味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

強梁なる者は、其の死を得ず。

2015-07-07 10:17:06 | ブログ
第2382号 27.07.07(火)
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強梁なる者は、其の死を得ず。『老子』
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 強い力にまかせてのさばるような人間は、自然な死に方をすることはできない。必ず非命に倒れる。328
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 【コメント】日本列島を熱狂の渦に巻き込んだ女子サッカーが終わり、準優勝とは申せ、感動の余韻未ださめやらずという感じがしています。
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 今朝の読売新聞社説のテーマで「なでしこ準優勝  ブームから「文化」への契機に」とあります。大変よいことだと思います。女子サッカーの層が厚くなり技術力アップに貢献でき、上位入賞が期待されるからです。
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 一方、この社説のテーマを見て、GHQ政策であった3S5D政策の「S」に熱狂し、勤勉、勤労、至誠、忠恕等々、人々が生きて行くため培わなければならない大事なものが失われないよう、自覚・配慮しなければならないと思った次第です。これが過ぎると、ギリシャの二の舞にならないと誰が保証できるでしょうか。
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 上の『老子』の言葉をご紹介しながら、76年間生きて来て、そのとおりです、と相槌を打って居ます。これは中村天風師もそのように言っています。
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 お互い、相手の言い分にも謙虚に耳を傾け、そして善処策を見出し、共に楽しく生きたいものです。

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『大学味講』(219回)
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   第四節  峻命易からず
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 次に殷の国の国亡について次のように述べております。
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 詩に云く、殷の未だ師(もろもろ)を喪はざるや、克(よ)く上帝に配せり。儀(よろ)しく殷に監(かんがふ)るべし。峻命(しゅんめい)易 からずと。衆を得れば、則ち国を得、衆を失へば、則ち国を失ふを道(い)ふ。
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   註  釈
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 詩=詩経大雅、文王の篇。
 師=衆の意味に用いて「もろもろ」と訓む。軍隊でも多人数の集団を「師団」という。
 上帝に配す=「上帝」は「上天皇帝」で、中国信仰の最高神であり、天子はこの上帝の命を受けたものとされている。「革命」とは天子の   不徳の場合に、その命が革たまることである。「配」は「配偶」という熟語に見るように「あう(合)、ならぶ、たぐい」などの意味が   あり、「上帝に配す」とは、天子が常に上帝とならんで一体となって、天意にそった政を行うことをいうのである。
 監=鑑と同じで、それを「かがみ」とすること。
 峻命=峻は大なり。峻命は天命をいう。
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『論語』(第319)
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 葉公(しょうこう)政を問ふ。子曰はく、「近き者説(よろこ)び、遠き者来る。 
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 葉公が 政を孔子に問う。孔子「政を行うには民心を得ることを貴びます。故に近くにいる民は己の恩沢を被って悦び、遠方の民は己の風を聞いて来り附くようにすべきであります。」
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『農士道』(第198回)
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 韓退之も「世に伯楽有り。然る後に千里の馬有り」というているが、馬の毛色や牝牡といふが如き外形的分析的穿鑿の域を脱して、名馬の本質そのものを端的につかむ處に伯楽の伯楽たる所以があるのであるが、二宮尊徳が茄子の味によって凶荒を予知せるなども、農道的伯楽の観があるではないか。
 世間の人々からは、「何が何だか分らぬことをいふ年寄りだ」と謂はるる中に、實は化学(分科的な学問)や技術(枝葉の様な表面的な術)の分析的研究の解剖刀では解剖し盡されない玄奥なるもの-----生命それ自體-----に直入して、「何が何だか分らない」超分析的証悟があるのである。私共はかかる老農の言行を尊び、而して之が納得理解の出来るまでの修行を積まねばならぬ。

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