りで人々を集める。そこで下々の者はその度毎に御馳走を具えてはお役人を労わらねばならず、年中暇なしなので、却って経済的には生活に窮し、精神的には安立が得られない。だから人民が閉口して怠けるので、かういふ點は政治もどうやら私の植木屋の仕事と似てゐるやうだ。
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高木先生、先般は有り難う存じました。