第2678号 28.04.30(土)
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真率会。『宋名臣言行録』
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「真率会」は、虚飾をしない会のこと。宋の司馬光、范純仁などの約したもの。いずれも清貧にして客を好み、脱粟一飯、酒数行を楽しみとした。洛中の人々はそれを誇りにして勝事とした。632
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【コメント】現在の日本人は、生活文化の向上の影響で贅沢と思える日々の中で生きているように思えてなりません。昭和初期に生れ、貧乏家庭に育った私から見たらです。
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裕福であることは素晴らしいことですが、そればかりを追求して行きますと、堕落への道に滑り落ちないとも限りません。ですから私は、現在ご紹介している菅原兵治先生の思想・教えを学んだ方がいいように思います。
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菅原先生は『農士道』で生きる哲学を教えていると見ています。骨格は学修、感謝、努力、継続、真摯、勤労、勤勉、倹約等々だと思います。だから、経験の乏しい人が迷ったら、手をさし述べて上げることも大事であろうと思います。
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基本的に人間には悪が好きな人はいないと思います。ただ知らずに手を染めることがあるような気が致します。野球賭博で逮捕された25歳の選手にしても同様です。
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そして一時的成功に酔いしれる人も同様です。そういった意味では中村天風著『運命を拓く』は大変参考になると思います。共に共に幸せな人生でありたいものです。
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連日読んでいる『西郷隆盛』は15巻目に入りました。刀を持っての斬り合いはよろしくありませんが、清貧に甘んじて、国家ののために奔走する真剣さは今日見習うべきだと思うのです。
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『臥牛菅実秀』(第214回)
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賢人と思い教を受くる以上は、深く信じて疑わぬものなり。 菅 実秀
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六. 邂 逅
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(一)
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外国の圧迫を辛うじてくぐりぬけて維新を断行した日本にとって、最も強く要望されたものは、『富国強兵』であった。他のアジア諸国がそうであったように、一歩誤まれば欧米列強の植民地になってしまうおそれが多分にあった当時の日本として、いち早く外国勢力に対立し得る統一国家を確立いなければならず『万国対峙』といい『万国陵駕』というスローガンが強く叫ばれた時代であった。
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旧領に復帰することを許された荘内藩(前年の二年九月、藩名を改めることを命ぜられ、大泉藩と改称し、酒井忠宝が藩知事となった)は、この時代の急務にそって明治三年九月、新たに常備兵六小隊(一小隊五十人)を編成し諸部隊の基幹部隊とした。この常備兵に選抜された青年たちは、敗戦の失意から立ち上がって、猛烈な訓練を開始したのである。
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『農士道』(第490回)
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かういう義利の関係を佛教に於て見るも、真の救いは-----之を最も通俗的にいへば「御利益」「功徳」と謂うてもよかろうが、-----その真の救いは、真の帰依、真の信仰に即して始めて得られるものである。真の帰依無き所に其の救いは無い。親鸞聖人いふ。
「各々十余国の境をこえて、身命をかへりみずして尋ねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をも知りたらんと、心にくくおぼしめしおはしましてはんべらんは大きなるあやまりなり。もししからば、南部北嶺にもゆゆしき学匠たちおほくおはせられさふらふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきてはただ念仏して弥陀に救けられまいらすべしと、よき人のおほせをかうぶりて信ずるほかに別の仔細なきなり。----歎異抄---」
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『日本共産徒党と中韓』より
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手元に筆坂秀世氏の上の本がありましたので、一部、ご紹介します。
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〈日本共産党は、戦前、戦時中と非合法政党として弾圧を受けてきた。また、侵略戦争反対や天皇制打倒を掲げていたことは事実である。さらに中国の延安では、戦争後期には野坂参三らが日本兵に向かって脱走を呼びかけ、日本軍が敗北するように運動してきた歴史も持っている。〉頁163
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真率会。『宋名臣言行録』
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「真率会」は、虚飾をしない会のこと。宋の司馬光、范純仁などの約したもの。いずれも清貧にして客を好み、脱粟一飯、酒数行を楽しみとした。洛中の人々はそれを誇りにして勝事とした。632
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【コメント】現在の日本人は、生活文化の向上の影響で贅沢と思える日々の中で生きているように思えてなりません。昭和初期に生れ、貧乏家庭に育った私から見たらです。
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裕福であることは素晴らしいことですが、そればかりを追求して行きますと、堕落への道に滑り落ちないとも限りません。ですから私は、現在ご紹介している菅原兵治先生の思想・教えを学んだ方がいいように思います。
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菅原先生は『農士道』で生きる哲学を教えていると見ています。骨格は学修、感謝、努力、継続、真摯、勤労、勤勉、倹約等々だと思います。だから、経験の乏しい人が迷ったら、手をさし述べて上げることも大事であろうと思います。
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基本的に人間には悪が好きな人はいないと思います。ただ知らずに手を染めることがあるような気が致します。野球賭博で逮捕された25歳の選手にしても同様です。
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そして一時的成功に酔いしれる人も同様です。そういった意味では中村天風著『運命を拓く』は大変参考になると思います。共に共に幸せな人生でありたいものです。
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連日読んでいる『西郷隆盛』は15巻目に入りました。刀を持っての斬り合いはよろしくありませんが、清貧に甘んじて、国家ののために奔走する真剣さは今日見習うべきだと思うのです。
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『臥牛菅実秀』(第214回)
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賢人と思い教を受くる以上は、深く信じて疑わぬものなり。 菅 実秀
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六. 邂 逅
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(一)
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外国の圧迫を辛うじてくぐりぬけて維新を断行した日本にとって、最も強く要望されたものは、『富国強兵』であった。他のアジア諸国がそうであったように、一歩誤まれば欧米列強の植民地になってしまうおそれが多分にあった当時の日本として、いち早く外国勢力に対立し得る統一国家を確立いなければならず『万国対峙』といい『万国陵駕』というスローガンが強く叫ばれた時代であった。
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旧領に復帰することを許された荘内藩(前年の二年九月、藩名を改めることを命ぜられ、大泉藩と改称し、酒井忠宝が藩知事となった)は、この時代の急務にそって明治三年九月、新たに常備兵六小隊(一小隊五十人)を編成し諸部隊の基幹部隊とした。この常備兵に選抜された青年たちは、敗戦の失意から立ち上がって、猛烈な訓練を開始したのである。
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『農士道』(第490回)
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かういう義利の関係を佛教に於て見るも、真の救いは-----之を最も通俗的にいへば「御利益」「功徳」と謂うてもよかろうが、-----その真の救いは、真の帰依、真の信仰に即して始めて得られるものである。真の帰依無き所に其の救いは無い。親鸞聖人いふ。
「各々十余国の境をこえて、身命をかへりみずして尋ねきたらしめたまふ御こころざし、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をも知りたらんと、心にくくおぼしめしおはしましてはんべらんは大きなるあやまりなり。もししからば、南部北嶺にもゆゆしき学匠たちおほくおはせられさふらふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきてはただ念仏して弥陀に救けられまいらすべしと、よき人のおほせをかうぶりて信ずるほかに別の仔細なきなり。----歎異抄---」
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『日本共産徒党と中韓』より
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手元に筆坂秀世氏の上の本がありましたので、一部、ご紹介します。
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〈日本共産党は、戦前、戦時中と非合法政党として弾圧を受けてきた。また、侵略戦争反対や天皇制打倒を掲げていたことは事実である。さらに中国の延安では、戦争後期には野坂参三らが日本兵に向かって脱走を呼びかけ、日本軍が敗北するように運動してきた歴史も持っている。〉頁163
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