タイトル----『中村天風哲学と南洲翁遺訓』--1 第124号 21.08.31(月)
はじめに
中村天風(中村天風または天風師と書く)と西郷隆盛(西郷隆盛または南洲翁と書く)、この英雄・哲人の二人の内、どちらが、世の人々に知られているであろうか。
歴史的な人物伝等作家諸氏が書いたのを見聞すれば、西郷隆盛が圧倒的に多いと言う。それは西郷隆盛が活躍した時代が古いということもあり、さらに、日本の国が黎明期を迎えた明治の一時期、それぞれの勢力が力学的衝突を繰り返した、いわゆる群雄割拠した時代であったということも、一因であろうと思う。
西郷隆盛は我々凡人が、およそ想像も出来ない程の筆舌に尽くし難い、艱難辛苦を経験し、人生を踏破したといってもいいであろう。筆者は、三十年の長きにわたり、西郷隆盛の文献を読み漁り、かつ南洲翁の遺訓とされる『南洲翁遺訓』を常時携行すると共に、独特の勉強法で学んで来た。
西郷隆盛の人物像を学びはじめてから経過すること凡そ十年、ある月刊誌に中村天風の一代記を紹介する書籍のことが掲載されていた。それを購入し、読んで行く内、こんな人が世の中に本当にいるのだろうかと強い衝撃を受けると同時に、関心を持ち書籍で学んで来た。中村天風も波乱万丈の数奇な運命に翻弄され、身体を酷使した時期があった。そのような無理をしたため、当時では難病とされた粟粒結核を患い、その病を治すため名医を訪ねアメリカはじめ外国をさまよい歩いた。だが、名医と言われる方々と面会したにも関わらず、適切なアドバイスも貰えず、病が治癒しないため絶望感を抱き日本へ帰国する途中、インドの聖者・カリアッパ師との運命的な出会いをした。その後、ヒマラヤの山地で聖者カリアッパ師からヨガ哲学を学び、宇宙の哲理を学んで行くうち絶望感に打ちひしがれた病気も快復していった。天風師は、会得したヨガ哲学を基調とした人生の哲学的教えを、今度は天風師自らが不幸な人々を救うという、偉大な事業へと昇華させて行くのである。
人間の一生には人それぞれ幸不幸ある訳だが、西郷隆盛と中村天風二人の人生体験は、普通の人々の難儀苦労とは比較にならない程の艱難辛苦と言っていいだろう。
この書で紹介する二人の英雄・哲人に共通する思想と行動様式は、天理を会得し、過酷な人生経験から学び得た、人世(ひとよ)に生きる人間として、何が大事で、何を修得し、それをどう人生に活かして行かねばならないかを、懇切丁寧に教え諭し、人々に精神的肉体的に安らぎを与えてくれたという点で極めて酷似していることである。
平成二十一年の今日、新聞テレビ報道によれば、一部政治家が、官僚が、企業の経営者が、良識をかなぐり捨て、栄華を貪るという非常識ともとれるような、人々に対する背信行為が日々紹介されている。事件性としては終了した感があるが、公益財団法人「日本漢字能力検定協会」の「公益法人」の範疇を逸脱していた当事者の運営方法にも、多大な疑義が発見され、理事長親子が退任を余儀なくされたのも象徴的な事件であった。その時、その事象について、漢字一文字で表すとすればどういう文字になりますか、という記者の質問に、理事長はすぐ思いつかないと首を傾げた。が、筆者は、「濁」という文字を贈呈したいと思ったのである。因みに、「濁るとは、物事が純粋・潔白でなくなる。清らかさ・正しさが失われる。」(『広辞苑』第六版)と解説している。------続きます。